セクサロイドは眠らない

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2002年06月18日(火) ある日、私は、庭でツルリとした石を拾った。子供の手の平には少し大きいくらいの、その石は、触ると暖かかった。

幼い頃、私は両親が共働きだったので、いつも小学校から帰ると祖母の家に行っていた。祖母の家の近所には同じ年頃の友達がいなかったので、私はいつも退屈して、庭で一人遊んでいることが多かった。

祖母は、おやつを出してくれると、
「かあさん、もうすぐ迎えに来てくれるよ。」
と、繰り返しつぶやいて。それは寂しがる私を慰めてくれようとしていたのだと思う。

ある日、私は、庭でツルリとした石を拾った。子供の手の平には少し大きいくらいの、その石は、触ると暖かかった。撫でると、何か音を立てたので、耳を近づけてみると、笑い声のようなものが聞こえた。キャッキャッとも、クスクスとも、ケラケラともつかない、子供のような笑い声だった。その笑い声は、本当に楽しそうで。私もつられて笑顔になった。

私はその石にケラケラと名付けた。

退屈な時は、そっと石を取り出して石を撫でる。

以前、近所のお姉さんが結婚して出て行って、ある日、赤ちゃんを抱いて帰っていたことがあった。あの時、私も赤ちゃんを触らせてもらったけど、みんなが抱いて、ほっぺたを撫でたりするたびに、あの赤ちゃん、笑い声を立てて。丸々とした顔の中で、目が糸みたいに細くなってた。赤ちゃんを見ているみんなが、赤ちゃんにつられて笑顔になってて。私も何だか嬉しくなって。

あの時のことを思い出す。

ケラケラが笑うたびに、私は、一緒に笑う。そうして、ケラケラを喜ばせようと、祖母に頼んで、きれいな手ぬぐいをもらうと、時間を掛けてピカピカにしたり、手の上で揺すったりして。

そんなわけで、私は寂しくはなかった。

祖母は、私が小学校五年の時に亡くなり、それからは私は自宅で両親の帰宅を待つようになったが、ちっとも寂しくはなかった。

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私は、多少孤独な幼少期を送ったかもしれないが、中学に入ると友達も増え、短大を経て社会人になるまで、大して悩むこともなく、平凡で甘えた人生を送ることができた。

ケラケラのお陰かもしれない。

それは、私のお守りのように、私の机の片隅で眠っていても、私が取り出すと、私に応えて笑い声を立ててくれる。

そうして、大人になって、私は某メーカーの総務として勤め始めて、そこの営業の男性に申し込まれ、交際を始めた。

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「ねえ。ケラケラ。あたし、結婚するのよ。」
私は、幸福の絶頂で、その石に向かって告白する。

ケラケラの声は優しかった。

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結婚と同時に会社を辞めた私は、家で、新妻らしく、一生懸命掃除をし、料理を作って夫を待つ暮らしに入った。もともと、仕事をバリバリとやるというのに向いてなかったせいだろう。私は、家に入っても、それなりに幸福で。

時折、実家に行くと、もう、定年退職した母が出迎えてくれる。

「あの頃は、お前に寂しい思いをさせて悪かったねえ。」
と、母はすまなそうに言うけれど、私は、寂しくなかったよ、って答える。

母の姿を見て育った反動で、専業主婦になったわけじゃないけれど。

早く子供が欲しいと思っていた。

その子供は、きっと、よく笑う愛らしい子供になるだろう。

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夫の帰宅が遅くなったのは、結婚から半年経った頃で。忙しいんで遅くなる、という電話が続き、次第に、泊まりでの作業だと言って、帰らない日が増え始めて。

私は、ようやく、夫の嘘に気付く。

それまでぬくぬくと生きて来た私には、誰かとぶつかるという経験が不足していたため、どうにか、穏やかに話し合おうとするものの、混乱して泣いてしまい、話し合いすらまともにできない状態が続いた。

そんなある日。夫は、昨日から帰って来ないという状況で、知らない女性から電話が掛かってくる。

「あの人と別れてください。」
と言うのだ。

私は、電話を切ると、自分の部屋に駆け込んで、タンスの奥からケラケラを取り出す。長いこと、放りっぱなしだったケラケラは、声を立てなかった。私は、腹を立てて、ケラケラを壁に投げ付ける。何度も何度も投げ付ける。壊れて粉々になればいいと思って投げ付ける。

けれど、ケラケラは壊れなかった。ただ、つやを失って、冷たくなって、転がっていた。

私は、泣きながらそれを拾って、さすってみるものの、もう、二度とケラケラは声を立てない。

私は、一晩中起きて、ケラケラをさすり続けて。

それから、庭に出て、地面に穴を掘り、ケラケラを埋めた。

「さようなら。」
と。

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丸三年が掛かった。

夫と、私は、長い長い時間を掛けて、お互いのわだかまりを少しずつ溶かし、素直になることを覚えた。

ケラケラがいてくれたら、と思うことがしょっちゅうあった。暖かくて力強くて、まっさらな笑い声が、今、一番必要なのに、と思うと、少し悲しくなるのだった。

だけど、私は知っていたから。聞くことは出来なくても、そんな笑い声が確かに存在していたことを。だから、夫婦の最悪な時期を、私は何とか乗り切ることができた。

そうして、私は、身ごもって、元気な女の赤ちゃんを生んだ。

丸々と太ったその子に、私と夫は、笑美子と名付けた。

良く笑う子だった。

いつか、この子がもう少し大きくなった時読んで聞かせてやろうと、私は、「ケラケラ」という題名の絵本を描いている最中だ。


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