セクサロイドは眠らない

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2002年06月12日(水) もし、神様がいるならば、私を十九に戻してくださいよ。今更、一人になれと言われるには、随分時間が経ち過ぎた。

電話をする。

何度かけても、出ない。

不安がよぎる。

今までもこんなことはしょっちゅうだった。また、男のいつもの癖だ。飽きたら戻ってくる。何度も、私が怒って別れを言い出すたびに、男は泣いて謝って、それから、抱いて来て。私は、もう、男に体を知り尽くされていて、いとも簡単に体と心をほぐされて、元のさやに収められてしまう。

今回もそうだと思っていたのに、なぜか不安で、繰り返し電話を掛けてしまう。

それから、多分、出掛けてるのだと苦笑して、電話の前から離れる。

--

「なあ。別れてもらえるか?」
あっさりと、男はそう言い出した。

「え?」
私は、笑って。

「笑い事じゃなくてさ。すまん。」
「これで、何度目?」
「だから、今度は本当なんだ。」
「どんな子?」
「お前とは全然違う。」
「そうでしょうね。」
「なんにも知らない子なんだ。だから・・・。」
「私なんかが顔出しちゃまずいって?」
「ああ。頼む。」
「男が一人いて、女が二人いて。女のうちの一人はいつも傷付く役回りで、もう一人の女は無傷なせいで愛されるのね。」
「すまん・・・。」

男は、急に、テーブルから立ち上がると、地べたに座り込む。

「ちょっと、やめてよ。」
私は、腹が立ってくる。

「だからさあ。いつもと一緒なんでしょう?そのうち、俺が悪かったとかなんとか言って戻ってくるんでしょう?それでいいじゃない。腹括って待っててあげるからさあ。」
「今回は違うんだよ。」

私は、黙って残りの煙草を吸ってしまうと、
「行きなさいよ。」
と、言う。

自分の煙草の煙が、目に染みて。

「本当にすまん。」
男は立ち上がる。

出て行く男の後姿をぼんやりと眺める。

テーブルに置かれた封筒が、最後に私を打ちのめす。

--

十九の頃からだから・・・。

もう、十七年も、あの人のそばにいたんだ。

いろいろあったなあ。

最初に、あいつが逃げ出したんだ。で、私は、追い駆けて、東京まで来て。働きながら、あちこちに連絡先を伝えて。そうしたら、仕事失敗した男がひょっこり訪ねて来て。私、絶対来ると思ってたよって、男を部屋に上げて。

あん時、籍入れといてもらったら良かったのかな。

一人前になったら、ちゃんとしようって言うから。

子供なんかも、まだ早いとか言われて。

私は、プリンのカップに道端の花を供えて、あの子の供養したんだよね。

生活支えるために、夜、出掛けるようになってから、あの人はしょっちゅう浮気を繰り返すようになった。

ねえ。もし、神様がいるならば、私を十九に戻してくださいよ。今更、一人になれと言われるには、随分時間が経ち過ぎた。そうやって、あの人のためにやって来たことで、私は、どんどん薄汚くなっていって、ついには捨てられた。

もしかしたら。と思う。

私、もっと好き勝手に生きて来たら良かったのかもしれない。あの人が連れていた浮気相手は、いつも、お嬢さんぽい格好をして。何の苦労もしてないような子ばっかりだった。本当は、そういうのが好きな人なんだと気付く。

ねえ。もう一度十九に戻れたら。あの頃は、私もまだ、若くて綺麗で。あの時に戻れたら・・・。

--

神は本当にいるらしい。

私は、十九の姿で、浜辺に立っていた。ポニーテールに結った髪が海風で揺れていた。

男も、まだ、ずっと華奢で。私の手を引いたまま、ずっと浜辺を黙って歩く。

やだ。あなた、そんな無口だっけ?

私は、笑い出しそうになるのを抑えて。

そうやって、とうとう、午後中、私と彼は一言も口を聞かず、海を眺めていた。

日焼けするのが嫌で、縁の広い帽子を抑えて、私は、彼に手を引かれて、黙って歩く。

夕暮れになって、男は、初めて口を開く。
「俺と・・・。付き合ってくれる?」

十七年後の男の口から聞いた台詞とまったく逆の台詞に、私は笑おうとして、なぜかうつむいて泣いてしまう。

そうだ。あの夏の日、私は、泣くほどに純情だったんだっけ。

--

それから、更に一年。

男と私の間は、ひっそりと距離を置いて、続いた。男が時折見せる欲情の色に気付かないふりをして、私は無邪気な少女だった。

夏の日から一年目に、私達は、初めて抱き合って。

男はやさしくしてくれた。私は、また、涙を流した。

そう。これが始まりだったのだ。

--

男は、私が処女だったことを確認すると、安心したように私を抱き締めて。それから、急に、がーがーと眠り始めたので、私はガッカリして、男の寝顔を見つめた。一晩中、愛を語って欲しいと思ったのは、私のわがままだったのかしら。

それから、ふと、私がそこにいる理由を思い出す。

そうだった。

私は、十七年後の私の意思でここにいるのだった。

もし、十九のあの日に戻れたら、と、激しく願った、十七年後の私。

私は、ふらふらと立ち上がり、男のアパートの台所に立つ。そうして包丁を持って、男のところに戻る。

私は、それを振りかざす。

もし、十九の頃に戻れたら。

分かっていれば、私達は、引き返せないほど遠くに行く旅に出ることはしなかった。

私は、何度も何度も、包丁を振り下ろす。

生暖かい血が、私の裸の胸を濡らす。

--

・・・。

あたりが騒がしい。どうしたというのだろう?

誰かが、私の体を布でくるんでいる。

「大丈夫ですか?」

答えようとしても、喉がゴボゴボと音を立てるだけで、言葉が出ない。胸元を伝う血の感触はそのままで。

そうだ。私は、彼を殺したんだった。

私の体は数人の手によって運ばれる。

どこに行くんだろう?

「連絡がありましてね。男性の方から。様子を見て欲しいって言うんで、来てみたんですよ。そしたら、部屋が血だらけでね。」
アパートの管理人の声がする。

誰かが、私の強く握った手を、開こうとしている。

「うわ。相当きつく握ってんな。包丁、離そうとしないよ。」

そうよ。だって、人殺すのって、随分と力が要るの。

ああ。それにしても。なんで起こすのかしらね。私は夢の中で、十九の私でいて、とても幸福だったのに。


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