セクサロイドは眠らない

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2002年06月10日(月) 本当はまだ、あの人の夢を見るんだよ。とか。そんなことも。誰にも言いふらされる心配もないから、私はカシミヤに話し掛ける。

マキが連れて来た犬は、小さくてブルブル震えててみっともなかった。

「ね。お願い。しばらく預かってよ。」
「そう言われても、うちも昼間、留守にしてるし。」
「ね。ね。お願いよ。」
「あんなに可愛がってたじゃない。」
「可愛がってるわよー。今も。」
「なんで、男と別れたら犬も飼えなくなるのよ。」
「だってー。散歩、彼がさせてくれてたんだもの。」
「じゃ、別れる時、彼に連れてってもらえば良かったじゃない。」
「無理よ。もう、ね。子供みたいなものなんだから。彼も、手放したくないって言ってね。結構もめたのよ。」
「ああ。はいはい。無責任な飼い主がいるから、ペットの悲劇は絶えないのよねえ。」
「とにかく、ちょっとの間だけ。お願いよ。私、仕事でいない日が多いから。この子、ノイローゼになっちゃうと思うの。」
「分かったって。」

私は、結局、その、毛のヨレたヨークシャテリヤを預かることになった。貧相に垂れ下がったつやのない毛をした犬の名前が「カシミヤ」だと言うのに、少し笑った。

--

プロジェクトのメンバーが発表になった時、私は、思わず頭に血が昇るのを感じた。同じプロジェクトに、女性は、私と、ハヤセと二人。そのハヤセがプロジェクト・リーダーに任命されていたのだ。

どうして?

私のほうがずっと経験も長い。プロジェクトのリーダーをするのも、これが初めてではない。ハヤセでは、力不足だ。

いろいろと考えたのだが、結局、ハヤセの下になることが嫌なのだと思った。

私は、仕事が終わった後、部長のところに行った。

「どうしてでしょう?」
私の語尾は、かすかに震えていた。

こういう時、冷静になれないのが私の悪い癖だ。欠点は自覚しているので、何とか平静を保とうと努力する。

「きみの実力は知っているよ。」
部長は静かに言う。

「なら・・・。」
「一つには、ハヤセくんにリーダー経験をさせることで、ハヤセくん自身を育てることを考えている。」
「でも、今回のプロジェクトは規模が大きいですし。」
「もう一つ。きみの技術力は買っているが、きみは小さい事に気を取られると、全体を見渡す余裕がなくなるのが欠点だ。だから、今回は、ハヤセくんの技術的サポートに回ってもらって、ハヤセくんの持ち前の大らかさで、チーム全体を見るのがいいんじゃないかと思ったんだよ。」

私は、欠点を指摘され、ショックを受ける。

「私の言うことが間違ってるとは思わないがね。」
部長は、何も言えずにむくれている私の目をとらえると、少し微笑んでいるような表情すら、した。

「分かりました。」
それ以上言えることはなくて、私は、ようやくそれだけ言うと、自分の席に戻った。

--

帰宅する頃には、雷が鳴っていて、私は、慌てて帰宅する。

部屋に入ると、カシミヤは見当たらなかった。

名前を呼んで探し回ると、私の愛用のクッションの上でブルブル震えていた。

「どしたの?ん?あ。そうか、雷が怖いんだね。」
まったく、笑っちゃうほどにみっともない犬だ。

その夜、随分と長いこと雷は続き、犬は興奮して落ち着かない。私は、犬に付き合って、夜、全然眠れない。

ああ。眠れないのは、犬のせいじゃなくて、自分のせいかな。仕事のこと。部長の判断は賢明だった。なのに、考えるたびに、くやしくて。結局、ほとんど眠れないままに朝を迎えた。

--

「あれ。今日、主任、怒らないっすねー。」
入社三年目の、お調子者のカクバが話し掛けてくる。

「うん。犬のせいよ。」
「犬。びっくりするぐらい怖がりでね。」
「あ。分かります。うちの犬も、怖がりなんですよ。だから、むやみに吠えるんで、うるさくてしょうがないんだけど。」
「とにかく、全然眠れなかったのよ。」
「僕としては、叱られなくてラッキーだけど。」
「こら。」

私は、なんだか、カクバに話し掛けられると、おかしくなって笑い出してしまう。そうして、ムードメーカーのカクバを、気の小さい私の隣に配置したのも、部長の配慮だったことを思い出す。

「主任と仕事のこと以外で話しすんの、初めてだなあ。」
「そうだっけ。」
「うん。主任、いつも忙しそうにしてるから。」
「ねえ。私さあ、余裕なさげ?」
「え?」
「いっぱいいっぱいに見える?」
「よく分からないけど・・・。でも、カッコイイなあって思う時もあるから。」
「そっか。」
「気にしてんでしょ。リーダーの人選。」
「そこまで分かられてんじゃ、見栄張ってもしょうがないよね。」
「こんど、デートしましょうよ。主任。たまにはさあ。眉間のシワ、取れなくなるよ。」
「あはは。年下は趣味じゃないんだよねえ。」
「ちぇ。」

私は、つまらない馬鹿話したことで、自分でもびっくりするぐらい気持ちが軽くなって。

--

マキは、いつまでも犬を引き取りに来ない。

「ねえ。あんた、ママに捨てられちゃったみたいよ。」
私は、犬の毛をブラッシングしてやりながら、言う。

頭の上でリボンを結んでやると、結構な美人さんになった。

「あはは。可愛い。」
それから、犬に話しかけるのって、寂しい女みたいかな、と思って、慌ててみたりして。

本当はまだ、あの人の夢を見るんだよ。とか。そんなことも。誰にも言いふらされる心配もないから、私はカシミヤに話し掛ける。

--

そんな夜、マキから電話があった。

「週末にカシミヤを連れて帰るからさあ。長いこと、ごめんね。」
「うん。もう、忘れちゃったのかと思ってたよ。」
「あはは。ほんと、ごめん。感謝してる。」
「どうすんの?ちゃんと飼えるの?」
「えとー。仕事さ、辞めるんだ。」
「え?」
「でね。結婚すんの。」
「誰と?」
「彼と。ヨリ戻したの。」
「はあ?」
「えへへ。ちゃんと言ってなくてごめんね。」

電話切った私は、アホらしくなって、クッションに倒れ込む。そっか。喧嘩の原因は、結婚なのかな、と思ったりもする。

「良かったねえ。カシミヤ。ママに捨てられたんじゃなくて。」
私は、自分でも意外だったのだけど、涙が出てしまった。

「あんたがいなくなったら、別の犬、飼おうかな。」

--

カシミヤは、引き取られていった。マキと、婚約者は、もう夫婦みたいな顔になってて、カシミヤを我が子のように扱っていて。

私は、カシミヤが私と別れるの嫌だってごねてくれないかなと思ったが、そんなこともなくて。

なんだ。

犬って、案外と恩知らずだ、と思った。

--

夜、雷が激しく鳴って。

私は、カシミヤの茶色の毛がついたクッションを抱き締める。

自分のそばで震える子犬がいないのは、随分と寂しかった。

私は、電話を取り上げて、カクバに電話した。

「もしもし。あ、主任?」
「うん。」
「どしたんですか?」
「えと。」

私は、その時、何も話すことがないのに気づいて。

「あ。犬。犬でしょう?」
「え?なんで分かるの?」
「いや。主任が電話してくんのってそれぐらいだから。」
「そう。犬。」
「うちのもね。また、今日、犬小屋で震えてんじゃないかな。」
「あはは。」
「おふくろが、掃除機かけるのも、怖がるし。」
「そっか。」
「ねえ。主任の犬、いつも一人で留守番させてんの?」
「うん。ていうか。」
ああ。なんだか馬鹿みたいに涙が出てしまう。

「どしたんすか?」
「犬、いなくなっちゃった。」
「え?逃げたの?」
「そうじゃなくて。」

私は、そのまま、涙が止まらなくなってしまって。随分と長いこと泣いていた。カクバは、なぜか、私が泣き止むまで、ずっと黙って受話器の向こうにいてくれた。

「ごめん。落ち着いた。切るわ。」
「ちょっと、待ってよ。」
「え?」
「それだけ?」
「それだけって?」
「犬のことだけ?」
「うん。」
「それって、つまんな過ぎ。明日、デートしようよ。」
「デート?」
「でさ。犬。」
「犬?」
「うちの犬、かわいいやついっぱい産んだんだよ。それ、見せに行くから。ね。明日、行くから。」
「ちょっと待ってよ。」
「約束っすよ。」

電話は、切れて。

そんなに急いで切らなくても。

カシミヤのおかげかな・・・。くやしいから、新しい犬はお前よりずっと可愛がっちゃうからね。と、クッションに向かって話し掛ける。


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