セクサロイドは眠らない

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2002年05月28日(火) 無言で聞いていた彼女は、おもむろに口を開く。「恋の行為ってさ。一つ一つが、その恋を終わらせるために作用するのよね。」

僕より十歳ばかり歳上のその人の声は、僕に仕事の指示を出しながらも、どこか艶っぽく。知的で、落ち着いていて、仕事の経験が豊富で。

僕は、その人の、指輪のはまっていない薬指を見つめる。

あんまり僕が見るから、少し顔を赤らめて、
「ここまで、ちゃんと理解してるかな?」
と、小学校の教師みたいな感じで聞いた。

「まだ、分からないみたいです。もう一度説明を聞きたいなあ。」

僕が、わざとそう言うと、彼女は溜め息をついて。

「後は、明日にするわ。もう、帰る時間よ。」
「じゃあ、課外授業をしてよ。先生。」
僕が笑うから、彼女は少し怒ったような顔をして。

僕は彼女の目を見つめる。彼女は怒った顔で、僕をにらみ返す。僕は決して目をそらさない。

「いいわよ。・・・くんは居残りね。」
彼女は、あきらめたように目をそらして、言う。

なんでだろう。こんなに簡単にどうして。

彼女のマンションのベッドルームで、僕は、彼女の大人っぽいワインレッドの下着を見て、感動すら覚える。彼女は完璧だ。仕事ができるだけじゃなくて、大人の女性としての魅力を磨くことも怠らない。

そうだ。なんでだろう。僕の胸は感動でいっぱいになる。

僕は、この女性を探していた。ずっと。こんな素敵な人、他にいやしない。巡り会えたことを神に感謝し、奇跡のような女を抱き締める。

--

「もう、嫌だよ。きみに合わせてばっかりなのは。」
そういう僕の背後から彼女が投げたワイングラスの破片が僕の指を傷付けて、まだ痛むけれど。

僕は、もう、彼女の部屋には行かないよ、と告げて。

仕事の指示を出す声が震えている。今にも泣き出さんばかり。なのに、その姿は、もう、僕の心にカケラも感動を巻き起こさない。

夢のようだった。僕は思う。僕が求めていたのは、完璧に落ち着いた大人の女だった。目の前にいる、愛を貪欲に欲しがる女じゃなかったのだ。

夕暮れの街を、ぼんやり歩く。花屋の前で、突然、水を浴びせ掛けられる。

「うわっ。」
「きゃー。ごめんなさいっ。」

ショートカットにジーンズの、花に水をやっていた女の子が駆け寄る。

「あの。こういう時はどうしたらいいのかな。今、店長出てるんです。」
「いいよ。いいよ。」
「でも・・・。」
「じゃ、こうしよう。きみ、バイト、何時まで?」
「あと一時間で終わりです。」
「じゃ、食事に付き合ってよ。」
「え?」
「それでいい。」
「そんな。」
「僕とじゃ、嫌?」
「嫌じゃないです。バイト料入る前だから助かるし。」
「じゃ、きまり。」

そうやって、僕は、天使のような女の子を見つける。何が気に入ったって?なんだろう?Tシャツの背中から透けて見える、コットンの白い下着が、なぜか胸を打ったんだ。

僕は、緊張する彼女をレストランに連れて行く。細い体なのに、ステーキを美味しそうに頬張る彼女が可愛かった。

そうやって、僕らは知り合った。僕は、その、不器用な若さに感動して、もう、それがどうやったって取り戻せないことを知っているから、彼女を何度だって抱き締めたくなる。僕は、正直、本当に本当に感動していた。

「また、こうやって会ってもらえる?」
「私なんかでいいんですか?」
「きみがいいんだ。」

--

何が失敗だったのだろう。

多分、前の彼女の事を言ってしまったから。大人の女のことを。だから、僕の天使は泣き出した。

そうして、彼女は、自分の子供っぽい事を、何も知らないことを、恥じ、未成熟な体を恥じた。彼女が恥じるあまり、僕らは、キスから先には全然進めなかった。

そうやって、僕らは、だんだん疲れて。

でも、その頃には、僕の天使も、高級なレストランにも慣れて、薄く見せる化粧も上手くなっていた。

僕は、心の中のわずかな残り火をかき集めて、彼女を抱き締めて、言う。

「抱かせておくれ。」

彼女はうなずく。

そうやって、僕らは、ホテルの一室で、初めて肌を合わせる。

「初めて?」
僕は、分かり切った事を訊ねる。

彼女は顔を歪めながら、無言でうなずく。

大人になりかけの彼女の体を抱き締めながら、僕は、なぜか、頭の奥は冷静だった。

彼女の小さな悲鳴と共に、僕は動きを増し、そうやって、彼女の流す一筋の涙を綺麗だと思った。

--

「じゃあ。」
僕は、彼女をアパートに送り届けて、短く別れを告げた。

僕らは、もう、会わない。

彼女が、そのうち、僕に抱かれることにも慣れてしまうのが悲しいから。

僕はひどい男だろうか?

物悲しい気分で、手近な店でビールを注文する。軽く飲んでから、帰ろう。

その時、ふと、隣のテーブルで同じように独りで飲んでいる女に気付く。

ごく普通のOLっぽいけど。この場所で独りで飲むのが似合う女だ。意識過剰でもなく、周囲の喧騒にほど良く馴染んで、くつろいで見える。

「一人?」
「え?」
「一杯だけ、付き合ってくれる?」
「いいけど。口説いても無駄よ。今夜はそういう気分じゃないの。」
「ああ。フラれた男に付き合って欲しいだけ。」
「フラれた?」
「うん。」

そうして、僕は、白いコットンのブラの天使の話を聞かせる。

「ふうん。」
彼女が吸った煙草は、口紅がベッタリついていたりしない。何事も、程よく切り上げる女なのだ。

「彼女に会った時はさあ。なんだか、感動しちゃったんだよね。なのに、なんだろう?時間を掛け過ぎたせいかな。いつの間にか恋は終わってたんだ。」

無言で聞いていた彼女は、おもむろに口を開く。
「恋の行為ってさ。一つ一つが、その恋を終わらせるために作用するのよね。」

なるほど。名言だ。

そうして、僕は、その賢い女に、ほとんど感動する。

「ねえ。また会ってくれる?」
僕は、そのまま別れるのが惜しくて訊ねる。

「いいよ。」

--

二度目に会った時には、僕はもう我慢しきれずに、彼女と激しく抱き合った。コットン天使のせいで、どこか放出できない気分だった僕を、彼女は程よい距離で受け止めてくれた。特別な技巧もない代わりに、僕の欲情に応えて、欲情をぶつけてくるその女は、まさに、僕にピッタリの女だった。

どうして、最初からこういう女と巡り会えなかったのだろう。

僕は、本当に感動していた。抱き合うことで、余計に感動していた。

この先、彼女と一緒にいれば、僕は道に迷うことがないように思えた。

「ねえ。イッちゃうよ。」
「いいよ。一緒にイこう。」

僕らは、早過ぎず、遅過ぎず、完璧なタイミングで達する。

--

週ニ〜三回会って、抱き合った。

僕らは、完璧なカップルのように、急速に理解を深め合って。そうして、喧嘩するようになって。

そうして、もう、僕にとって理解し易い女は、同時に、僕にとって、知り過ぎた女になった。

「もう、終わりにしない?」
最後のベッドで、僕は気だるく問う。

「そうね。」
彼女も、分かっていたように答える。

「恋の行為ってさ。一つ一つが、その恋を終わらせるために作用するのよね。」
最初に会った日、彼女が僕に言った言葉が蘇る。

恋の行為は、あんまりスムーズに事が運んだので、僕らはすっかりと、全ての手順を消化してしまった。

ああ。なんてことだ。なんで、あの日、あんなに感動したいたのに、それは永遠には続かない?

僕は、とぼとぼと夜道を帰る。

--

「ただいま。」
「おかえり。随分と早かったじゃない?」

妻は不機嫌そうにしている。当たり前だ。狭い家の中は、赤ん坊のいろんな匂い。

「少しは片付けたら?」
「じゃ、あんたこそ、少しは早く帰って手伝ってくれたらどうなのよ?」

玄関には、僕が大事に集めていた、映画のパンフレットが紐で束ねて置いてある。

「捨てちゃうのかよ?」
「ええ。だって、部屋、狭いもの。あんた、昔っから、いつも映画見ちゃ、僕はこの映画で一生分の勇気をもらったよ、なんて言ってたけど、あんたほど勇気に欠けた男はいないよね。」

僕は、しゃがみ込んで、映画のパンフレットを、適当に一部抜き取って眺める。

思い出せない。どんなストーリーだったかも。

そう。感動は、そうやって、僕を通り過ぎて行って、大したものを心に残さなかったのかもしれない。

「先に、寝るね。」
妻は、疲れた口調で言う。

今夜も、多分、寝室には入れてもらえないだろう。

だが、僕は、妻を愛している。だから、決して、この家を出て行かない。挑むように、僕にぶつかってくる女。それでも、まだ、僕に忠告してくれようとする女。

僕は、パンフレットを戻す。

明日、資源ゴミに出しちまおう。

そうして、新しい映画を、今度は妻と観に行こう。


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