セクサロイドは眠らない

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2002年05月15日(水) 「ねえ。先生。私の下着の色、当ててみて。当ててくれたら、次やってあげる。」僕はため息をついて・・・。

「じゃあ、次の問題、行くよ。」
「ねえ。先生、もう疲れちゃったよ。」
「駄目。まだ、二問しか解いてないだろう?もう一問やったら休憩していいよ。」
「ちぇ。」
「さあ。」
「ねえ。先生。私の下着の色、当ててみて。当ててくれたら、次やってあげる。」
「・・・。」
「じゃあ、見せてあげようか。」
「こら。次の問題。」

僕は、わざと怒った顔をしてみせる。

アヤカは、膨れっ面になって机に向かう。

ノックする音がする。

「はあい。」
アヤカは慌てて、スカートの裾を引っ張って座り直す。

アヤカの母親が、ケーキと紅茶を持って入ってくる。危ないところだ。アヤカが僕に下着なんか見せてたら大変なことになるところだった。

「お勉強、進んでて?」
「はい。」
「アヤカのことで困ることがあったら何でも言ってちょうだいね。」

アヤカの母親はにっこりと微笑んで、出て行く。

「さ。続き。」
「はあい。」

--

僕は、アヤカの母親に頼まれて、アヤカの家庭教師をしている。普通より裕福な家庭の娘なので、家庭教師代もちょっとビックリする額をもらえる。

ただし、この、アヤカという女の子に、僕はいつも振り回されている。今時の女子高生。勉強が嫌いで。遊ぶのが好きで。時々うんざりしながらも、僕は何とか彼女に勉強を教えている。

「ねえ。先生。」
「ん?」
「終わったよ。ケーキ食べていい?」
「いいよ。良かったら僕の分もどうぞ。」
「ほんと?わーい。」

ケーキを前にして顔を輝かせている彼女は、全く子供みたいで。

僕は思わず苦笑する。

可愛い子なんだけどな。これで、勉強教えなくて済むなら、僕はもうちょっとこの子が好きになるに違いない。

--

雨が降っている。今夜は家庭教師はなしだ。

僕は、部屋で独り、ラジオを流して物思いにふけっている。

誰か来たようだ。

「誰?」
「あたし。開けて。」

アヤカだった。

「どうしたの?こんな夜に。」
「家、飛び出して来ちゃった。」
「飛び出して来たって。困るよ。」
「ねえ。お願い。ちょっとだけいさせて。」
「いいけど。とにかく、服、なんとかしなくちゃびしょぬれだよ。」
「うん。」

僕は、乾いたタオルと、洗い立てのトレーナーを渡す。

突然、濡れたままのアヤカが僕に抱きついてくる。

僕は、彼女を抱き返せない。

「ねえ。先生。好きなの。」
「そういうの、無し。僕は、きみに勉強を教える。それだけ。」
「なんで?ねえ。」
「なんでって。きみは子供だ。」
「そんなに変わらないじゃない。」
「とにかく、駄目。」

困り果てて、僕は溜め息をつく。

「なあ。アヤカ。お前、どうしちゃったんだよ。」
「何が?」
「最近、お前、荒れてるだろう?パパやママに迷惑掛けてるだろう?」
「知らない。だって、みんな嫌いなんだもの。」
「俺、知ってんだよ。きみのお婆さんが亡くなった時。あの時、きみは、すごく泣いてた。僕が思わずもらい泣きしちゃうくらいに、ね。髪も染めてなくて。爪も伸ばしてなくて。あの時、僕は、きみがすごくいい子だって思った。」
「何で知ってんの?」
「あの時、僕もいたからさ。」
「おばあちゃんがいなくなって、すごく寂しいの。あたしの話聞いてくれてたの、おばあちゃんだけだったから。」

彼女は、泣き出す。

「だからさ。おばあちゃんのためにも、いい子でいよう。」
「ねえ。駄目なの。先生がずっと見ててくれなくちゃ、頑張れないの。」
「僕は、見てるよ。」
「駄目なの。もっと一緒にいてくれなくちゃ。」
「それはできない。」
「・・・。」
「じゃあ、こうしよう。アヤカが大学に合格したら、デートする。それでいい?」

アヤカは黙ってうなずく。

「シャワー浴びておいで。」
タオルを拾って手渡しながら、僕は言う。

アヤカがバスルームにいる間に、僕は彼女の家に電話をして。

アパートの外で車の音がする。

アヤカは、僕のブカブカのトレーナーを着たまま、「約束よ。」と、念を押す。

僕はうなずく。

アヤカの母親が、
「本当に迷惑ばかり掛けてごめんなさいね。」
と、困惑した顔で言う。

「いいんです。そういう時期なんでしょうから。誰かが付いててあげなくちゃ駄目なんですよ。」
「じゃあ、あの子と一緒にいてやって。お願い。あの子、私が嫌いなのよ。」
「僕は、勉強を見るだけです。」

車が走り去る音を聞きながら、母娘の溝の深さについて考える。

--

合格発表の日。

事前に僕は、アヤカに言っておいた。
「後から行くよ。」

だけど、僕は行かない。

僕の代わりに行くのは、僕の友人。彼女の祖母の葬儀の日、僕は友人に連れられて、葬儀会場で初めて彼女を見た。

僕の友人は、アヤカを愛していて。

いい友人だ。サッカーもうまいし、真っ直ぐなヤツだ。誠実だし、きみが泣いたら包み込むこともできる。きっと、僕の代わりに、きみを慰めてやれるだろう。

だから、僕が今日行かないことで悲しまないで。

僕は、今、受話器を持つその人のそばにいる。

「そう。おめでとう。」
その人の顔が、パッと明るくなる。

「合格したそうよ。」
振り向いた彼女の目は涙ぐんでいる。

「おめでとうございます。彼女はよく頑張りました。」
「あなたのおかげよ。」
「僕は・・・。」
「アヤカ、あなたが好きなのよ。」
「分かってます。だけど、僕は、本当のことを言えば、彼女の合格なんかどうだって良かった。」
「言わないで。」
「いいえ。僕がこの一年間、アヤカのそばに付いていたのは、あなたのためだって知ってたくせに。」
「お願い。」
「言わせてください。僕は、アヤカなんかどうだって良かった。ただ、あなたに喜んで欲しくて・・・。」

彼女は、苦悩しても美しい。

「もう、行きます。僕は、もうここに用はないから。」
「本当に・・・。ありがとう。」
「それだけですか?」

彼女は、僕の目を見ないで、美しい手を差し出す。

僕は、その白い手の甲に口づけて。
「さようなら。」
と、つぶやく。

僕がいなくなれば、アヤカの反抗心もやわらぐかもしれない。誰よりも僕の気持ちを知って苦しんでいたのは、アヤカだったのだから。

僕は、一年間、今日の終わりを見据えて、ここに通い続けた。

僕は、精一杯やった。他にどうすることができただろう?それでも、どうにも動かせないものが、この世にはある。

もう、この家に来ることもない。

春の雨は、まだ、続いている。


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