セクサロイドは眠らない

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2002年05月14日(火) 気の強そうな口元は、僕が抱き寄せるとかすかに開いて、美しい歯がのぞいた。

僕はくたびれたウサギで、毎日毎日、満員の通勤電車に乗って会社に行く。上司に怒られ、客に怒られ、くたくたになって、最終の電車に乗って帰ると、キッチンのテーブルには冷たく冷えたニンジンスープ。たまに起きてテレビを見ている妻は不機嫌そうな顔をして僕を冷たくにらむだけ。

どこでどう間違ったかは知らないが、僕の人生は、そんな感じで、僕自身を絶望させていた。

妻の不機嫌は、日を追ってにひどくなり、僕は帰宅するのも苦痛になって、それから、妻が不機嫌なのは僕が妻の体に触れないせいではないかと思い直す。だから、ある夜、帰宅前に少しビールを飲んで、それから、思い切って、先にベッドで眠っている妻の横に入ろうとして。

妻に激しく肘鉄を食らわされた。

「いやだ。気持ち悪い。何考えてるのよ。あっち行ってちょうだい。」

僕は、すごすごと布団を出て、それから、キッチンに座ってビールを飲む。妻が布団を追い出してくれて良かった。だって、妻を抱こうとしたところで、余計に妻を不機嫌にさせるところだった。と、自分のくたびれた体に溜め息をつく。

翌朝、妻は、更に不機嫌だった。

僕は、飲み過ぎだった。

妻は、僕の顔を、本当に冷たい目で見つめた。その時、僕は唐突に、妻の首を締めてやりたいと思った。ほんの一瞬だったけど。

--

「なんだ?これは?」
会社に着くなり、上司が僕を呼びつけて、叱る。昨日出した報告書が気に入らなかったらしい。

「すみません。作り直します。」
「大体、きみ、やる気があるのか?一度目は、まあ、いい。二度も三度も同じこと繰り返してどうするんだよ。」
「はい。どうもすみません。」

僕は、上司のヒゲが怒りでプルプル震えるのをボンヤリと見ながら思う。僕も、グレーの毛をしていたら良かったな。僕の毛は白だ。だが、白は薄汚れて、どうにもみすぼらしい。僕が会社でも家でも馬鹿にされるのは、このくたびれた毛色のせいかもしれないな。

「聞いてるのかね。」
「は、はい・・・。」

それから、僕は、席に戻り。

その瞬間、朝の妻の目を思い出す。

僕は、急に、どうしようもなく腹が立ち、席を立ち、部屋を出る。

「おい。どこに行くんだね。」
上司が背後から呼んでいる。

僕は、もう、駆け足にすらなって。

それから、誰もいないのを確かめて、トイレに入ると、ウサギの毛皮を脱ぐ。

鏡を見ると、ライオンがいた。

僕は、部屋に戻り、周囲の叫び声を聞き、机をなぎ倒しながら、上司の前に行った。そうして、首を押さえ、体重を掛けた。

鈍い音がして、上司はあっけなく死んだ。

僕は、その薄汚い体に牙を立て、むさぼり食った。

始めて食べる、肉と血の味。僕は、その味に酔いしれ、全部食べ終わったところで、口の周りについた血を舐めて、満足の声を上げる。

同僚達は、怯えたように僕を見ていた。

僕は、さっさと部屋を出ると、また、トイレに行き、ウサギの皮をかぶった。それから、今日は仕事にならないだろうと判断して、家に帰った。

--

「おかえりなさい。随分と早いじゃない?」
妻が、皮肉な口調で言う。

「ああ。ちょっと事故があってね。仕事にならないんで引き上げた。」

妻は、僕に文句を言うような顔で口を開いて。

それから、僕の様子がいつもと違う事に気付いて、口を閉ざす。

「こっちこいよ。」
僕は、言う。

妻は、うなずいて。僕に身を預けてくる。

久々にゆっくりと見た妻の顔は、美しかった。気の強そうな口元は、僕が抱き寄せるとかすかに開いて、美しい歯がのぞいた。

「僕に抱かれるの、嫌じゃなかったの?」
僕は、くつくつと笑う。

「今日のあなたは、どこか違うわ。別の人みたい。」
溜め息のように答える。

僕は、妻に口づけた。

妻は、僕の体が発する血の匂いが気に入ったようだ。僕にねじ伏せられて、恍惚の表情を見せてくる。

本当に久しぶりだった。

妻は、満足そうに僕の傍らに横たわる。
「ねえ。どうしちゃったの?」
「さあ。」

どうしちゃったのかは、僕にも分からない。僕は、自分の体を探すけれど、もう、自分の皮を脱ぐファスナーはどこにも見当たらない。

--

翌日から、僕は、相変わらずの人生を送る。

新しく来た上司に、やっぱり怒られて。

あの日、機嫌を直したかに見えた妻は、変わらず冴えないウサギ生活を送る僕に、次第に失望していって、元の不機嫌な女に戻ってしまった。

朝から喧嘩をふっかける妻に、言い返す気力もなく死んだ目で答える僕に、妻は罵声を浴びせる。

その瞬間。

僕は、妻の白い喉元を見る。

そうして、ゴクリと唾を飲み込む。

妻も、それに気付くと。

途端に黙って。

--

夜、僕らは、無言のまま、交わる。

「ねえ。時々、あなたって、ものすごく怖く思えるんだけど?」
妻の言葉に、僕は答えない。

僕自身、自分がいつライオンになるか分からないと思うと、正直怖いのだ。いつか、そのうち、妻をこの手で殺してしまうかもしれない。その喉に、歯を立てる瞬間を何度も何度も思い描いた。一度知った興奮は、更なる興奮を求めて体の中で騒ぎ立てる。

だけど、僕をライオンにするのは、妻の挑むようなその瞳。

僕は、妻ののけぞった喉に口づけながら、体を動かす。

ねえ。ライオンに抱かれるのは楽しいかい?きみが怒らせてくれないと、きみに欲情しないのはどうしてだろう?

結局、こんな風にならなくちゃ、僕らは全然興奮しなくて、生きているって思えないのはどうしてだろう?


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