セクサロイドは眠らない

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2002年04月12日(金) 「お前さんも、随分と悲しそうだな。」「ええ。」「もっとも、ここいらの住人はみんな悲しそうだ。」

ここいらあたりは、夕暮れは特に交通量が多い。私は、行き交う車を眺めながら腰をおろす。

「見なれない顔だな。」
老人が私の顔を見て、そんなことを言いながら、横に腰をおろした。

「おじいさんは?」
「私は見ての通り。随分と長くここにいる。」
「私は、一週間くらい前に来たの。」
「なるほど。」

老人は、何かを納得したようにうなずき、それから、交差点の向こうに目をやる。犬が一匹、太った女に連れられている。痩せて、あまり元気がなさそうな犬だ。女に引きずられるようにして、ヨタヨタと歩いている。

横断歩道を渡ってこちらまで来ると、老人のほうに鼻を寄せて、クンクンと鼻を鳴らし、老人も、一言、二言、声を掛けてやっている。

「もう、行くよ。」
女が、紐をぐいと引くので、犬はよろめいて、女について歩きだす。

「あの女性は、私の娘なんだよ。」
「そうなんですか。でも、あまり犬のことを可愛がってないみたい。」
「あの犬は、亡くなった私の妻が飼っていた犬なんだよ。妻は三年前に亡くなった。あの犬も、もう随分年寄りで、散歩に行くのさえ一苦労なのに、いつもこうやって私に会いに来てくれるんだよ。まあ、娘も、ああやって犬の世話を押し付けられて迷惑なんだろうが、それでも、世話をしてくれている。感謝しなくてはな。」
「あの犬、なんだか、悲しそうな目をしてた。」
「年老いた犬というのは、いつも悲しそうな目をしているものだ。」

老人は、微笑む。それから、煙草を取り出すと、火をつけて、随分とおいしそうにゆっくりと吸い込む。

「妻があの犬を飼いたいと言い出した時には、私は反対したんだがな。もう、私らも先が短い。今から犬なんか飼ったら、犬を残して行かなきゃならなくなるってな。でも、妻がどうしてもとせがむから。」
「奥さんのこと、愛してらしたんですね。」
「結局は、妻が逝ってしまった後、あの犬が私を救ってくれた。あの犬がいなかったら、私はきっと妻の後を追っていたことだろう。妻は、最初からそれがわかっていて、犬なんか飼いたいと言いだしたんだよ。私が、孤独にはひどく弱いことを知っていてな。妻は、いつだって先のことを考えて行動できる女だった。」
「うらやましいわ。」
「若い頃は、よく喧嘩もしたがな。」

私は、本当にうらやましかった。長く連れ添った夫婦がお互いのことを語る時に浮かべる、暖かい眼差しは、長年掛けて磨かれた宝石のように美しかった。私と彼も、そんな夫婦になることができたなら、多くの苦しみも悲しみさえも、宝石に深みを与える出来事になったかもしれないのに。

だが、私と彼は、もう・・・。

--

「お前さんも、随分と悲しそうだな。」
「ええ。」
「もっとも、ここいらの住人はみんな悲しそうだ。」

私は、ガードレールに添って置かれている花やら、人形やら、酒瓶やらを眺める。

ここ、霧ノ町三町目の交差点は、事故が多くて有名な場所なのだ。

夕暮れも近付くと、こうやって、私や老人のような霊達が、静かに現われる。そうして、思い出を語り合ったり、ただ、そこにたたずんだり。

--

一週間前の夜、私は夫を待っていて、ここで車に跳ねられた。

あの夜の私は、もう、完全におかしくなりかけていて、仕事で遅くなる夫を出迎えるために、このあたりをフラフラと歩き回っていた。まだ新婚三ヶ月目なのに、夫が仕事で忙殺されて日曜でさえほとんど休めない状況が、あんまり寂しくて、疑心暗鬼になった。

あの夜、会社の同僚の女性と一緒に歩いていた夫のそばに駆け寄ろうとして、私は他に何も見えなくなっていたのだ。

--

「私は、ここで一生、夫を待っていることになるのかしら?」
「そんなことはない。肉体というのはコップで、魂というのはコップの中身のようなものだ。コップは、いつかは壊れる。そうして、しばらくはコップの記憶と共にいる魂も、いつかは新しい器を得る。」

夜も更けた頃、向こうから、男性が歩いて来る。

今日も片手に花を一輪。

私の足元にそっと置く。

私は、手を伸ばすが、夫にはさわれない。

少し痩せたみたい。ちゃんと食事しているの?

私の言葉は彼には届かない。

しばらく目を閉じていた彼は、立ち上がり、ゆっくりと夜道に消えて行く。

こうやって、毎晩。だが、いつか、彼が私のことを忘れて誰かと一緒になっても、私はいつまでも彼を待つのだろうか。

「ゆっくりでいいじゃないか。時間はたっぷりある。」
老人は、私を見て微笑む。

「さて、私は、そろそろ行くよ。ばあさんが待ってる。」
老人は立ち上がる。

振り向くと、小柄な老女がニコニコと私達のほうを見ている。それから、二人連れ添って、闇に消えて行く。

もうすぐ、あそこに犬が一匹加わるのだろう。

それは、とても暖かい光景のように思えた。


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