セクサロイドは眠らない

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2002年04月10日(水) 私は、若く美しい体に抱かれながら、そんなことを思う。ふと、ホテルの鏡の中に自分の醜い姿を見て、身震いして目をそらす。

地味で冴えない。

それが、OL五年目の私への周囲の評価だった。

確かにそうだ。どことなく垢抜けない服装、下半身のほうに比重が大きい体型、しゃべるよりはいつも聞き手に回る性格。おかげで、大学を出て依頼、恋愛らしい恋愛もせずに今日まで来てしまった。

整形でもしようかしら。

なんてことも考えてみる。最近では、プチ整形なんてものが流行っていて、気に入らなかったら戻せるみたいだし。でも、そんなことしても、私の人生が劇的に変わるわけでもないわね。

今日も、同僚からの誘いもなく、真っ直ぐ帰宅する。猫のワッフルが足にまとわりついてくる。

「待っててねえ。」
と、ワッフルに言いつつ、金魚に餌をやる。

金魚は、私の影が見えると、すっと水槽のふちに寄って来る。餌をやるついでに、指を水面に滑らせると、金魚もその指を追って泳ぎ、それから、餌のほうに向き直って食事をする。魚なんてあまり頭が良くないと思っていたのに、この金魚はなんだか賢いわねえ、などと思いながら、今度はワッフルの餌を用意する。

一日部屋に閉じ込めたままなのがストレスなのか、ワッフルの毛は随分と減ってしまった。その背を撫でながら、「ごめんね。」とつぶやく。結婚して、家に入って、猫の世話をして一日暮らせたらいいなあ。などと夢のようなことを思いながら、私は、キッチンに立ち、コンビニで買って来たお弁当を温める。

つまらない日々。

--

新人歓迎会があり、めずらしく終電間際まで飲んでいた。同僚と分かれて、繁華街を駅に向かって歩く。ふと、路上の異国の物売りが並べている真っ赤な小壜が気になって、手に取る。

「ソレ、ラブ・ブラッド、ネ。」
「ラブ・ブラッド?」
「イイ、カオリ。アイ、ヲ、ハコブ。」
「愛・・・。」
「ソウ。」
「これ、ちょうだい。」
「アマリ、ツケスギナイデ。オオクモラウト、オオクナクス。」

私は、その妖しげに光る壜を大事に抱えると、終電に遅れないようにと急ぎ足になる。

--

翌日、ラブ・ブラッドを手にすると、私は、そっと耳たぶにつけてみる。濃く甘い香りが一瞬立ち昇るが、つけてみると案外と邪魔にならない。

香り一つで、随分と気持ちが華やかになる。私は、その日、なんとなくウキウキとした気分で仕事に取り組んだ。

いつもは小言ばかりの上司も、今日は機嫌が良さそうだ。

隣の席の同期が笑う。
「今日、調子良さそうじゃん。」
「まあね。」

そんな調子の日がニ・三日続いたある日、上司からメールが届いた。

「今夜、暇なら付き合わないか?」
私は、思わずドキリとする。

いつも皮肉なコメントをしてくる上司だが、ひそかに憧れている女子社員は多かったから。思わず、宛先が間違っているのじゃないかと確認してから、返事を出す。
「OKですよ。」

--

「どうしたんですか?私なんか誘って。」
「いや。最近、きみのことがどうも気になってね。仕事のほうも調子が良さそうだし。」
「ええ。なんだか調子がいいんですよ。」

私は、勧められるままに強い酒を飲む。

少し酔い過ぎたかな、と後悔し始めた頃に、彼が耳元でささやく。
「今夜、妻は旅行でいないんだよ。」

私は、体の中が、カッと一気に熱くなる。こんなの初めてだ。

私は、黙ってうなずく。

--

明け方、帰宅すると、いつものようにワッフルがまとわり付いて来た。

「待っててねえ。」
私は、これまたいつものように金魚の水槽に行く。

金魚が腹を見せて浮いていた。

どうしたことだろう。

私は、慌ててワッフルを見るが、まさか、ワッフルがやったわけもないし、と思い直す。

--

それから、私と上司は、ずるずると落ちて行った。もう、仕事中でさえも二人で客先に行くと言っては、抱き合う日々。

こんなことをしてたら、駄目だ。私は、焦燥の中である決意をする。

そうして、別れを切り出すために上司をディナーに誘う。仕事ももう辞めよう。決意してしまえば楽だった。私は、最後に彼の目に焼き付けるための精一杯のおしゃれをし、ラブ・ブラッドを多めに振りかける。鏡の中の私は美しかった。

「そうか。」
彼の目が悲しそうに光った。

「ええ。もう、駄目だと思うんです。こういうの。」
「私も、そう思っていたよ。」
「じゃあ、きれいにお別れしましょう。会社も辞めます。」
「駄目だ。」
「え?」
「きみとは別れられない。一生、そばにいておくれ。」
「どういう・・・?」
「妻とは離婚した。」

それから、彼はテーブルの上に、婚姻届を置く。
「駄目かい?」

私は驚いて、声も出ない。

夢の中にいるような気分で、アパートの鍵を開ける。

いつものようにワッフルが出てくるのを待つがいつまで経っても姿を見せない。

「ワッフル?」

それからしばらくして、冷たく固くなった猫を見つける。

--

あれから十年。私は平凡な主婦におさまっている。あれだけ恋焦がれた結婚も、手にしてみれば随分とつまらない。

ラブ・ブラッドは、もう使うまい。偶然かもしれないが、私が恋に手を取られるたびに、大事な命を失った。そう思っていたのに、私は、今日、クローゼットの奥から、その邪悪な赤の壜を取り出す。

私は、目一杯のおしゃれをして、待ち合わせの場所まで出掛ける。

大学生の彼は、まぶしそうに私を見るなり、私の手を握ってくる。

「ちょっと、よしてちょうだいよ。こんな人前で。親子にしか見えないのに。」
「かまわないよ。もう、僕はきみに夢中なんだから。」

体を寄せて来るので、私の下半身は溶けるように燃える。

何もかも、あの香水のせい。

私は、若く美しい体に抱かれながら、そんなことを思う。

ふと、ホテルの鏡の中に自分の醜い姿を見て、身震いして目をそらす。

--

大丈夫。あの邪悪な香水の生け贄にするために、私は、新しい猫を飼い始めた。後ろめたい気分を抱えながら、急いで帰宅する。

ニャー。

私は、猫の姿に、なぜかホッとする。

ああ。馬鹿みたい。ラブ・ブラッドが命を奪うなんていう迷信は、私の後ろ暗い気持ちが生み出した妄想だったのね。

私は、シャワールームに行こうとしたところで、電話の音に足を止める。

「もしもし。はい?そうです。え・・・?」

電話の向こうでは、幼稚園に通っている息子の担任が何かをしゃべっている。遊具から落ちた事故で。どうしたって・・・?私は混乱して、うまく返事ができない。じっとりと汗がにじみ、ラブ・ブラッドが卑猥な残り香と混ざって、私の脇の下から立ち昇る。


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