セクサロイドは眠らない

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2002年04月09日(火) 彼女が気まぐれに僕の体に乗ってくると、僕は、黙って彼女を受け入れる。彼女のセックスは、静かで、小さな吐息だけが響く。

僕は、人からよく、ぼんやりした性格だと言われる。優柔不断というやつだ。そう。人生何事も受け身だ。しょうがない。性格はそう簡単には変えられない。今までそうやって生きてこれたのだから、何も問題はない。

今夜も、唯一の女友達のサエコから呼び出されて、随分と遅い時間まで付き合わされている。明日も仕事だからそろそろ切り上げたいと思うのだが、なかなか言い出せない。妻子がある男に捨てられたらしい。口では、自分から見限ってやったと言うけれど。

「結局、男は家庭を捨てられないのよ。私なんか、全然家庭的じゃないもの。料理なんかほとんどしたことないの。あーあ。誰か主夫になってくれないかなあ。ねえ。ねえってば、聞いてる?」
「あ・・・。ああ。」
「あんたに言っても分からないわよね。どうせ。女の子と付き合ったこともないくせに。」
「女の子と付き合ったことくらいはあるよ。」
僕はむっとして答える。

「へえ?自分から告白して?」
「いや。向こうからだけど。」
「どうせあんたのことだわ。相手の言いなりだったんでしょう?」
図星だ。

「あんたっていい男なのにねえ。その性格さえなんとかなれば。」
「よく言われる。」
「ねえ。最後に泣いたのって、いつよ?」
「え?」
「最後に泣いたのは?」
「忘れた。そういえば、最近は泣いてないなあ。それがどうしたの?」

横を見たら、サエコは酔いつぶれて、眠っていた。僕は仕方なく勘定を済ませると、サエコをタクシーに押し込んだ。頬に、涙の跡。

「そんなに泣くなよ。そのうちいい男が現われるよ。」
タクシーを見送りながら、僕はつぶやく。

--

帰宅すると、部屋にソレはいた。裸の女の子。長い髪。

「誰?」
「ここに、おいてくれない?」
「いいけど。」

僕は、唖然としながらも、取り敢えず誰の頼みも受け入れてしまう性格で、彼女のことも受け入れてしまったのだった。慌てて彼女の肩にタオルを掛けると、酔いも醒めた頭で、いろいろ考える。きれいな女の子だけど、どこから来たんだ?いったい、どうしてここに?

僕がアレコレ考えていると、彼女は一言、
「寝るね。」
と言って、僕のベッドに潜り込んでしまった。

僕はしょうがないから、床に毛布を敷いて眠る。なんだって言うんだろう?

--

次の日から、僕と、女の子の奇妙な生活が始まった。

彼女は、ほとんど口を利かず、一日家の中にいる。僕は、仕事から帰ると、二人分の食事を作り、一緒に食べる。それから、また、それぞれ勝手に過ごして、僕が布団に入ると、彼女が横に滑り込んでくる。そうして、一緒に眠る。猫と一緒に暮らしているようなものだ。彼女が気まぐれに僕の体に乗ってくると、僕は、黙って彼女を受け入れる。彼女のセックスは、静かで、小さな吐息だけが響く。

僕は、そんな生活も悪くないと思い始めていた。仕事の帰り、今日は何を食べようかと考えながら買い物するのも楽しい。案外と主夫に向いているのかもな。

帰宅すると、彼女が、トレーナー姿で寝っ転がっている。僕は、部屋に明かりがついている喜びに安堵しながら、キッチンに立つ。

ある日、僕が帰宅すると、彼女は赤ちゃんを抱いていた。
「なっ・・・?」
「あかちゃん。」
「分かるけど。どうすんの?」
「もちろん、育てる。」

彼女は、するっと服を脱いで裸になると、その豊かな乳房を赤ん坊の口に含ませた。僕は、びっくりしたけれども、その幸福そうな光景を見ると、こういうのもいいかな、と思えるのだった。

--

僕は、幸福だ。

唐突に、そんなことを思った。

彼女は、むずかる赤ん坊を低い声であやし、僕はその傍らにいて、幸せだった。

彼女は、ふと、顔を上げて僕を見た。

「なに?」
僕は、何か言いたそうにしている彼女に訊ねた。

「ねえ。ずっと、守っていてくれる?ずっと。生涯。私も。この子も。」
あまりに唐突で真剣な問い掛けに、僕は答えられなかった。

考えてもみれば、今までそんな話をちゃんとしようとしたこともない。

「一生?それって、結婚ってこと?」
「いいえ。」
「僕は・・・。約束なんかできないよ。こんな男だし。きみのこと、愛してるよ。だけど、今は、まだ自分のこれからのことに自信がないから、約束はできない。」

彼女は、黙っていた。

随分と長いこと。僕を見つめて。随分と寂しそうな目で。

それから、
「そう。」
と答えて、また、赤ん坊をあやし始めた。

僕は、ほっとして、ベランダに出る。

サエコに電話してみようかな。考えてみたら、すごいよな。いつの間にか子供までいて。結婚?そのうち考えよう。でも、今はよく分からない。こんなこと、まともに考えたことは人生で一度だってなかったから。

--

朝、起きると、彼女はいなくなっていた。赤ん坊もいなかった。

彼女がいた痕跡すら、何もなかった。

僕は、慌てて部屋を全部探し回ったが、何一つ残ってなかった。

来た時と同じように、ひっそりといなくなってしまった。

なんだったのだろう?長い長い夢を見ていたのだろうか?

--

彼女がいなくなった生活に慣れるのには少し時間が掛かった。仕事から帰る時、食材を買う楽しみも半減した。毎日、ビールをたくさん飲むようになった。

ある夕暮れ。道端で子猫の体を舐めてやっている母猫を見て、唐突に痛みが襲ってくる。ある存在が永遠に自分の目の前から消えてしまったと認めるのは、なんて時間が掛かることなんだろう?

胸が痛くて。

帰宅して、ビールを飲んで、それから少し泣いた。

あの時、約束をしていれば、失わずに済んだのだろうか?その前に、僕は自分からあの子を抱き締めたことはなかった。いつだって遠くから愛していただけだった。赤ん坊だって、自分の子供だと思ったことはなかった。ただ、幸福な光景に浸っていただけなのだ。

「最後に泣いたの、いつ?」
ふと、サエコの声が耳に蘇る。

サエコ、どうしてるかな?僕は、彼女に電話する。

「もしもし。サエコ?」
「やだっ。あんたどうしてたのよ。みんなで噂してたのよ?」
「元気にしてるかなと思って。」
「ちょうど良かった。ねえ、聞いてよ。また、新しい恋、駄目になっちゃったの。ね。暇なら飲みにおいでよ。いつものとこにいるからさ。」
「ああ。待ってろよ。」

僕は、急いで、サエコに会いに行く。

世界のありとあらゆることが、夢と消えてしまわないように。僕は、歩いて。言葉を交わしに行く。

いつも聞いてばかりじゃなくて、今夜は僕の話をしよう。

ねえ。僕、案外と、誰かのために料理するの好きみたいなんだよ、とか、そんなことを。


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