セクサロイドは眠らない
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2002年03月29日(金) |
唇が離れた時、彼女は抵抗をやめた小鳥のようにぐったりとして、口から深いため息が洩れる。 |
春である。
僕の社にも、新卒が幾人か入ってくる。
「今年は可愛い子いるかな?」 隣に座ってる同僚が言う。
「あんまり期待すんなよ。」 と、僕は笑う。
その日の午後、僕らのフロアに配属された女の子の一人を見て、僕は息を飲む。 「彼女だ。」
もちろん、彼女であるわけがない。彼女は、数年前に事故で亡くなったのだから。だが、なんて良く似ているんだろう。とりわけ、少し横を向いた時の頬から唇にかけての曲線。僕は彼女から目が離せない。
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それから数週間して、新人歓迎会があったので、僕はさりげなく彼女の横に座る。
最近の女の子は本当によく飲む。彼女もご多分に漏れず、どんどんグラスを空ける。かなり酔いが回った頃、彼女は言う。 「課長さんって、かっこいいですよね。みんなで噂してるんですよ。」 「そうか。それは嬉しいな。」 「ね。結婚、なさってるんですか?」 「結婚?いや。してない。」 「すごくモテそうなのに。あ。そうか。モテるから、結婚したくないんですね。」 「そういうんじゃないんだ。婚約者が事故で死んでしまったんだよ。」 「あ・・・。ごめんなさい。私って、酔うとつい余計なこと言っちゃうみたい。」 「いや。いいんだ。それより、きみ。僕の婚約者だった人に似てるよ。」 「え?そうですか?」 「うん。口元かな。口元にえくぼができるところ。」 「わあ。なんか嬉しい。きっとその人、すごく素敵な人だったんでしょうね。」
彼女が、ビール瓶を取ろうと手を伸ばしたので、僕は、その手をそっと掴む。 「もう、やめておきなさい。」
彼女はコクリとうなずく。
目のふちが少し赤くなって。ああ。やはり、彼女に生き写しだ。
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隣の同僚と仕事帰りに立ち寄った店で、同僚がニヤつきながら僕に言う。 「あの子にかなりご執心みたいだな。ほら、あの新人の。」 「ああ。あの子か。似てると思わないか?」 「え?誰に?ミサちゃんにか?」 「ああ。」 「そうかなあ。」 「ああ。僕にはそっくりに見える。もちろん、よく見れば随分と違うところも多いのに、どうしてだろうな。」 「それで彼女が気になるのか?」 「ああ。」 「気をつけろよ。彼女は、生きてる。生身の人間だ。死んだ人間のことを重ねるな。」 「分かってるよ。」
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その日、随分と遅い時間に、外回りから帰ると、まだ彼女が一人で残業していた。
「どうしたの?一人?」 「え、ええ。ちょっとミスっちゃって。」 「どれ、見せてごらん。」 「あ、いいんです。一人でやれますから。」 「でも、きみを一人残して帰るわけにもいかないだろう。」
僕は、彼女のそばのデスクに腰掛けて、書類を取り上げる。
「こりゃ、一人じゃ無理だ。手伝うよ。」 「すみません。」
僕達は黙々と仕事を片付けて、気付けばもう随分と遅い時間だ。
「送って行くよ。」 「いいんです。」 「何言ってるんだよ。こんな時間に一人で放り出せるものか。」
僕らは、無言で、歩く。
「・・・、あの。」 「何?」 「この前はすみませんでした。私、酔ってて・・・。」 「ああ。いいんだ。」 「怒ってらっしゃるかと思って。」 「そんなことを気にしてたの?」
僕は、彼女の唇が動くの眺めている。
気付いた時には、僕は、彼女を抱き締めていて、その唇が、僕の知っている唇か確かめようとしていた。
「やっ・・・。」 彼女の体の力が抜けるまで、僕は強く抱き締めていたから。唇が離れた時、彼女は抵抗をやめた小鳥のようにぐったりとして、口から深いため息が洩れる。
「ひどい・・・。」 彼女は、泣いていて。
僕は驚いて立ち尽くす。
彼女は、僕に背を向けて走り去った。
やっぱり、あれは彼女じゃない。彼女は、差し出された腕に平気でしなだれかかっていくような女だった。
僕は、行きつけの店で、間違えてついばんだ唇を忘れるために、グラスを重ねる。
それから、フラフラとアパートに戻る。
ドアの外に人影。
彼女だ。
「来てくれたんだね。」 どこかに飛んで行ってしまったと思った青い鳥は、僕のカゴの中にいた。
「入れよ。」
彼女は黙ってうなずく。
「課長。私、あの。ごめんなさい。ああいうの慣れてなくて。」 「いいよ。もういいよ。」
僕は、背後から彼女を抱き締めて、長い髪をかきあげると、うなじに口づける。
白くて細い首。
やっと会えた。
その首は、今、目の前にあって、強い力を加えるとすぐにも折れてしまいそうだ。
やっと。
きみとの時間を終わりにしないと、僕は自由になれない。他の男の車に乗って事故で逝ってしまった、きみ。随分と待っていた復讐の時間が、やっと巡って来た。
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