セクサロイドは眠らない

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2002年03月26日(火) まだ、天使になり立ての私は、彼のそばに飛んでいく術も知らないでオロオロと、空から眺めているだけ。

彼の事務所に電話する。

もう、電話番の女の子も帰った時間。

彼は出ない。

いつまでも、いつまでも、耳元でコール音。

あきらめて電話を切って、「誰も電話に出なくて良かった。」と思う。電話番の子が出たら、すぐさま電話を切っていただろう。彼が出たら・・・。私はきっと困っていただろう。職場には電話しないでと言われているから。とにかく、今日、繋がらなくて良かった。あんまりうるさいくらいに電話をしていることを、彼に知られなければいいと思う。今日は、もう、お仕事は仕舞ったのですか?

--

彼には奥さんがいて。

私は、そんな彼を愛してしまって。

彼は、彼なりに私のことを好きでいてくれて。ありがちな恋人同士のように、少し、想いの量が違っていて。彼のほうが少ないのだけれど、それは、彼が私を嫌いというのではなく。

ぐるぐる。

彼が好き。彼が、もっと欲しい。彼の時間、彼の声、彼の指、彼の匂い。もっと欲しい。

今日は、彼とどうしても話がしたい。どうしたんだろう。いつもなら、ちゃんと我慢して。また、約束の日まで何とかやり過ごせば、彼と会えるからって。そう自分に言い聞かせることができるのに。今日は駄目だった。

彼の携帯に電話する。

「もしもし。」
彼の声は固い。

「ごめんね。私。」
「めずらしいね。どうしたの?」
「どうしても声が聞きたくて。」
「今日は行けないって、言ったよね。」
「うん。それは分かってる。でも、声が聞きたくて。」
「・・・・。」
「ねえ。怒ってる?」
「いや。怒ってないよ。」
「じゃあ、困ってる?」
「ううんと。少し。」
彼は正直だ。

「今、話できる?」
私は、ずるずると引き延ばしたがって、みっともない。

「少しなら。今日は、早く家に帰らなくちゃいけないから、少しだけだよ、ね。」
「うん。」

彼は、なだめるような優しい声。お願い。怒ってよ。

「ねえ。来週は、会える?」
私は、先の約束を欲しがる。

「来週・・・?うーん。どうかな。年度末で忙しいから。でも、多分。何とか時間作る。」
「その次の週は?」
「その次?うーん。どうかな。分からないや。クライアントとの打ち合わせが上手くいけば、会えるかも。」
「予約、入れたい。」
「いいよ。何とか頑張ってみるよ。」

ごめんね。どうしたんだろう。お酒に酔ってるわけでもないのに、馬鹿みたいにワガママ言ってる。

彼は、優しく言う。
「ずっと、我慢してくれてるもんな。分かってるよ。」
その一言で、急に涙が止まらない。

「どうしたの?」
「予約、全部要らないから、今日、会ってください。」
「どうして?何かあったの?」
「分からない。分からないけど。先の約束、全部なしでいいから、今日会ってください。」
「泣いてばっかりじゃ分からないよ。」

ごめんなさい。今日、どうしても。なんだか、私、おかしい。きっと、これも全部、春のせい。

彼は随分と長いこと、電話の向こうで黙っている。

それから、言う。
「いいよ・・・。何とかしてみる。待ってて。」

今回だけだよ、なんて釘を刺したりしないでいてくれる、大人の優しさ。

「ありがとう。」
そうして、私は、彼の来るのを待つ。彼の好きなお酒とか。軽くつまむものも用意して。

彼は、やって来る。

「ごめんね。」
私は、謝る。

「いいんだよ。わがまま言ってくれて嬉しかったんだ。こんな風にわがまま言うのって、なんだか珍しいなって思って、さ。」

私達は、すぐには抱き合わない。どうでもいいようなことをいつまでもおしゃべりしている。すぐ恋に飛び込むのは怖いと言わんばかりに、恋の周辺をぐるりぐるりと回る。他人が見たら、もどかしいような時間。

それから、彼は、そっと手を伸ばす。初めてのように。そうっと。

「ありがとう。大好き。」
いつもなら照れ臭くていえない言葉を、今日は、素直に。

そうして、何度も何度も、口づける。

--

朝、起きて、私は彼を送り出して。明るい朝。気持ちのいい朝。私も仕事場へと向かう。

キキーッ。

車の音は、私の耳をつんざいて。

--

そうして、今、私は運命に連れてこられて、天国から彼を眺めている。マシュマロのような雲の端っこから、足をプラプラさせて。みんなを見下ろしている。

ああ。お願い、泣かないで。

私の声は彼に届かないけれど。どうしましょう。まだ、天使になり立ての私は、彼のそばに飛んでいく術も知らないでオロオロと、空から眺めているだけ。

ねえ。私、素敵な天使になりました。

あなたの予約、全部先取りして、あの夜、あなたに抱かれたから。運命が何かを、鈴を振って知らせることがあるならば、それはあの夜。

だから、ねえ。泣かないで。そんな風に言ってみるけれど。きっと、彼の耳には、春の風の音にしか聞こえない。

桜の花びらで、彼の頬を撫でてみる。


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