セクサロイドは眠らない
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2002年03月25日(月) |
だけど、彼は何にも分かってやしないのよ。お陰で、本物の精神科にかからなくちゃ生きていけなくなっちゃったの。 |
それは、突然の衝動のようでもあったし、前からずっと思っていたことのようでもあった。
医者にもらったまま溜めていた薬を一度に飲む。
結局、こうでもしなきゃ、あんたの心には何も届かない。それだけの事に気付くのに馬鹿みたいに時間が掛かった。
さようなら。
--
「ねえ。」 「んん・・・?」
ひどい悪臭が鼻を突く。頭が激しく痛む。
「どこ?ここ。」 私は、暗闇に向かって訊ねる。
「ここ?流れつく場所。」 「流れつく?」 「うん。いろんなもの。いらなくなったもの。」
要らなくなったもの。私の命。
「私も流れついちゃったってわけね。」 「そうみたいだね。」 「どうでもいいけど、あんた、すごく臭いわ。」 「ごめんよ。」
暗闇に目が慣れてきたので、目の前の相手に目を凝らす。ドロドロとした、醜い生き物。目だけがつぶらに光っている。
「どうやったら戻れるのかしら?」 「戻りたいの?」 「うん。ここにいるよりは、ずっとマシだと思うもん。」 「そう・・・、だよね。ここは暗くて、嫌な場所だよね。」 「あんたは?ここにいて平気?」 「僕、ここしか知らないもの。きっと、余所はずっと素敵なんだろうけれど。」 「とにかく、ここよりマシな場所に行きたいの。」 「じゃあ、僕と一緒に来てよ。」 「出られる場所、知ってるの?」 「うん。多分。」
彼は、びちゃびちゃと耳を覆いたくなるような音を立てて移動する。私は、仕方なく付いて行く。
「どこから逃げ出したの?」 醜い生き物は訊ねる。
「逃げ出した?」 「ここに来る人は、大概、逃げ出してくるんだよ。」 「ふうん。」 「あなたは?」 「私はねえ。そうねえ。つまんない男にうんざりしたの。すごくハンサムな男でね。テレビドラマに出て来る精神科医みたいにハンサムで、人をその気にさせるのがうまい人だったの。」 「精神科医?」 「うん。ニッコリ笑って『きみは素敵だよ。』なんてため息混じりに言われたら、本当に愛されてるなって思うの。真剣な表情で『分かるよ。』って言われたら、ああ、この人は本当に痛みが分かる人なんだなって思うの。だけど、彼は何にも分かってやしないのよ。お陰で、本物の精神科にかからなくちゃ生きていけなくなっちゃったの。」 「ふうん。」
ずるずる。びちゃびちゃ。
「あんたは?生まれてからずっとここに?」 「うん。他を知らない。」 「ここを出たいと思わない?」 「うーん・・・。どうかな。分からないや。でも、僕は、多分、ここで充分満足してるんだと思うよ。本当にもっと素敵なものがあるって分かってたら、行くかもしれないけどさ。きみの恋人だった人みたいに、『ここは素敵だよ。』ってにっこり笑う人について行ったら、すごく嫌な場所が待ってても困るもんね。」 「あんた、賢いのね。」 「僕は・・・。つまんない生き物さ。」
私は、少し、この醜い生き物が好きになった。
「ねえ。僕んち、寄ってく?」 「え?ええ・・・。」
そこは家とも呼べない代物で、今にも崩れそうなガレキの破片やら板っ切れやらで作られた場所。彼の体と同じような悪臭が満ちている。
「あんまりいい場所じゃないんだけどね。」 彼は、ひどく恥ずかしそうに、言う。
確かに、座るのすらためらわれるような場所だった。私は、頼むから、「お茶でも飲む?」なんて言わないで、と心で祈る。
もちろん、彼はそんなこと言わなかった。
「疲れたろう?」 「そうでもないよ。体はね。心のほうは、もう、ずっと疲れてるのかもしれないけど。」 「ねえ。僕の宝物、見る?」 「宝物?」 「僕、本当に悲しい時は、これを見るんだ。」
彼が取り出したのは、赤いガラスの破片。波に洗われたように角が削られて、彼の家の薄暗い明かりで柔らかく光って見えた。
なんだ、ただのガラスじゃない。
「これはね。僕が生まれてから見たものの中で一番きれいなものなんだ。これを見るとね、世の中って、こんな綺麗なものがもっと沢山あって、いつかそこに行けるだろうって。こんな醜い僕でさえ、いつかこんなものを沢山手にしても恥ずかしくない生き物になれるだろうって、勇気が湧くんだよ。」 「そう。」 「ねえ。それ、あげるよ。きみに。」 「駄目よ。あなたの宝物でしょう?」 「いいんだ。僕はもう充分眺めたから。こうやって目を閉じても、きらきらって光るところが思い出せるくらいに。だから、お願い。もらってよ。」 「そう?ありがとう。」
私は、なんだか泣きそうになって、そのガラス片を握り締める。醜いせいで、誰にも触ってもらえない、モンスター。
「そろそろ、行こうか?」 「うん。」
彼は、また、びちゃびちゃと音を立てて歩き始める。
「こんなに誰かと話をしたのは始めてだよ。」 「そうなの?」 「うん。いつも一人だから。」 「寂しかった?」 「どうかな。でも、生まれてからずっとこうだったから。」
薄暗い一本道をずっと歩き切ったところで、急に生き物は立ち止まる。
その先は本当の闇で。何も見えない。
「この先に飛び込むと、戻れるよ。」 「怖い。」 「大丈夫だよ。」 「あなたは?」 「僕?僕は、もとの場所に戻るだけ。」 「あの場所で、あなたはもう、宝物も無くて、それで大丈夫なの?」 「うん。」
もう、随分と暗いから、彼が瞳を閉じると闇に溶け込んで、彼の姿は見えなくなりそうだ。
「ねえ。目を開けてよ。」 私は、不安になって、言う。
「大丈夫だよ。ここにいるから。」 彼の声は随分と遠く思える。
「ねえ。一緒に行く?」 「行かない。僕は、ここにいるよ。」 「じゃ、私、行くね。」 「ねえ。お願いが・・・。」 「なあに?」 「ううん・・・、何でもない。」
私は、しばらく暗闇を見つめて。
それから、彼のいる場所を抱き締める。
ぐちゃっとも、ぬるっとも、つかない感触。
もう、彼の悪臭も気にならない。
「ありがとう。僕・・・。」 「いいのよ。」
私は、彼の顔に口づけて。
「また、会おうね。」 と、手を振って、それから、深い暗闇に向かって足を踏み出す。
私は、吸い込まれて行く。
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「気が付かれました?」 看護婦が微笑む。
「ああ。私・・・。」 「大丈夫ですよ。もう少し、お休みになっててください。」
私は、目を閉じる。
あの悪臭ですら、恋しい。
ポケットに手を入れて、そこにあるガラス片を確かめる。
そうして、一片のガラスしか美しいものを知らないモンスターを、想う。
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