セクサロイドは眠らない

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2002年02月14日(木) どうしてかしらね。誰かの心に刻まれた思い出は、本当だと思えるの。忘れたくても忘れられない記憶だけがね。

僕は、その村に流れてやって来た。

僕は、その村を前から知っていたのかもしれないし、その香りに惹かれて来たのかもしれない。

彼女は、村で唯一人の薬剤師だ。医師に診てもらうには隣の村まで行かないといけないというその小さな村で、彼女は、薬草や香料や食材を組み合わせて、ちょっとした病気なら治すことができるのだ。

そうして、彼女のお得意は恋の媚薬。特に、今日は、村の娘達が彼女の店にチョコレートを買いに走る。あるいは、こっそり、男性までが。

そんな噂を聞いたから、僕は、まだ夜が明ける前、彼女の店に行く。

--

店の奥から、チョコレートや、何やらスパイスの香り。

僕は、構わず入って行く。

「ごめんなさい。まだ、店開けてないのよ。」
微笑む彼女はまばゆいばかりで、彼女こそが愛の化身のようだった。

「忙しいところ悪いんだけど、僕のために一つ薬を調合してくれないかと。」
「薬?」
「うん。」
彼女は、僕の顔をまじまじと眺め、それから何かを思い出そうとするように顔をしかめた。

「あなた、前にもこの村にいたことあるかしら?」
「どうかな。覚えてないんだ。」
「そう。じゃ、最近?」
「ああ。ニ週間ほど前に。」
「で、私のうわさを聞いて来たのね。」
「今日は、チョコレートを作るのに忙しいんだろう?」
「ええ。」
彼女が僕に出してくれた、生姜の入った温かい飲み物を一口すする。

「立ち入ったことを聞いていいかな?」
「どんなことかしら?」
「きみ自身は恋をしないの?」
「さあ。どうかしら。」
「きみは美しい。この数日この店の前にいると、恋する表情の男達が、きみの元にやって来た。きみは、どんな魔法を使ったか知らないが、男達をうまいこと追い返したよね。」
「魔法だなんて。ひどいわ。それに、私の恋なんて、随分と立ち入った質問ね。」
「すまない。」
「で、あなたの希望は何?」
「思い出し薬を。」
「何を思い出したいの?」
「この村の記憶。」
「難しいわね。私、魔法使いじゃないのよ。本当に。そんな注文、無理だわ。」

彼女は、ごめんなさいという風に微笑んで。

「そうか。邪魔したな。」
「良かったら。」
彼女が今作ったばかりの、チョコレートが差し出される。

僕は、そのほろ苦いチョコレートを口に放り込み、この味を前にも知っていたと感じる。だが、以前知っていたものよりはずっと深く包み込む、その味わい。それから、知らず知らずのうちに、僕は、彼女の手を取り、その甘い唇で彼女に口づける。

--

彼女は、若いうちから、彼女の祖母に教わり、ありとあらゆる薬草を操った。

僕は、その彼女に恋をした。

彼女も、確かに僕に恋をしていた。

だが、彼女は、薬草やスパイスを使って、人の心を操れると信じ込んでしまった。

彼女は、恋に悩む乙女達に、恋の苦しみから解放される薬を処方していた。

「ねえ。レシピは作らないのかい?」
僕は、彼女に訊ねたことがある。

「そんなもの、要らないわ。形にして残した途端、想いは薄れてしまう。私は、私の情熱で薬を作るの。私の名前がついたレシピが、私の知らないところで愛されるなんてうんざりよ。大事なものはちゃんと心に残るの。」
彼女はそんな風に笑った。確かにその笑顔を愛していたのに。

彼女は、恋に悩む女の子達に囲まれて、忙しくしていた。恋の教祖とまで言われて。その癖、僕らの恋はほったらかしだ。

すれ違って行く悲しみの中、僕は彼女の作った辛い恋の処方薬を勝手に大量に口にした。

それは、ミントの香りのチョコレートだった。

僕は、彼女への愛を忘れ、村を出ていった。

--

「ねえ。何か思い出したの?」
遠くを見つめる目つきの僕に、彼女は聞いた。

「きみ、自分のチョコレート、食べたことある?」
「ないわ。だって。」
僕は、彼女の手から、恋のチョコレートを奪って、口移しに食べさせる。

目を閉じて、ゆっくりと彼女は恋の媚薬を味わう。彼女の頬が桜色に染まって行く。

「思い出した?」
「ええ。」

彼女は、微笑んだ。

「あの時、私は、あなたがいなくなってしまったのが悲しくて、忘れ薬を飲んだのだったわ。」
「僕も、きみの忘れ薬を飲んだんだよ。」
「私、嫌な女の子だったものね。あの頃は、自分の恋ですら、操れると思ってた。随分と不幸だったの。今は違う。分かったの。そんなことできるもんじゃない。今は、人の心の奥に眠っている感情にエールを送るだけよ。」

彼女は、僕の唇の端についたチョコレートに口づける。

「きみは、昔から、記憶を信じていた。」
「ええ。そうよ。どうしてかしらね。誰かの心に刻まれた思い出は、本当だと思えるの。忘れたくても忘れられない記憶だけがね。あの頃忘れ薬を作ったのは、自分を試したかっただけなのかもしれないわ。曖昧な心の中から、本当の物が見つかるまで、いろんなことを忘れようとしていた。」

忘れたくても、忘れられなかった。

きみも、僕も。

「ねえ。味わってみて。」
今度のチョコは甘かった。しつこくなくて、軽やかで。

「食べる人の心で味が変わるのよ。みんな自分の心の中は、案外と自分じゃ分からないものだから。」
彼女は笑った。


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