セクサロイドは眠らない

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2002年01月20日(日) それは、男が女を抱く前の、ほんの一時の逡巡が成せる行いであったと気付いても。

恋人と会うために、マニキュアを塗る。

失敗しないように、息を詰めて。

痛いほどに張り詰めた心を抱えてマニキュアを塗る時間が、私にはとても大切だ。

初めて彼と指をそっと絡めた日に、「きれいな爪だね。」と、いつまでもいつまでも、私の手の平を表にしたり、裏にしたりして飽きずに眺めていた、その記憶が、私の大切な習慣を支えている。それは、男が女を抱く前の、ほんの一時の逡巡が成せる行いであったと気付いても。

何年もの日々、彼を想い、爪を塗る。その繰り返しだった、私の日々。どうしてこんなにも、慣れることなく、恋は痛みを伴うのだろう。

--

彼の姿を見つけると、抑えられず、笑顔がこぼれてしまう。

彼も、ゆっくりと微笑む。

「もう、何年、だったかな?」
彼が急に訊ねる。

「七年よ。」
「そんなになるか?」
「ええ。」
そうよ。私は、いつもそうやって数えて来た。

その日のデートでは、彼は、いつになく、いろいろなことを思い出すような目をして、独り言のようにしゃべってばかりなので、私は急に不安になる。

「ねえ、あなた?」
「なに?」
「今日は、おかしいわ。」
「そうか。おかしいか。」
「ええ。」

海岸に止めた車の中で、私達は、お互いの目を見ずに。

「前から、言おうと思ってた。」
「お別れですか?」
「ああ。」

私は、泣き出す。

前もこんなことがあって、結局、私は、泣いて泣いて。彼はそれに折れた形で。だから、今回も、そんな風に私の涙で彼の唇をふさいでしまえば何とかなるかもと、心のどこかで思っていたのかもしれない。

だが、今日は違っていた。あの時は彼は、私の涙に慌てて、私が泣き止むまで抱いていてくれたが、今日は違う。もう、抱いてくれない。だから分かる。彼は、本当に決意したのだと。

「もう、きみの保護者役は、私には荷が重いようだ。少し疲れてしまった。すまない。」

頭の中で、次に言う台詞を考える。

もう、無理に電話してって言いませんから。奥さんのこと、気にしたりしませんから。今夜は泊まって、なんて、駄々をこねたりしませんから。お願いだから。お願いだから・・・。

でも、もう、何を言っても無駄なのだ。

だから、「部屋まで送ってくださる?」と、だけ。

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それでも日々は過ぎる。仕事に行けば、時間はつぶれる。

そんな風に思いながらマニキュアを塗ろうとして、指が止まる。

何のために、爪を染めるのだっけ?

もう意味がないわ、と、除光液で色を落とす。

今日は天気がいいから、春色が増えたデパートにでも出掛けて、洋服でも買おうかしら。と、外に出てみる。あの人が好んだのは、シンプルで、清潔さを感じさせるデザイン。と思いながら選ぼうとして。ああ。もう、そんなことにこだわらなくていいんだわ、と、苦笑して。それから、何も買いたいものがないことに気付いて、立ち尽す。

あの人に会ったら教えてあげよう、と読んだ本をメモに取る習慣も、会った数を記した手帳と一緒に、捨てる。

たかだか、漢字にすれば一文字で綴れてしまうその感情は、手の平に納まっている分量しかないと思ったのに、捨てようとした途端、私の目の前の何もかもを連れて行こうとするのだ。いつの間に、私はこんなにも多くのことを恋に委ねてしまっていたのだろう。

愛は、少しずつ少しずつ歳月をかけて、そうして、今やすっかり肌に馴染んでいて、脱ぎ捨てるには多くの血が流れるから。服のように簡単に脱ぐわけにはいかないのだった。

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夕暮れに、おかっぱ頭の5〜6歳の女の子が、母親が急ぐ足取りに遅れまいと、一生懸命追って歩くのを、なぜか足を止めて、目で追う。

そういえば、遠い昔、幼い頃には、こんな風に無邪気にほとばしらせるのが「愛」だった。

せめて今頃、彼が手放したものの重さに身悶えしていてくれればいいのに、と。私と同じくらい、夕暮れが心に迫っていればいいのに、と。

思いながら、遠ざかる愛の後ろ姿を見送る。


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