セクサロイドは眠らない

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2002年01月13日(日) 「ねえ。お願い。ちゃんと。いつだって、今しかないんだから。時間も、愛も、ふんだんにあるとは思わないで。」

彼女が、フラリとこの街にやって来て僕の部屋に住みついたのは、多分、ほんの偶然。

よくよく覗きこむと、ほんの少し灰色を帯びたその瞳は、どこか異国の血が混じっているのかもしれないが、彼女は何も言わないし、僕も聞かない。

僕は、恋をした。

彼女を見た、最初の瞬間から。

彼女は、
「世界中を旅して来たの。」
と、少し疲れたような表情で僕を見上げた。

「ホコリだらけの服を干している間、眠る場所が欲しいの。」
と言うので、
「なら、僕んちに、来る?」
と、僕は、ごく自然にそう言った。

彼女は、
「そう、ありがとう。」
と、気がなさそうに返事をして僕の部屋で服を着替えると、洗濯機が回っている間に、コトンと眠りに落ちた。
--

彼女は、女の子にしては本当に持ち物が少なかった。着替えが三組ほどで、あとは、地図が一冊。どこで手に入れて来たの?と聞きたくなるような年代物の地図で、とても旅の役に立ちそうになかったが、彼女はそれを日がな一日、楽しそうに眺めていた。

それから、僕に向かって話し掛ける。
「世界を侵略した男達は、行く先々で一番の美女を愛人にするのよ。」

僕は、彼女が何を言いたいのか分からず、生返事をしながら、彼女のトレーナーを脱がせる。

彼女の言葉の一つ一つがあまりにも甘美で、僕はそれに溺れそうになりながら、彼女を侵略したくてどうしようもなくなるのだ。彼女が、世界そのものに思えて。

「美女達は、強い男を拒む勇気がなかったのかしら。それとも、本当に、その男達に魂を奪われるほど恋してしまったのかしら?そんなに美しい女性が、みんな従順とも思えないのだけれど。」

僕は彼女の唇を、むさぼる。

彼女は、いきなりくるりと体をひるがえすと、僕の上に乗って、僕の上半身に体重を掛ける。

そうして、ひどくまじめな顔をして、僕に言う。

「ちゃんと聞いて。」
「ああ。聞いてるよ。」
「ねえ。お願い。ちゃんと。いつだって、今しかないんだから。時間も、愛も、ふんだんにあるとは思わないで。」
「ごめん。」

彼女が真剣なのを知って、僕は反省する。

「男は、美貌の愛人を侵略して我が物にすると、次の土地を求めて行ってしまうの。そうして、残された女達は自殺するの。愛を信じた結果が、それよ。」
「ひどい話だね。」
僕は、ため息をついてみせる。

「そうやって、美女の血で綴られて、ようやく、恋は歴史に刻まれるの。私は、そういうのは嫌だけど。女が一人で遠くへ行くことができなかった時代は、そうやって、異国の風を運んでくる男と寝るしかなかったのね。」

--

彼女は、少しずつ、言葉を出さなくなる。体も動かさなくなる。頭の中だけはくるくる動いているようで、その灰色の瞳は、どこかとても遠くを見ている。

「行くわ。」
ある日、突然、その一言が僕に向けられる。

「ねえ。次はどこに行くの?」
「もう、道があるところには行き尽くしたの。道という道を全て歩いた後は、道がない場所を歩いて、ここまで来たのよ。」
「で?」
「海。」
「海?」
「ええ。道がない場所に行きたいから、海。」
「きみがいないと寂しくなる。」

彼女は、僕の言葉に返事しない。もう、どうだって良くなっているのだ。

彼女は、地図に描かれた場所に倦み、何もない場所へ行こうとしている。

--

彼女は、もう、ほとんど声を失っている。

小さな声で、僕に告げる。
「海に連れて行ってくれる?」
「もちろん。」

僕の車は、海岸沿いの道を行く。

「ごめんね。」
「いいんだ。どこかに向かっていないと、きみは死んじゃうんだろう?どこまでも道は終わることなく、きみが遠くへと行くことができますように。」
「ありがとう。」

ふと、思う。彼女は、幾度、こうやって誰かを置き去りにするたびに、謝ってきたのだろうか。

その岸壁は、風が強く、僕らの会話も吹き飛ばされてしまいそうだ。

抱擁を交わす。

「ねえ。むこうを向いていて。お願い。」
それが彼女の、最後の僕への思いやり。

「うん。」
僕は、彼女の姿を瞳に焼き付けて、ゆっくりと彼女に背を向ける。

「さよなら。」
ささやくような声が聞こえて、少し長い時間を経た後、

パシャッ。

と、音がした。

ああ。

彼女は、きっと魚になったのだ。

僕は、海を覗き込むことはできなかった。あんまり悲しくて。だが、海を見ても、何も見えなかっただろう。

「さよなら。道なき道を行く人よ。」

そうして、車に乗りこんだ。

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帰り道、空に舞っているカモメさえ、彼女に思えて。

彼女は、そんな風に思われるのは嫌がるだろうが、それは、ほんとうに、ひどく寂しそうだ。


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