セクサロイドは眠らない
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2002年01月03日(木) |
「だけど、その時にはもう遅かったの。その道が、地獄に続く一本道であろうと、私は進むしかなかったの。」 |
「花があったの。きれいな。甘い香りの。手に取ってみたいと思ったの。だから、その花を摘んだわ。」
女は、夢見るように、語り始める。
「だけどね。その先を見たら、また、きれいな花があるの。だから、一歩踏み出して、その花に近寄って。また手に取って。最初は夢中だったわ。何も考えずに、花を追い掛けていた。蝶のようにね。そうして、どんどんと、森の奥深くに入っていって。その頃には、もう、戻る道が分からなくなってたの。」 「それから?」 「それから。花を手折る手元に、血のしずくが落ちて来て、初めて気付いたの。ああ。誰かが、泣いてるってね。」
女の目は、どこか遠くを見つめていて、その表情は、まだ、夢から醒めていないのだろうかと思わせる。が、小刻みに震える手が、彼女の正気を教えてくれる。
「だけど、その時にはもう遅かったの。その道が、地獄に続く一本道であろうと、私は進むしかなかったの。」
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女は思い出す。
あの辛い日々。
男の妻から携帯に何度も電話が入り、私は、そのたびに携帯の番号を変えた。なのに、なぜ、男の妻は、変えても変えても、私の電話番号を探し当てるのだろう。
男は、もしかして、妻に教えているのかもしれない。
そうして、言うのだ。 「あの女、しつこくて困るよ。」
妄想が膨らみ、私は怯える。
だが、実際に会えば、男は限りなく誠実な顔で私を見つめる。
「どうしたらいいのだろう。」 と、二人でため息をつく時、一人ではないことに安堵する。
「もうちょっと待ってくれないかな。妻には、ちゃんと話しをするから。」 男は私を抱き締めて、言う。
男は絶対に家庭を捨てないよ。
友達の忠告が頭をよぎる。
私は、それを振り払うように、男に口づける。
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「誰かが泣いていると知って、それできみは平気だったのか?」 女に問う。
「平気じゃなかったわ。だけど、なぜかしらね。私のほうが勝っていると思ったのよ。そうして、私と彼だけが、同じものを見ることができていたの。」 「同じもの?」 「ええ。同じものよ。だまし絵の森に、急に動物達が見えて、鳴き声が響き始めるるように、ね。私と彼だけは、そこにある、誰も気付かないものを見て、聞いていたの。」 「じゃあ、なぜ、彼を殺したのだ?」 「さあね。多分、あなたには一生分からないわ。」
女は、くすくす笑う。
「恋をした時ね。そこに、世界が出現したの。道があったわ。目の前に道があったから、進むしかなかったの。さっきも言ったように、花が咲いていたわ。それから、気がつくと、甘い匂いのする花は途中からなくなったの。あとは、暗闇が続いていた。悲しい泣き声が響くのだけど、それが誰の泣き声か分からない。それでも、進むしかないの。もう、元の場所には戻れないから。そうして、地下に続く扉があって、そこを開けたの。石段を下りて行くと、石のテーブルがあった。」 「で?」 「でね。肉切り包丁があって、彼が祭壇の上で眠っていたの。」 「だから、殺したと?」 「ええ。そうするしかなかったのよ。彼も、望んでいたの。」
女は、最後の煙草を取り出すと、火を点けようとするが、手先が震えてうまく点けられない。
「ねえ。あなたには分からないのよ。そこに道があったら、踏み出さずにはいられないの。あなたなんかには分からないわ。」 「そんなもんかね。」 少々腹立たしくなって、私は言う。
「そんな恋、したことある?」 「ないな。」
彼女の瞳が見ている世界を、ついうっかり覗いてしまわないように、目をそらして答える。
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花を。花を渡したかったの。彼に。
手にいっぱいの花を。
あんまりしっかり握り締めて、それは、そのうち、手の中でボロボロになって来たけれど、決して、手放してはいけないもの。その恋が、私一人の妄想でなかった証に、誰かに見せないといけなかったのだ。
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「そろそろ行かなくちゃいけないんでしょう?刑事さん。」
ああ。そろそろ行こう。
女は、寒くはないのに、震えてどうしようもない腕に、ドライフラワーの花束をしっかりと抱えて歩き出す。私も、思わず、寒さが感染して、垢じみたコートの前をしっかりとかき合わせ、彼女の背をそっと押す。
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