セクサロイドは眠らない

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2001年12月31日(月) どうしてこんなに寂しいのだろう。どうして、誰かがずっとそばについていてくれないと、私はこんなにも駄目なんだろう。

雨がとりわけ、好き、というわけではない。

ただ、雨が降ると、庭に出て空を見上げてしまう。

なんとなく。

--

今の夫に初めて会ったのが、雨の日だったから、かな。初めての海外旅行で、友達とはぐれて、泣き出しそうな気分になった、その日。「どうなさったんですか?」と、話し掛けてきてくれた男性の前で、私はとうとう涙が止まらなくなり、それから、私達は結婚した。その土地の雨は、霧のように街全体を包み、景色そのものもぼんやりとしたものにしてしまう雨だった。

日本の雨は、もっと輪郭がくっきりとしていて、何もかもを洗い流そうと降り続ける。

夫は、海外赴任で日本を離れたきり。

電話が鳴る。

「ママ、電話だよ。」
息子が、呼ぶ。

夫からだわ。

急いで受話器を取る。

「え?お正月、帰って来られないの?」
私の弾んだ声は、落胆に変わる。

「忙しいんだ。」
と、申し訳なさそうに答える夫の声に、私は恨み言を言おうとして飲みこむ。

「うん。頑張ってね。こっちは大丈夫。」
なんとか、言い終えて電話を切ると、喉につかえていた固まりがせり上がって来て、私は、泣き出してしまう。

「ママ、どうしたの?」
5歳になる息子が、心配そうに私の顔を覗きこむ。

「うん。大丈夫よ。大丈夫。」
息子を抱き締めながら、私は、どうしてこんなに寂しいのだろう、と、涙が止まらなくなる。どうして、誰かがずっとそばについていてくれないと、私はこんなにも駄目なんだろう。

--

雨は、止まない。

その時、庭の牡丹の木の根元にある水溜りが、ふいに揺れた。

見ていると、その水溜りから、水の柱が立ち昇り男の姿になった。映画のCGのように、きらめく水からできたその体は、つかみどころなくうごめいていて、私は、息を飲んでそこを動けなかった。

「誰・・・?」
「僕?僕は。さあ。あなたが呼んだから。」

男は、顔が刻々と変わるので、表情すら分からないが、微笑んでいるように見えた。

「今、呼んだでしょう?」
男が問いかけると、確かに、私は声に出して誰かを呼んだかもしれないという気持ちになった。

「ええ。きっと。多分、そうだわ。」
「じゃあ、呼んだんだ。で?何の話をしようか。」
「急に言われても。」
「友達が欲しかったんでしょう?」
私は、うなずく。

「僕、友達になれるかな?」
「どうかしら。」
「なんで泣いてたの?」
「私、泣いてた?そうね。きっと泣いてたわ。私泣き虫なの。変でしょう。子供と二人でしっかりして、夫を待ってなきゃいけないのに。」
「変じゃないよ。」
「どうしてこんなに泣いてばっかりなんだろう。ほら、今も。あなたが、私のこと、聞いてくれたでしょう。そうしたら、涙が出ちゃうのよね。」
「あなたの心が見えるよ。振り子みたいに、ゆらゆらして、そこに何かが触れるたびに、泣きたくなるんだね。」
「変だわ。とっても。」
「そんなこと、ないさ。涙はきれいだ。水は、きれいなんだよ。そうして、いろんなものを洗い流して行く。僕は、涙が大好きだ。」

家の中から声が聞こえる。
「ママ?ママ?」

「ごめんなさい。息子が呼んでるから、行くわ。ねえ。また会える?」
「そうだね。また、雨の日に。」

--

私は、雨を待ち望む。

雨が降れば、水の男が出て来て、私の話し相手をしてくれる。

そんな日は、何時間も何時間も。

--

「ママ、誰とおしゃべりしてたの?」
「水溜まりから出てくる、不思議なおじさんよ。今度、会ってみる?」
「僕、怖い。」
「怖くないの。とっても優しいのよ。」

怖いよ。ぼく。ママ、庭で一人でしゃべってたもの。ママ、って呼んでも、気付かないで、いつまでもしゃべってたもの。だけど、ママの幸せそうな顔を見ていると、怖いなんて言えないんだよ。

--

大晦日の夜、電話が掛かる。

夫からだ。

「そっちはどう?」
にぎやかな嬌声が、電話口の向こうから聞こえる。

「こっちはみんな元気よ。あなた、楽しそうね。」
「ああ。パーティの最中なんだ。年が明けて、しばらくしたら落ち着くから、そうしたら日本に帰るよ。」
「ええ。大丈夫よ。」

私は、電話を切る。

不思議だけれど、もう、あまり寂しくない。どうしてかしら。

私は、夜の庭に降り立つ。

彼が出てくる。やさしく笑う。

「最近、泣かないね。」
と、笑いかけてくる。

「ええ。あなたがいるから。」
と、私も微笑む。

雨は雪に変わる。

--

翌朝、
「ママ、ママ、雪だよ。」
と、息子の声。

「なあに。」
私は、ダウンジャケットを羽織ると、外に出る。水溜りには、氷が張っている。

私は、水溜りの氷を、手でなぞる。

「ママ。」
「ん?」
「そんなのさ。こうしちゃえよ。」

息子の小さな足が、氷を踏み砕く。

「やめなさいっ。」
「ねえ。ママ。僕を見てよ。ちゃんと見てよ。お外でさあ。独り言言うのやめてさあ。ちゃんと僕を見ててよ。僕、待ってたんだから。ママが泣かなくなるのを、ずっと待ってたんだから。」

小さな足が、泥を跳ね飛ばす。

私は、手で口を覆ったまま、その光景を見つめている。


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