セクサロイドは眠らない

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2001年11月05日(月) 口と体は嘘をつく。「可愛いよ。」と、目の前にいて、僕を抱き返してくれる肌に向かって言ってみる。

生クリームを泡立てている僕の傍で、彼女は椅子に座って本を一心不乱にめくっている。今日は彼女の誕生日。僕は彼女のためにケーキを焼く。

プロポーズの言葉は、「きみのために毎日ご飯を作ってあげるよ。」だった。

そんな僕達の結婚。

オーブンから漂う香りが部屋を満たし、僕は彼女に声を掛ける。

「そろそろきみの誕生日パーティが始まるよ。」

--

きみは、本の虫。仕事から帰ったら、コートも脱がずに新しい本の表紙を開く。僕が仕事から帰る頃には、すっかりあたりが暗くなっている事もあって。

「目を悪くするよ。」
と、家の電灯を点けて回ってから、僕は夕飯の支度を始める。

「本、どうしてそんなに好きなの?」
僕は彼女に聞いたことがある。

「そうねえ。なんだかどうしようもなくワクワクするのよ。ページを開いた先には何があるのかしらって思うとね。早く覗かずにはいられないの。」
「これだけ沢山の本があるわけだろう?心ときめく本もあれば、全然つまらない本だってあるじゃない?」
「そうなんだけどね。読んでしまえば、つまらない本もいっぱいあるのだけど。それは読んでからの話でしょう?そこに開かれてないページがある以上、どうしてもその開かれていないページを開きたくていても立ってもいられないの。」

彼女は答えてから、再び本に目を落とす。いつもそうやって会話は終わり、僕は置いてけぼりを食らう。ぼんやりと読書する女を見つめていると、彼女がふいに訊ねる。

「じゃあ、あなたはどうして料理が好きなの?」
「食べる人の心を満たしてあげるため。」
「じゃ、私は、いつも飢えてるからちょうどいいわね。」

--

職場の同僚が会社を辞めて郷里に戻るというので送別会があった。今日ばかりは、妻のために温めればいいだけの食事を用意して、久しぶりにのんびりと外でグラスを傾ける。

「ねえ。このあと、二人でどっか行きません?」
後輩の女の子に声を掛けられて、僕は無意識にうなずいてしまう。

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「先輩って、いっつも真っ直ぐに帰っちゃいますよね。」
「早く帰らないと、夕飯は僕が作ることになってるからね。」
「ふうん。そうなんだ?いいなあ。奥さん。」
「じゃ、きみも僕みたいな男を見つけるといい。」

僕はただ寂しかったんだろう。気付けば、彼女を腕に抱いていた。

「私、恋人いるんですけど、ちょっと離れてるんです。だから、先輩が好きとか、おうちに迷惑掛けたりとか、そういうんじゃなくて。そういうつもり、ないですから。だから負担とか感じないでくださいね。」
「うん。」

僕は、腕の中にいるこの娘に恋をしていない。誰だっていいのだと思いながら「俺、何やってんだ?」と思いながら、それでも、口と体は嘘をつく。「可愛いよ。」と、目の前にいて、僕を抱き返してくれる肌に向かって言ってみる。

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そうやって、時折、後輩と仕事帰りに会う事が増えた。そのたびに、僕は妻が飢えないように、夕食を用意して出る。けれど、夕食は手付かずのままテーブルの上で冷えていることが多い。

「電話、あったよ。」

ささいな事で後輩と喧嘩してしばらく会わないことに決めたある日、仕事から帰宅すると、妻が悲しそうな顔をしていた。

「なんて?」
「今夜、待ってるって。あなたを。」
「なんでそんな電話してくるんだろう。」
「最低ね。出てって。」

--

まったく、最低の男は二晩ほど家を空けて、そうして妻の食事が気掛かりで帰宅する。

彼女は相変わらず飢えて、僕を見るなり、
「一人はいや。」
と。
「一人で食べるご飯は最悪。」
と。

僕は、冷蔵庫を開けて、卵と生クリームの賞味期限を確かめる。

「忘れるところだった。今日、きみの誕生日だったね。」
「私も忘れてたわ。」

それから、僕は彼女にボウルを渡す。

「教えるから、自分で泡立ててごらん。」

彼女は不器用に手を動かすがうまくいかない。

「なんて言うのかしら。こういうのって、電動でびゃーっと混ぜてくれるやつがあるんじゃない?」
「手で泡立てたほうが、キメが細かくてやさしいクリームができるんだよ。」

それから、一緒にケーキを焼く。

「すごいのね。なんか、あなたカッコイイわ。」
「今ごろ気付いた?」
「うん。」
彼女は笑う。

悪かったのは、僕。彼女に惚れられる男になる努力を怠っていた。それなのに寂しいと伝えることもせず、寂しいのは全部きみのせいにして。

だから、きみも、たまには本を置いて。本でなく生きている人間に。僕に恋をしておくれ。


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