cahier@enpitu
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2006年03月26日(日) はるうらら

 今日は朝の気の重さも随分まし。やっぱりPMSなのか?なのか?

 仕事帰り、電車が止まった。須磨駅の車内で迷惑行為があったため、というアナウンス。上下線ともにストップ。喧嘩か痴漢か、車内じゃないけれど線路に飛び込み…?と中途半端な情報でだと想像がふくらむ。気になる答えは、線路内に入ったひとが電車の下に潜り込んだとか。 わたしが乗っていた電車も止まっていた駅でも曖昧なアナウンスしかなかったけれど、同じ時間の別の電車ではは、今1両目の下を点検中です、といったような実況中継まであったそうな。須磨では普通・快速あわせて4本の点検があったとか。何にせよ春は不思議なことが多い。

 小池真理子「青山娼館」を読んだ。なんとなく、吉本ばなな「白河夜船」や村上春樹のいくつかの小説が頭に浮かぶ。ねじまき鳥のシナモンのこつこつと受話器で机を軽く叩いてお返事するところを全く関係無いのに思い出してみたり。
 文章が巧い。軽い文体ではないけれど読みやすい。
 何かを失くしたとき、大きい悲しみの後に怒りが沸くのは誰でも同じなんだろうか。わたし自身は今となってはそこまで大切なものを失くしたとは思わないけれど、でも少しだけその流れはわかるような気がする。精神的に強くあることとか、感情に流されてしまわないことというのは娼婦という仕事に限らずどんな仕事にでもあるでしょうね。
 娼館という舞台ゆえの苦しみもありそうなものだけれど、それがないのは主人公の奈月が仕事と割り切っているからそんなものは感じないということなのか、そういうものはいらないから描かれないだけなのかそこら辺は少し気になった。
 それにしても、絶望と再生の過程を書く物語というものは昔からあるジャンルなのか?と思わなくもない。


諒 |MAIL