cahier@enpitu
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2006年03月04日(土) |
信じるだけの者は救われない |
手袋やホカロンミニやボルタレンテープで保護して、ときどき筋を伸ばし、なるべく重たいものをつかまないようにすることを心がけたら、随分右手は痛みがとれた。ただ、右肩と右上腕、前腕はまだ痛むし、それから左手の調子が悪くなった。3日ほど絶対安静するくらいでなければすっきりと痛みは取れないかもしれない。 冷やさないように気を使うこともかなり重要みたい。この2、3年寒さには鈍感になっていたけれど冬はしっかり防寒したほうがいいことを実感。 仕事は定時少し過ぎに逃げ帰った。実はもうひとりのひとのほうがよく仕事をしているんじゃないだろうかって思うときがなくもない。量と質とどちらをとるかと言われたらわたしは質の良いものを提供したいと思うほうだ。もうひとりのひとは量の多さタイプだろう。 今の職場では多分量を求められると思う。次の仕事は質の高さを求められる仕事がいいなあ…ってそんなのあるんだろうか。
今必要なのはひとり静かにものを考えて整理する時間と場所。夜の海辺なんてどうだろう、まだちょっと寒いかな。感じたこと、考えたこと、考える必要があることが多すぎて頭の中からこぼれていってしまう。そしてひとつ決めなくては。まだ20代だし、失敗してもやり直せるし。
職場からの帰り道。空を見上げて泣きそうな気持ちになった。空の色が澄んでいて、雲もなく星もほとんどなく、月だけが浮かんでいて。綺麗な色だなあって。
■□■ 花村萬月「汀にて 王国記III」読了。
だが宇川は神経症気味に過敏である一方で、周囲の気配というものをまったく解さない鈍感なところがある。いや、過敏というのは、往々にして自分を中心に地球が回っていると勘違いしている愚か者の特性である。つまり自分中心に地球が回っていると勘違いできるほどに雑で鈍感であるから、過敏になれるのだ。
こういう文章にどきりとし、書き残す自分自身にもやはりその愚か者の特性があるのだろうかと考えてしまう。 特定の宗教での神は信じはしない。けれどそれを神というのかもしれないと思うものはある。ときにこころの支えとなり、ときに絶望させるもの。神は不幸の苦しみを慰めるものではないのだ。
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