BLEACH*ギン×イヅル - 2005年09月14日(水) 「ボクから逃げきってみぃ」 「!」 はあ、はあ 自身の口からあがる吐息の白さに、改めて冬を感じる。そしてその整った呼吸にまださほど疲れてはいないのだと、どこか意外な気もしていた。 死神世界の最高位に君臨する護廷内はその性質上か、無為な装飾はなされていないため殊更に寒々しい。その代わりに隊によっては執務室内を華々しく飾っている所がいくつか見受けられる。護廷十三番隊のそれぞれの隊の権限はほとんど隊長にあるので、概ね室内は彼らの趣味に依るところが大きい。その中のひとつ、三番隊の執務室はけれど隊長の香りが一切しない。いやむしろ、そこが三番隊である所以と言えるのかもしれない。 先日、突然の異動命令を受けて今朝早くにようやく件の三番隊執務室を訪れた。そこで部屋の主と交わした会話(と呼べるかどうか定かではないが)を思い出しながら、吉良イヅルはぶるりと体を震わせた。隙間風が死神装束だけの体に堪える。せめて襦袢でも身に付けてくればよかったかもしれない。しかし、そんな余裕もなければ、ましてや必要があるなど想像してもいなかったのだから仕方ない。 三番隊執務室のあるじは、姿勢を正し、黙想をしながら相手を待っていたイヅルに対し、一瞬、すさまじい霊圧を宛てるという形で挨拶をしてきた。黙想をして心を静めていたとはいえ、声を出さなかったのは我ながら賞賛に値するとイヅルはその時の自分を自賛する。驚いて目を開けたイヅルの前に立っていたその人は、開口一番、言い放った。 「ボクから逃げきってみい」 「!」 気が付いたら体が動いていた。 思考する時間など微塵もなかったので、おそらくその瞬間、本能が全身全霊で逃げろと言ったに違いない。我に返ったときには三番隊隊舎を離れ、知らず懐かしい場所にいた。無機質な建物に堂々と掲げられた、『五』の文字。イヅルがつい先日まで席を置いていた、居場所だった。さすがに自らに苦笑したが、なんとなくそのまま、誰にも会わないのをいいことに五番隊隊舎内をうろついている。存外自分は図太いのだなと、イヅルは胸のうちで嘲笑う。そしてそんな己に対し、ようやく平静を取り戻したのだと分析した。 先程の恐ろしい感覚を思い出せと言われても、おそらく不可能だろう。それほどに衝撃的で、味わったことのない戦慄を彼はイヅルに与えた。あれが隊長というものなのだ。以前の上司であるところの藍染は穏やかな性質であるし、第一に隊長格のまともな霊圧などそうそう目の当たりにするものではない。たとえ、ほんの一瞬であるとしても。ビリビリと肌を妬くような刺激が未だ振り切れぬままイヅルの全身を覆っており、それが己に起こったことを如実に伝えていた。 おそろしい人だと、聞いてはいた。何しろ噂には事欠かない類の人物なので、覚悟もしているつもりでいた。しかし予想外の出方に、出鼻をくじかれたような思いでふらふらと彷徨っていると、聞きなれた声がイヅルの歩みを止める。 「あれ、吉良君?どうしたの」 「雛森君」 昨日も顔を合わせたばかりなのになんとなく懐かしい思いにかられながら、イヅルは可愛らしい声の主を振り返った。死神装束に小柄な身を包んだ少女の面持ちがパタパタとこちらに駆け寄ってくる。 「今日から三番隊勤務なんだよね?」 「うん」 「まさか、いきなり辞令出されちゃったの…?」 よもや、という様子で聞いてくる元、同僚―正しくは部下だが―の雛森桃に、イヅルは苦笑しながら答える。 「ひどいな、そんなことないよ」 「ちがうよ!吉良君が優秀なのはよく知ってるけど、……」 そこで複雑な表情で口を噤む桃に、さらに困ったようにイヅルは笑う。噂の多い件の隊長のそれは、どちらかというと良くない部類が多かった。なんと言ってよいものか、うつむいてしまった桃に、見かねてイヅルは微笑む。 「鬼ごっこしてるんだ、隊長と」 「鬼ごっこ?」 「うん、だからもう行かなくちゃ」 「藍染隊長によろしく伝えて」と一言言い置いて、怪訝な顔の桃をその場に残し、イヅルは踵を返した。「鬼ごっこ」の詳細を聞かれるのを面倒に思ったからだ。なにせ自分でも、置かれている状況を把握しきれていないのだから。 けれど、自らが発した「鬼ごっこ」という言葉が思いのほかしっくりきて、イヅルは人知れず微笑んだ。先程刹那的に感じた恐怖も、ましてや嫌悪感の欠片すら、イヅルの中には存在しなかった。それが、彼の人に相対した者が持つ心情としては非常に珍しいものであるということに、本人は気づいていない。 ボクから逃げきってみぃ 絶対服従の上司が出した、最初の命令。とりあえずそれをこなすこと。元来真面目が服を着て歩いているようなイヅルは、そう胸に決めて五番隊隊舎を後にした。 ...
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