「静かな大地」を遠く離れて
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2008年03月29日(土) |
「そんなに事態は深刻なのかい?」 |
■池澤夏樹『すばらしい新世界』(「わが友ブチュン」の章)より 「そんなに事態は深刻なのかい?」 「ああ、ひどいものらしい。ラサなんか、もう漢人の方がチベット人よりも多くて、 町の雰囲気もすっかり変わったと聞いている」 「そうなのか」 「リンタロ、間もなく何か大きなことが起こりそうな気がする。チベットを変える ような大きなことが近く起きる。その時にもしもきみの力がいることになったら、 手を貸してくれるか?」
『すばらしい新世界』のクライマックスで主人公はダライ・ラマ14世その人と面会することに なるが、会見の内容は描かれない。だが作家自身の対談の記録がある。
■ダライ・ラマの発言 池澤夏樹『未来圏からの風』(PARCO出版)より 私はまことに楽観的です。世界のさまざまな場所で、特に若い人たちの間で、普遍的責任感 とでも呼ぶべき感覚が強まる傾向が見られます。「私の国」とか「私の大陸」ではなく 人類全体について考える姿勢があります。これは実によい兆候です。だから、私たちは 普遍的責任感をもって、自分から始めて、全体を変える、向上させる努力を積まなければならない。 それによって私たちはよりよい世界、よりよい人類の実現に力が貸せるわけです。 これが私の根本的な信念です。 この対談は、深くはあるものの短い応答で終わっていて、文字で読む限り今ひとつ踏み込めない 感じがしていた。ダライ・ラマ猊下の「肉声」と言うにふさわしい本を最近手にして読んでみた。
■上田紀行『目覚めよ仏教! ダライ・ラマとの対話』(NHKブックス) 上田氏の愚直といっても良いような真摯さが、ダライ・ラマ猊下の存在に迫るライブ感が溢れていて 一気に読める。宗教家というよりも、まるでピーター・ドラッカーの話でも聞いているような感じで 現代世界の見取り図が描かれていくのが面白い。仏教はすべてを「つながり」の中で見ていく知恵 なのだから、社会生態学者であるドラッカーを連想するのも、あながち外れてはいないのかもしれない。
「チベット」「つながり」「自分から始めて全体を変える」「ライブ感」とキーワードにして並べると モーリー・ロバートソンさんのポッドキャスト、i-morleyに直結しないわけに行かない。 懐かしい『すば新』の一節を引っぱり出してめくってみれば、世紀の変わり目に大新聞の連載で グローバリズムに否を突きつけていたエキサイティングな読み物だったのだ、と感慨深い。 当時インターネットがようやく一般に使われる道具になりつつあった。
■i-morley公式ブログ http://i-morley.com/blog/
■チベトロニカ公式サイト http://www.tibetronica.com/
i-morleyのノリなら、『すばらしい新世界』の登場人物たちは世界の数カ所をネットや携帯でつないで お互いの動静を報告し合っているだろう。ネパールやムスタンから生でつないでいるかもしれない。 想像すると楽しい気分になる。林太郎さんたちはラサのニュースをどう聞いているだろうか。
(ちなみにモーリーさんが80年代に出版した『よくひとりぼっちだった』というエッセイは 僕の“青春の書”の一冊なのだ。)
さて『未来圏からの風』の対談での池澤氏の最後の質問、「孤独と利他主義」についての問いに、 仏教は、あるいは今後の人類は、どう応え得るのか。
■鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫) 確かにジョバンニの心の中に修羅の涙は流れ落ちている。しかしその修羅の涙は、「みんなの ほんたうのさいはひをさがしに行く」という菩薩道的誓願によって闇の中に輝く光源となる。
修羅の道、菩薩の道。 分断されて連帯できないでいる沢山の衆生に、笑顔と勇気!
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