「静かな大地」を遠く離れて
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狂躁の裏で静かに病み蝕まれていく社会。テレビという疑似世間にはアクセスしなければそれでいいが、 地下鉄や街路にあふれるノイズは耳栓くらいじゃ防げない。もし街宣車の廃止を公約する候補者があれば 政策を度外視して投票したいくらい。ラウド・スピーカーは暴力だ、飛び道具とは卑怯なり、とぼやく。
文庫になった『静かな大地』を読み直した。没義道を告発する松浦武四郎の肉声が臭うように残ったのは 時代の推移のせいか。この参院選がどう出ようと、不気味なものが蠢動している不快な感覚は拭えない。 ともかく政権交代が焦眉の急、と思ってみても、1993年の細川政権成立以降の十余年(!)を思うと 無力感にもとらわれようというものではないか。
■栗本慎一郎『自民党の研究』(1999)より 変化への対応は、意識的に行わなければ、大きすぎるコストを支払わねばならず、 社会的混乱を招く。今日の経済をめぐる論議を見ると、どうすれば勝ち組にはいれるか というものばかりだ。日本の政治が、意識してその急激な変化に対応をしつつ、庶民の 消費力をも保持しつつ、なおかつ勝ち組を勝たせるというという方針をとらなければ、 日本は物的、精神的な焦土と化すだろう。(中略) 今日、日本の政治に問われている課題、政治がなすべき仕事とは、これ以外ない。 明治維新に匹敵する構造変化、いやもしかすると革命ともいうべき変化のなか、日本と いう船に乗る者のできるだけ全員を、無事に新たな港に向けていくという仕事である。 ただ強い奴だけ生き残れというのなら、簡単なことだ。それは新しい時代を迎えると いうことではなく、弱い者を殺すというだけのことなのだ。その結果、強い者もやがて 死んでいくことになる。これが、焦土の意味である。
焦土という。もうすぐまた8月、各地を焦土と化した戦争も60余年を経てなお記憶の反芻は盛んだ。 日本には『平家物語』以来か、死を扱う情緒の伝統が連綿として在る。戦争もののドキュメンタリー や劇映画の需要は、そうした“諸行無常の響き”を情緒として受容することと関係があるのではないか。 そしてそれは井沢元彦氏が言うところの怨霊思想に起因していると思われる。『雨月物語』で西行が 逢った崇徳上皇の荒ぶる霊は、自分を讃岐に配流し失意のうちに死なせた世を呪う。上皇ともなれば 極めてパワーが強く、その恨みは平家を引き寄せ屋島で散々に敗れさせ、幼帝安徳を壇ノ浦に沈める。
日本の神話的思考の論理で言えば、異民族、まつろわぬ者はどんなに殺そうが虐待しようが天皇の霊的 なパワーで調伏可能だが、身内の高位者で恨みを呑んで死んだ人物は処置に困る。御陵を盛んにして、 社を立てて大いに祀るしかない。ひるがえってみるに、太平洋戦争末期の人類史上にも惨然たる未曾有 の敗戦、「海ゆかば」の詞を地で行くがごとき軍人、非戦闘員を問わぬ被害は何によって来るものか。 怨霊史観に則れば、それは前世紀後半の動乱期に崩御した孝明天皇の無念ではあるまいかと畏れる。 強行な攘夷論者といわれた孝明天皇には、毒殺説もついて回る。孝明天皇を弑し奉ったことが近代日本 の国生みに秘められし神話なのだとしたら。その帰結としての昭和20年なのだったとしたら・・・。 そんな恐ろしい妄念に憑かれる。霊的な視点からみた歴史の読み替え。荒俣宏『帝都物語』の世界だ。
話には続きがある。小室直樹氏言うところの「神風は戦後に吹いた」ではないが、敗戦は、近代日本が 明治以来肥大させてきた軍官僚の専横も、経済的に割に合わない植民地も、財閥独占も、八方ふさがり な外交のジレンマも何もかもチャラにして、すべてを経済復興に集中させる条件を整えたとも言える。 朝鮮戦争やヴェトナム戦争の特需も、平成日本人の大好きな懐かしき昭和30年代の幸福を下支えした。 これらはすべて、怨霊信仰の論理に則れば、恨みを散じた孝明天皇の御霊の御加護かもしれないのだ。 実務的には、昨日の敵たるアメリカの都合と、それに乗じた当時の日本人の臥薪嘗胆の粘り腰の賜物で あることは間違いない。焦土からはじめた日本は、アメリカの忠実なパートナーでありつづけている。
この構図。日本近代の雛形としての薩英戦争と似ている。ひとたび砲火を交わし、焦土と化した後は ただちに和を結び、軍艦の購入にはじまって留学生派遣から革命の方法、近代国家経営に至るまで 敵国イギリスの指導を仰いだ明治国家のオーナー、薩摩のたどった道は、どこか戦後日本に重なる。 島津斉彬の御霊は何を思ってこの国のゆくえを見守ってきたのだろうか。
『神皇正統記』や「国体」という用語を担ぎ出して日本のナショナリズムを再検討する佐藤優氏は、 おそらくは将来の主著となるであろう連載の中で「呪い」について、以下のように言及している。
■佐藤優「開国ー私のナショナリズム」第4回より 呪いをオカルトとして見てはいけない。呪いを再解釈するのである。彼我の力関係で、こちら側 が圧倒的に弱い場合、武力戦を行うのは得策でない。負け戦を行うのは愚か者だ。しかし、相手 に降伏するわけではない。表面上は負けた姿をして、相手を徹底的に思い、呪う。そこから今まで 見えなかった相手の弱点が見えてくる。その隙間を狙って、新たな攻撃を仕掛けるのである。 呪いとは、武器無き戦争、つまりインテリジェンス戦の一部なのである。
核拡散とエネルギー外交を争点とする新帝国主義時代の思想戦に備えよ。佐藤氏はそう呼号している ようだ。再びアラマタ風に言うならば、「霊的国防」という怪しげかつ物騒な言葉が頭に浮かんでくる。 物質力ではなくまず知力、胆力で負けていたのでは、サバイバルはおぼつかない、というわけか。
■佐藤優「ラスプーチンかく語りき」24より 過去20年間、日本の知識人、特に私の世代以降の知識人は「大きな物語」を作るという作業 から逃げ出してしまいました。その結果、知識人という言葉すら、現下日本では死語になりつつ あります。(中略) 私はこのような態度が知識人としての責任放棄のように思えてならないのです。知識人が 「大きな物語」を作るという知識人に課された責務を遂行しないから、このような状態になって しまったのです。(中略) さて、それではその作業をどこから始めるかということです。私は現在の日本にとって必要な ことは神話の構築だと思います。この神話の構築は、日本の歴史、伝統、文化を探っていくと 「神話が発見された」という形態をとることになると思います。
「神話をこわす知」と言ったのは小熊英二だったが、ブリコラージュで図を浮かび上がらせる仕事は、 金属疲労を起こして使い物にならなくなった神話を壊し、新たな神話を創る知とも言える。そういえば 小熊氏は、池袋ジュンク堂でのトークで、執筆の動機について「愛なんかじゃないですよ!呪いですよ!」 と連呼しておられた。やむにやまれぬ何かに深くとらわれて、つい持ち上げてしまった漬物石をどこか に置けるまで運びつづけるしかない、という気分で仕事をしているという話を熱く語っていた。 だから使命感や愛、なんてもんじゃなくて「呪い」だという。
時代が積み残した宿題を、まことに雄大な構想と執拗な筆致で描いた作品が、20世紀の日本にもある。 島崎藤村の『夜明け前』だ。この大長編を松岡正剛が千夜千冊などで解説したのを読んで、初めて日本の 近代史の本源に関わる、今なお忘れられたままの分岐点を掘り起こした物語であると知り興味を覚えた。
■松岡正剛『日本という方法』より 幕末維新の約三十年の時代の流れとその問題点を、ほぼ全面的に、かつ細部にいたるまで 扱っています。藤村はこの長編小説を通して、日本人のすべてに「或るおおもと」を問い、 その「或るおおもと」がはたして日本が必要とした歴史の本質だったのかどうか、そこを 描きました。(中略) 藤村が『夜明け前』を書きはじめたのは昭和四年(1929)で五十六歳のときです。(中略) そういうときに藤村は明治維新に戻って、王政復古を選んだ歴史の本質とはいったい何なのか と問うた。その王政復古は維新ののちに歪みきったということを、藤村は見てきたのです。 よく見れば、ただの西欧主義だったのです。それが悪いというのではなく、福沢諭吉が主張 した「脱亜入欧」がひたすら喜んで迎えられただけなのです。 しかしそれを推進した有司たちは、その直前までは「王政復古」を唱えていた。いったい何が 歪んで、大政奉還が文明開化になったのか、藤村はそこを描こうとしました。
この長大な小説を自分が読む気になるとは思っていなかった。が、先ごろ作品の舞台であり藤村自身が 育った馬籠の宿へ出かけて本陣を見てきたのをきっかけに読みはじめ、いま半ばにさしかかっている。 吉村昭や野口武彦の幕末維新を扱った本に馴染んできた身には、親しい人物や事件が次々に出てくる。 それが馬籠というトポスの、主人公の青山半蔵という生真面目な本陣の後継ぎの目線で縫い貫かれる時、 実にリアルに体感される。半蔵は平田国学に心寄せる。古(いにしえ)というユートピアの思想は沢山 の人々の心をとらえたが、王政復古は廃仏毀釈や国家神道という、およそ美しくない帰結に転化して、 さらに今世紀の歴史の展開の中で、振り返られるべき価値もない忌まわしき過去の遺物と成り果てた。
1945年をめぐる日本近代の神話的論理をひもとこうとするならば、すなわち我々が立っている地盤を 意識化しようとするならば、『夜明け前』を素通りするわけには行かないのだろう。 内と外に引き裂かれた近代日本国家のセルフ・イメージ、その精神分析のための症例記録なのだから。
■岸田秀『歴史を精神分析する』より 天皇の祖先が天から降りてきたのではないから天孫降臨の神話があり、神武天皇または 神武天皇に類する者が東征したのでないから神武東征の神話があるのではないか。 日本という国がなぜこのような構造の国になったのかは興味深い問題である。(中略) 何はともあれ、国ができかかった頃の日本古代と、ペリーが来航した十九世紀半ばの 日本近代とは状況が非常によく似ている。これは偶然ではないであろう。 日本近代の欧米諸国に対する反応は、日本古代の大陸・半島に対する反応の反復強迫である と言える。反復強迫というところに日本近代の成功と失敗を理解する鍵があると思われる。
喜んで自ら開国したのか、無理矢理に国を開かされたのか。いろいろな立場と自己欺瞞が折り重なって、 何が「ほんとうの自分」の気持ちかわからないままに、さらなる紆余曲折を経たメンドクサイ自意識の 持ち主となった日本は、ずっと微妙な「内と外」の分裂に振り回されているのだ。きっと最近のアメリカ 追随外交からハゲタカ騒動、改憲論争から白州次郎ブームに至るまで、すべてに通じている。 昭和45年には、そうした「自分探し」に命を懸けて憲法改正を叫んだ人もいた。
■小室直樹『三島由紀夫が復活する』より 特筆すべきは建白書末尾の次の言葉である。「あくまでそれによって日本の魂を正して、そこに 日本の防衛問題にとって最も基本的な問題、もっと大きくいえば、日本と西洋社会との問題、 日本のカルチャーと、西洋のシヴィライゼーションとの対決の問題、これが、底にひそんでいる ことをいいたいんだということです」と結んでいるのである。 この対決は、かつての軍国主義による力の対決ではなく、日本文化による止揚であると三島は 強調しているのだ。
引用文中の「それ」は、憲法改正である。この本は、社会科学の通俗向け解説で人気の小室直樹が珍しく 本気で世に問うたもので、いつもの軽妙な独特の語り口とはまるで違う。三島の思想を仏教の唯識哲学で 読み抜いて、現代の日本を舌鋒鋭く論難する熱い口調は、「奇書」と言ってもいい出来映えである。 ちなみに蛇足ながら、『帝都物語』後半で三島由紀夫や三島が転生した人物も登場するという展開は、 この「奇書」が着想源となっているものと思われる。
保守といい右翼といっても、その内実や層の厚みは、近代の紆余曲折の中で多岐にわたり、十把一絡げに 片付け得るものではない。佐藤優氏が紹介に力を入れている大川周明や権藤成卿にしてもそうだ。満州研究 で最近新書もたくさん出している小林英夫氏の解説によれば、権藤成卿は、血盟団事件や五・一五事件の 黒幕的存在としてクローズアップされた農本主義者だという。
■小林英夫『「昭和」をつくった男――石原莞爾、北一輝、そして岸信介』より 権藤は『皇民自治本義』の中で「社稷の発現は民衆の自治に始まる」、さらには 「民衆の自治を無視して、国家は成り立たない」といった趣旨のことを述べます。 さらに権藤は、この社稷と東洋的自治の理想の姿を大化の改新に見ます。大化の改新こそ、 社稷と自治が完全になされた理想的な社会であるという結論に達するのです。 ところが明治の世になると、西洋思想が蔓延し始め、社稷と自治の伝統は大きく後退して しまいます。「欧米崇拝の乱痴気漢」や「鹿鳴館時代の狂態」といった表現を用い、 権藤は明治維新以降の世情を憂え、激しく批判します。
『夜明け前』にしてもそうだが、世の中の大文字の事件とともに世間の些事のディテールがよく描かれて いると、つい現在の状況に当てはめてしまう。そういう読み方で古いものに新たな光を当てるのは面白い。
■佐藤優「ラスプーチンかく語りき」22より 現代に権藤成卿の思想を生かすなら、このように敷衍してみてはどうでしょう。自分たちが 何かやりたいと思ったら、国家を頼るのではなく、志の共通する人間たちのイニシアチブで 共同体をつくる。それはいろいろな性格のもので、NPOやNGOという形態をとるものもある でしょう。ひとりの人がひとつの共同体に身を置くのではなく、複数の共同体に属することで ネットワークが広がってゆく。それらが国家を媒介とせずに、地下茎のように幾重にも結び つくことで、国家という巨大な暴力装置を縛り、暴発を抑えることができるのだ、と。 戦前の思想家の言説の全てを否定するのではなく、テキストとして虚心坦懐に読んでいけば 学ぶべきところはたくさんあると思います。
佐藤優は、思想や立場の異なる相手とも関係を持ち、対話する能力に秀でているように見受けられる。 連立方程式に解がないように見える場合でも、人として何かを共有することができるのだろう。 ホンマかいな、というプレゼンテーションまで含めて、使えるものはなんでも使って生き延びる、それが これからの思想戦には必須だ、というメッセージと受け取ろう。それなら「静かな大地を遠く離れて」の 本懐である。さて思想戦という以上「敵」が存在する、ということだ。 とりあえず当面の状況のわかりにくさは「敵」が誰だかわからないことだ。固定した立場に安住できる者 はいない時代。少しでも賢明になる努力をつづけ、知恵の限りを尽くして生き延びること。
■栗本慎一郎『パンツを脱いだサル』より 救済思想は暴力と戦争の合理化を生むという真実を、彼らは一歩先に知ってあたかも利用して いるかのようである。確かに彼らはある意味では「勝ち組」であり、知識を持つという点では ぬきんでて優れているように見えるが、最終的には(それも近いうちに)彼ら自身のすむ地球 を(物的かつ精神的に)破壊してしまうだろう。(中略) 生きるための哲学は、過去の敵であっても徹底的に平和的に共存する道を探ることのなかに しかない。(中略) 自分たちを生んだ地球やひいては宇宙に反逆し、破壊を仕掛けずに自制して生きていけるだろうか。 他の種の生命にも、あるいは鉱物のような非生命にも、尊敬と愛情を持って生きていけるだろうか。 ヒトの中の弱者に対しても愛情と尊敬を持って生きる道が持てるだろうか。 難しい。だが、なんとしてもそうすべきである。
最後の「敵」は、ヒトそのもの。その難儀さを見据えて、どう生きるかが問われる。 アーサー・ケストラーが提唱していたように、とりあえずキリスト教由来の西暦を廃止して、1945年、 人類が核の火に手をつけた瞬間を「紀元零年」とする、新しい世界歴に切り替えてはどうだろう。 核兵器が使用されて殺戮が行われたことを、「平家物語」的な情緒として昇華するのではなく、現実の政治 的な過程の中で全人類のテーブルの上に提示するのだ。国家としてそれを提唱するとしたら、やはりそれは 日本の役割だろう。あるいはこれこそ、何か国家や宗教の背景のないNGO、NPOの仕事かもしれない。 時間を統べる尺度を、全人類にとって意味があり、かつニュートラルなものにして歴史をリセットするのだ。 大した実効性はないかもしれない。が、この程度のことさえ無理なら何も変える希望など持てないではないか。 地球上の最も物騒な火種は、神との契約を戴く人たちが生み出しているのだから。
■佐藤優「開国ー私のナショナリズム」第5回より 人間と神は完全に質的に異なり、両者の間には断絶があるので、人間は神について語ることが 原理的にできない。しかし、人間は神について語らなくてはならない。この「不可能の可能性」 に挑むのが神学なのである。 さて、話をユタに戻す。人間であるならば誰であれいずれは死ぬ。ユタは、シャーマニズムに よってこの「死の壁」を乗り越えているのである。制度化した学問の枠からも、この「死の壁」 を乗り越えようとする必死の試みがあった。一橋大学の元学長で、社会学者であった上原専禄氏 の最晩年の知的格闘を、ここで私は念頭に置いている。(中略) 各人にとって決して「過ぎゆかぬ時間」が存在し、生者と死者の共存共闘による「死者ととも なる時間のあり方」をユタも追求しているのである。
生者と死者の共存共闘による「死者とともなる時間のあり方」。 それを不断に感じ続けようとした人物に、2002年に亡くなった日野啓三さんがいる。
■日野啓三『書くことの秘儀』所収「人間に成る」より 彼らは“逞しい野蛮人”というよりいつも不安な“神経病者”だったように、私にはイメージされる。 外部からの身体的危険より、自身の内部からどうしようもなく滲み出し湧き上がってくる情動の 暗い波が、いっそう心を脅かしたろう。そして言語能力が実用的コミュニケーションのレベル から概念的書き言葉レベルまで高まるにつれて、愛する者と自分自身の「死」という見えない 不条理が、耐え難く彼らの心を苦しめただろう。(中略) 私がとくに成人儀礼に注目するのは、「死」という人間にとって最大の不条理であり恐怖であり 悲しみの源であるその事態を、いわば逆手にとって、“新しい人間”誕生の協力な契機とする、 という逆説的な、若干シニカルでなくもない高度の意識操作だからに他ならない。
1945年、8月。京城から来た少年・日野啓三は、父の郷里である広島県福山市に引き揚げてくる。 人類の新たな紀元零年。日野さんならば、精神の焦土をも、イニシエーションとして超えてゆくだろう。
■池澤夏樹「日野啓三さんを悼む 「無限」と向き合う文学」より キーワードは無限ということだ。科学と哲学と神学だけが無限を正しく扱い得る。その時々の 現世的な知識とこの三つの「学」をぶつけるのが日野啓三の文学の原理ではなかったか。(中略) 作家日野啓三の思想の根底には、ヒトという種の飛躍を望む思いがあった。それが科学から来ても 形而上学から来ても、文学ならば受け止めることができる。そういう広い文学の器を日野さんは 用意した。だからぼくは今、日野さんの死を一つの越境として受け止めることができる。悲嘆の情 を超えることができる。この場合に限って、冥福を祈るとはそういうことだ。
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