「静かな大地」を遠く離れて
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秋風が立ったようだ。先週から夜のひとときを屋上でラジオを聴いて過ごしているのだが、 音のない雷が雲の輪郭を照らし出したり、不思議な空模様の日がつづいてショーの様相を 呈している。そういえば最初の日はペルセウス座流星群の極大日だった。曇り空だったし、 流星が見えることもあるまいと思っていたら、閃光弾のような禍々しい光が、鋭い角度で 一つ空を切り裂いた。怖かった。やはり流星や彗星の類は、おそるべき凶兆と受け取って、 極大日などには室内で物忌みするというのが、伝統文化に根ざした正しい過ごし方かと♪
以前も幕末の孝明天皇と本邦史上最強の怨霊・崇徳上皇の話の時に、そんなことを書いた。 況や丑三つ時に連れ立って流星見物に出かけるなどは、鬼の所業に等しいと言えよう(笑) ま、屋上でアイスクリームを食べつつ鬼の所業というのはなかなかに愉しいものではある。 ともあれ、1910年のハレー彗星を待ちながら、日々「静かな大地」を読み継いでいる。
本編は、黒澤明「生きる」の宗形三郎版めいた展開になっている。それだけ直接叙述では 扱いえないテーマなわけだが、ここはひとつ蝦夷が島の快男児が登場する佐々木譲先生の 新刊のお知らせをしておこう。『武揚伝』刊行から一年、その前史となる時代の話らしい。 時代小説の新刊コーナーで見つけて即購入。純粋に読むのが楽しみな新刊は意外と貴重だ。
■佐々木譲『黒頭巾旋風録』(新潮社) (帯より引用) 時は天保、松前藩が支配する蝦夷地では、仁を忘れた武士や、利に溺れる商人が、 民を苦しめていた。森に大河に、血涙が流れる。ひとがひとを貪り苦しめること、 断じて許さぬ! 男は、ついに起ち上がった。駿馬を駆り、悪党を懲らしめ、風のように去ってゆく。 覆面に隠されたその素顔は…。 痛快時代小説、見参。 (引用終わり)
ご自身のHP「佐々木譲資料館」より、ご本人の弁を引用させていただきます(^^)
> 『黒頭巾旋風録』、見本刷りがあがりました。22日ころには、店頭に並ぶはずです。 > 『赤旗日曜版』という、ファミリー向け媒体に連載したこともあって、 > 「バイオレンスなし」「セックスなし」という制約下の作品。 > それでいて冒険活劇。むかしなつかし紙芝居をイメージして書いたものです。 > 舞台が同じだからといって、船戸与一『蝦夷地別件』とは較べないでください。 ふむ。確かに『蝦夷地別件』は、ワイドスクリーンな史劇で読み応えのある力作だった。 でも没頭しすぎて最後が結構つらかった(^^; 『武揚伝』の読後感も切なかったけれど、 『蝦夷地別件』ほどニヒリズム的な気分ではなく、明るいポジティブな感覚も残った。 なんだろう、船戸氏の読後からは、もはやテロルにでも走るしかない、とでもいうような 覇権国家への呪詛めいたものを感じる。国家への呪詛というと、『武揚伝』つながりで、 孝明天皇話、個人的趣味としてはそこからさらに崇徳上皇話へという流れを描いてしまう。
“近代国家としての明治”というのは幻想で、蝦夷共和国を潰した明治覇権国家こそは、 怨霊を祀る呪術国家だったのだし。いつか突かねばならない日本史の“急所”であろう。 そのまま「大東亜」戦争末期の狂騒にまで流れ込んだ、というのは無理のない理解かも。 むしろ本邦のモダーンは、津軽海峡を隔てて、箱館の蝦夷共和国の側にこそ在ったのだ。
ちょっと参考になりそうな、荒俣宏御大の盟友による新刊が出たのでご紹介しておこう。
■田中聡『妖怪と怨霊の日本史』(集英社新書) (「第九章 末法の魅惑」より引用) 明治維新からも怨霊が生み出されたのだ。そのこととの関連は定かではないが、慶応四年、 京都白峯社の建立は再開され、八月二十六日、讃岐の白峰社で奉迎の神霊式が行われた。 王政復古は前年十二月にすでに宣言されていたが、この年一月の鳥羽伏見の戦いから戊辰 戦争が始まり、五月三日には奥羽列藩同盟が結成され、八月十九日には榎本武揚が艦船 八隻を率いて箱館へ向かっている。崇徳神霊の奉迎の式が行われていた二十六日には、 会津若松城を新政府軍が包囲中で、趨勢はいまだ決していなかった。 (引用終わり)
まもなく8月26日、崇徳天皇その人の命日である。讃岐の白峰にも、京都の白峯神宮にも 行ったことがある。いいかげん積年の宿題である、辻邦生『西行花伝』も読まねばならない。 『帝都物語』の世界になるが、「国家」と「魔」的な力を結ぶ“秘術”を侮ってはならない。 現在の世界に関して、ほとんどそれ以外に考えるべきことはないのではないか、と思わせる ような深度を持つ中沢新一の『カイエ・ソバージュ』の第二弾を、最近ようやく読み終えた。
■中沢新一『熊から王へ カイエ・ソバージュ2』(講談社選書メチエ) (「はじめに」より引用) おりしも世間では、「文明」と「野蛮」の対立をめぐって、さまざまな議論が戦わされて いるが、このような概念の使用法そのものに、この本は異議を唱えようとしている。話題 に登場するのが、熊や山羊やシャチのことだからといって、私が現実への「不参加」を きめこんでいるなどと、誤解しないでいただきたい。ただ少しばかりの想像力を働かせ さえすれば、毎回の講義が、リアルタイムで進行中の歴史との、張りつめた緊張関係を 保ちながら進められていることが、おわかりいただけると思う。 (引用終わり)
なにせ「熊から王へ」である。『旅をした人』にまとめられた文章を読み耽っていたころ、 いやもっと前、『母なる自然のおっぱい』所収の「狩猟民の心」を精神安定剤のようにして ヒグマのいる北海道に暮らす日常をどうにかやり過ごしていたころから、長い間ずっと心に 懸かっていた難儀かつ微妙な問題を、中沢氏がこの一冊で概ね“絵解き”してくれたのだ。 『哲学の東北』で宮澤賢治に異次元の角度から光を当てたように、これも鮮やかな仕事だ。 『クマに会ったらどうするか』と併せて『静かな大地』読者の副読本としても必須である。
題:413話 遠別を去る13 画:サブレ 話:あれはやはり兄の亡霊から逃れる思いに駆られたからではないかと思うのだ
題:414話 遠別を去る14 画:落雁 話:最初から持って生まれる力は決まっているのかしら
題:415話 遠別を去る15 画:あられ 話:舞台を去るきっかけを待っている役者のようだった
題:416話 遠別を去る16 画:いもけんぴ 話:鉄砲を自分に向ける理由は別にあったと思う
題:417話 遠別を去る17 画:ふきよせ 話:この子は兄を源義経か何かのように思っているんですのよ
題:418話 遠別を去る18 画:ピーナツせんべい 話:あの男が困惑する顔を初めて見た
題:419話 遠別を去る19 画:チェリービーンズ 話:裏切りと謀反、まさにその通りだよ、と言ってあの男はふと笑った
題:420話 遠別を去る20 画:きな粉飴 話:アイヌと和人の間に立つなどということはあり得ないのだよ
題:421話 遠別を去る21 画:マシュマロ 話:もうアイヌの側に立つしかない、半端なことではいけない
題:422話 遠別を去る22 画:チューイングガム 話:獅子に向かって草を食えというようなもの
題:423話 遠別を去る23 画:ビスケット 話:明治だからさ
題:424話 遠別を去る24 画:水飴 話:書く合間にも、曖昧な、おぼろげなものが指の間からすり抜ける
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