「静かな大地」を遠く離れて
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2002年04月18日(木) 場所の記憶

題:302話 チセを焼く2
画:寒暖計
話:アイヌの場合は言葉の力、ものがたる力が抜きんでていた

昨日は、風が身体を運んでしまうくらいの勢いで吹いていた。その風が新緑の街路樹を
ごぅごぅと吹き荒ぶのを体感したくて、バタバタしている中を昼食をわざわざ職場の外
の店へ食べに出かけつつ、樹々の間を歩いた。そういえば室蘭にいたころも、そんな癖
があった。自席から、ふと何かに誘われるように数分も歩くと、人の気配もない樹木の
ざわめきの中に身を置くことができたものだ。東京でもあれだけ吹けば、それに近い。

先週末は本当に深閑とした樹木の世界にいた。「春の雨に浮かぶ宇宙」で触れた奈良に
行って来たのだ。大神神社のある三輪山界隈を歩き、さらに今年は桜が早く通り過ぎた
ばかりの吉野へも出かけた。バブル最盛期に大学生となって上京した世代にも拘わらず
「修験道研究会」でも立ち上げようか、と冗談にでも考えるような、反俗的な学生時代
を送っていた身には、吉野は一度は訪れてみたい聖地だったのだ。思い立てば出かける
機会はあったのだろうが、今回何かのめぐりあわせのおかげか初めて行くことができた。

他のどこでもない場所。地形、風景、光、風、産物、人々、さまざまなものがその土地
を特別なものにしている。言葉の原初的な意味での観光の快楽を味わうことができて、
あらためて“場所の力”というものは強いのだな、と思った。以前から考えていたこと
であったが「ギリシアの誘惑1999」を再録したのには、そんな気分も関係していた。

すでに3年も前の旅なので、何か現時点のコメントを付けたくなるところもあったけど、
ひとまずそのまんまアップしておくことにした。去年の夏オランダへ旅行に行ったとき、
チケットが欧州内で一回どこの都市で行けるものだったので考えた末にアテネを選んで
あの服屋さんを再訪したのだが、その時に買った生成りコットンのジャケットを自分で
青く染めた話はここにも少し書いた。三輪や吉野へは、そのジャケットを着て出かけた。

身体の中に降り積もるさまざまな場所の記憶。それがまた何かと感応して連鎖していく。
微細な繋がりをたどりながら、同じ時に一つの場所しか占めることの出来ない、身体と
いう不自由な乗り物を乗りこなしていく。そここそ、不可避的に言葉が発生する現場だ。


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