「静かな大地」を遠く離れて
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題:301話 チセを焼く1 画:リボン 話:明治二十九年の三月、モロタンネが亡くなった
あと100回、と思うと終わりから逆算したくなるのは人情というものだろう。 これまで通り、30回が一章のユニットならば、残りは三章ということになる。 そのうちの一章が、モロタンネの死をめぐる章となる。偉大なるフチの昇天は、 遠別にとっての凶兆ともなるのだろうか。あとたった三章、どう描くのだろう。 宗形三郎という魅力的な人物の“最期”は“未来”にどう反映されるのだろう。
今ごろになって気付いたが、8月8日を誕生日に持つ三郎は、未来圏からの風 を星野道夫からだけでなく、羅須地人協会を立ち上げた人物からも受けている。 あの人の「ユートピア」は仮初めにも成功したとは言い難いが、三郎の場合は あり得たかもしれない、もうひとつの日本近代を幻視させる程度には成功した。 日本近代の歪みは、歴史のお勉強の上での問題ではなく“いまここ”の問題だ。
文庫に落ちたばかりの澤池久枝さんのエッセイ集に星野道夫氏への言及がある。 ■澤池久枝『六十六の暦』(講談社文庫)に所収のエッセイ「極北のいのち」
この取り合わせを「意外」と思ってはならない。ミチオは太平洋戦争に興味を 持っていた。太平洋にも歴史にも切実な関心を燃やしていた。僕は、彼が語る 太平洋戦争というものを、もっと聞いてみたかった。ベーリング海の上空遥か から視るような、不思議なタイムスケールの中で捉えられる太平洋戦争の姿。
一貫して「日本近代の歪み」を背負わされた個人を追ったノンフィクションを 書き続けてきた澤池久枝さんの代表作、『蒼海よ瞑れ』(文春文庫)はミチオ の本棚に、『ミニッツ提督海戦史』などとともに、しっかりと置かれていた。 動物の生き死にを写真で捉えてきた星野道夫が視た戦争。興味あるテーマだ。
そこでは戦争という、文明が作りだした「死」もまた自然の大きな文脈の中に 捉え返されているようだ。そこからなら、現在の世界も見えるかもしれない。
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