「静かな大地」を遠く離れて
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2002年04月10日(水) Gの誘惑1999 ウィーンにて〜終章〜

  1999.3.31「ウィーンにて〜終章〜」

飛行機の便の都合でまだ暗いうちにホテルを出たと行うのにアテネ空港でテクニ
カルトラブルのために3時間の足止め。ウィーンで過ごす時間が大幅に減ってし
まう。航空会社の手配で、別のフロアの食堂で朝食を食べて待つ。

同席することになった中年夫婦と同年代の女性はドイツ語を話す人たちだが、な
んかカタい印象。そりゃ昨日の観光ツアーで会ったカリフォルニア&マイアミの
アメリカ人みたいに外向的とは思わないけど、ちょっと「あれっ?」と思う。
こっちは多少はめずらしい東洋人なのだしもう少し反応してくれてもいいじゃん、
という気分になる。

ドイツ系の人は神経質というようなステレオタイプの見方が頭に浮かぶ。これま
での少ない旅行経験の中ではドイツ語圏が多くて、ドイツ系親しみをもっていた
のに…。それともわずかの間のギリシア旅行で、僕が南方系に変貌したというの
だろうか?…それもありえないことではない。
そうだとしたら、それはそれで少しうれしかったりもする。

やっと辿り着いたウィーンでホテルに荷物を置いて街へ。
ランドマークは、ザンクト・シュテファン大聖堂。どこからでもその尖塔を見つ
けることができる。道路に自動車が入ってこない欧州の都市の中心街は、どこの
街でも歩きやすくて好きだ。大聖堂の尖塔をめざして散歩する。

前回この街を訪れたのは、1991年の春だった。
ちょうど大学を卒業するころで、ウィーンからブダペスト、そのあとドナウ川沿
いを遡って南ドイツやザルツブルグ、夜行列車で足を伸ばしてベルリンへ往復し
て、それから一気にパリへ入った。すごく楽しい旅だった。あれ以来、どういう
わけか去年まで遊びで海外、とりわけ欧州へ出かけたことはなかった。

その理由がウィーンの街を少し歩いただけでわかった感じ。日本人がイヤになる
くらい溢れかえっているのだ。
僕が見た欧州は、ちょうど湾岸戦争の空爆から地上戦にかけての時期だった。
日本人は女子大生をはじめとして、軒並み旅行の計画を取りやめたり、国内に変
更したりしていた。今にして思えば具体的なテロの危険性よりも「自粛ムード」
によるものだったという気がする。

「平時」のウィーンの日本人の数たるや大変なものだ。
別に日本人がいて実害があるというものでもないのだが、ウェストポーチのオジ
サンや、ハイキングに行くような姿のオバさんたちは、見ていて特別美しいもの
ないだろう。まだ明日香村や高山寺や京都御所や北鎌倉を歩いているオバサマた
ちの方が、白州正子や立原正秋なんかを読んでいて美意識に敏感なような気がす
る。きっと気がするだけだろうが。

すっかりヤル気をなくして目的地だった大聖堂の中に入る。

大伽藍の中の少し埃くさいひんやりとした空気。
ステンドグラスやロウソクや聖像の数々。祈りの場所。
建築を見物にきた観光客の列から離れてミサの時に使われる椅子に座った。
8年前も僕はここにきて座っていた。すべて同じだ。
地上戦に突入した湾岸戦争のことをぼんやり考えていた。
戦争なら、今だってやっている。
さっき飛んできたアテネとウィーンの間にコソボはある。
空爆、難民の発生、あれが戦争でなくてなんだろう?
世界で戦火の止む日はない。
それは数学の公理のような動かし難い物事の前提 。
だからこそ強靱な「幸福の定義」を人は必要とする。
…話が少し先走り過ぎているかもしれない。

旅のまとめ。
ギリシアと日本の間に既知の場所のウィーンを訪れて、精神の整理体操をしよう
という目論見。去年の秋はバカなことに、パリと北ドイツの後にバリ島へ行って
しまって、帰国してから地獄を味わった。

中途半端な一晩をどう過ごそうか?アールヌーヴォー建築を見て回るには時間が
ないし、8年前にみた。クリムトの絵はもう一度みたいが、閉館時間までもう間
がないだろう。オペラでも見ようか?
サントリーニで逢ったAさんが、将来アトランティス伝説をモチーフにした新作
オペラを完成させて上演するときに、オペラというジャンルそのものへの素養が
ゼロでは、充分に味わうことができない。

8年前に来たときには立ち見席のチケットを並んで取った。
観た演目は「ラ・トラビアータ」だった。開演の2〜3時間前から並んだおぼえ
がある。列には各国のジーパンを穿いた旅行者風の若者、音楽学生らしき地元の
人がいて、確か20シリングとか30シリングだった。
本物中の本物の芸術を若い人に体験させる機会を設けているあたりに欧州文化の
懐の深さを感じて一人で感心していた。

立ち見はなかなかシンドい。前回3時間くらいある上演時間の間に、フランス人
のきれいなおネエさんが貧血を起こしてぶっ倒れてドン!という鈍い音にびっく
りした。でも青春の想い出を追体験するのは今日の気分にも合ういい時間の過ご
し方だ、ちょっと並んでみるか…と思った。須賀敦子の本に登場する人物のよう
でいいではないか。国立オペラ座を半周して、立ち見席受け付けのガラスのドア
を覗き込んだ時…! 日本のウェストポーチ系のオバさんが、沢山並んでいた!

言うまでもなく、僕はドアを開けずに引き返した。
まったくみんなお金持ちなんだから、ツアー会社に頼むなりして日本でチケット
予約すりゃあいいのに、と自分を棚に上げて思う。欧州で音楽を勉強中の苦学生
の若い人が、確実に何人か、今夜の「ドン・ジョバンニ」を観る機会を奪われた
わけだ。こういうことを気づかずにアチコチでやっているんだろう。

大聖堂の方へ戻るあいだにも、日本人が目に着く。
アテネで見た日本人は、まだしも他所の国に来ているという緊張感があったよう
に見えたのは贔屓目だろうか?
ましてサントリーニで遭った人たちはみんな魅力的だった。
訪れる意志の力、そして覚悟。
観光旅行にも人格は出るのだ。

須賀敦子のイタリア、星野道夫のアラスカ。
彼らの人生や姿勢はとても真似できないが、本は読める。
自分のことを棚に上げつつ10代、20代を振り返れば、心ある若い人たちには
彼らの本を読むことを強く奨めたい。
僕はまだ30歳だが、この歳になってからだと中途半端だ。
ロバート・ハリス『エグザイルス』も力になる旅の本だ。池Z夏樹のギリシアと
いうのもあるにはあるが、あまり滅多な人には奨められない。御大自身も処理し
きれない不発弾のようだから、準備のない人が触れるのは危険だ。
小説家は、まず小説から奨めよう。

なんとなくウィーンにいること自体が手詰まりになって、早い夕食を食べること
にした。ついギリシアの影を追って「アルテミス」というギリシア料理屋の店先
のメニューを見たりしてしまう。値段がアテネよりずっと高いし、バカげている
ので入りはしなかったが。

大聖堂の近くではあるが、薄暗い感じの食堂に入った。
いつも食べることにしているグヤーシュ・スープがなかったので他のものを頼む。
何の意地だか自分でもわからないが、英語を使わずに超初等ドイツ語だけで通し
た。しょせん単語を並べているだけなのだが、それは英語だって大して変わりは
しない。この程度だったらギリシア語も出来るようになるかな…そんなことを考
えた。帰ったら本を探して買おう。


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