「静かな大地」を遠く離れて
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2002年04月09日(火) Gの誘惑1999 ガイアの泉

1999.3.30「ガイアの泉」

早起き、外は雨降り。アテネの春は、やはり雨が多い。
でも「必要」な時にはきっと晴れる。僕の人生は、そういうことになっている。
昨日のスーニオンで図にのっている。
オポチュニスト修行は、うまく行っているようだ。
テレビのCNNではコソボの難民のニュースをやっている。近くにいるとリアル
だ。明日は、あの近くを通ってウィーンへ飛ぶはず。

きょうはデルフィーへ出かける。車で3時間くらいかかる。
サントリーニ島への旅やスーニオンでエーゲ海を堪能したので、ギリシアのもう
ひとつの顔である山の風景を見るのが楽しみだ。
昨日アテネの旅行会社に申し込んだ日帰りツアーで行く。

迎えのオジさんに指示された観光バスに乗り込んで出発。
ガイドのオバさんが、べーシックな英語で案内してくれる。デンマーク、オース
トリア、あとどこだかわからない国々の人が参加しているので、ゆっくりと確認
するように喋ってくれる。おかげで何の説明をしているのかは充分に理解できる
し、内容も本の予備知識のおかげで6割くらいはわかる。それにしても説明が神
話や哲学や歴史に及んで高尚なものにならざるを得ないのが、この国らしい。
デンマーク女性が哲学の概念について熱心に質問している。

雨が降りつづく中、巨大な岩山が連なる内陸へ入ってゆく。
海から500キロも離れれば全国土がカバーできる国だが、ギリシアの内陸部は
海とはまるで別の顔を見せる。
いまも紛争の絶えないヴァルカン半島の諸国へ地続きの山。
マケドニアやアルバニアの国境を越えて、難民たちが歩いてきても、あながち不
思議ではない地政。NATOの空爆はどうなっているのか、街のキオスクで見る
英字新聞の見出しくらいしか情報源がない。

ガイドのオバさんの獅子奮迅の解説に圧倒されているうちにデルフィーに近づい
てきた。バスは、舗装された山道を登っていく。巨大な岩の山塊が凄絶な景色を
つくりだしている。深い谷を隔てた岩山にジグザグの細道が白く刻まれている。
ロバに乗ってあの山道を行ったらどんな世界があるのか?道の彼方にはバルカン
から東欧の国が連なっている。

雨は弱くなっている。空が明るさを増してきた。
ガイドさんが言う通り、デルフィーはアテネと天気が違うらしい。雲ともつかな
い薄靄がかかる岩山の頂に、点々と白いものが見える。冬からわずかに消え残っ
た雪! ギリシアの山の地方は、冬にはしっかり雪が降るという。サントリーニ
やさらに南のクレタはアフリカまであとわずか、しかしこの山の彼方にはマケド
ニアやユーゴスラビアがあるのだ。

日本もあれでなかなか南北に広がりのある大国だ、と思う。
去年、那覇でクーラーの効いた喫茶店でコーヒーを飲みながら僕は長野オリンピ
ックの日本ジャンプ団体優勝を知った。
汗をかいてコーヒー豆の麻袋を担いで納入に来た兄にぃが、浅黒く日に焼けた顔
をほころばせて日本の金メダル獲得をウェイトレスに告げていた。雪の長野や選
手たちの故郷・北海道と、この国際通りが同じ国に属することの不思議を感じた。

蛇足ながら長野五輪での日本の”歩留まり”は大したものだった。夏季はバレー
も体操も衰退して、水泳くらいしか期待できない以上、こうなったら冬季に力を
入れたほうがいいのではないか?
北海道では、子供のころから学校でスキーやスケートをやっている。すべての小
中学校の校庭にリンクがある。そういう背景からしか、世界に尊敬されるアスリ
ートは育たない。ノルウェーやフィンランドに勝ってしまうのだから立派だ。

以前、物騒な思考ゲームとして北海道独立論を考えたことがあるが、新国家は冬
季五輪で、ただちにその名を世界に轟かすだろう。経済ではふるわないけれど、
“北海道が日本で良かった”と日本中の人が思うはずだ。今プライドの持てるも
のの少ない国だから。オリンピアの国で、また妙なことを思い出したものだ。

デルフィー。神託で有名な聖地。あえて例えるなら日本でいえば、古代の宇佐あ
るいは伊勢か?大理石の山塊そのものが磁場を放つ地霊の済み処という印象だが、
その神託の根拠は、ここが交通の要衝で情報の集散地であることと関係するらし
い。一種の情報機関でありシンクタンクだ。

それにしても太陽神アポロンや月の女神アルテミスをはじめ、神々の何と多様な
ことか?何と奔放で人間的なことか?
いっそ八百万の神々と呼んでしまいたくなるような姿。
大聖堂を作り出すような一神教とは異なる信仰の対象だ。

大理石の神殿の遺跡とその背後に聳える岩山、振り返れば谷むこうの山々、そし
て雲間から差してきた太陽の光。宗教学者の鎌田東二ではないが“聖地”は世界
のどこでも凄いパワーだ。ここはもともと大地母神・ガイアの居場所。
そこへ太陽神アポロンが、後から来た。世界中によくある、土着の地方神と征服
神の関係だろうか?
オンファロス=”世界のへそ”。それが、ギリシア人の宇宙の中でこの場所が占
める地位。ゼウスが放った二羽の鳥が世界を回ってここで出会った。

“聖地”は、人の祈りをブラックホールのように吸収する特別な場所だ。たとえ
ばオキナワ・知念村の斎風御嶽(セーファーウタキ)のように。
キリスト教がローマ国教となった時代に、ここは聖地としての地位を失った。
今は考古学者の手によって復元され、観光地として隆盛している。峻険な岩山の
斜面に宝物庫や劇場、競技場などが配置されている。

遺跡の周囲には、黄色い菜の花が一面に咲いて、聖地の春を彩っている。もとも
とあったという泉は涸れたが、近くに水が湧き出している。その水を飲むと再び
ギリシアに来ることができる、そう日本語のガイドブックに書いてあったので、
僕は一も二もなく手ですくって飲んだ。
顔まで洗って濡れたままの格好で歩き出すとドイツ人の子供がそれを見て笑う。
キミにはわからんだろう俺の気持ちが?

“デルフィー観光日帰りバス・ツアー御一行様”にはランチが用意された。ツア
ー会社の系列のホテルが現地近くにあって案内される。こういうバス・ツアーに
参加したのは、交通の便が悪そうで路線バスやタクシーでは回れないと思ったか
らだ。以前オキナワの南部戦跡も、観光バスで回った。ああいうところは、半強
制的に身体を運ぶしかない。一人だと深入りしてしまいそうだから。

バイキング形式のランチを一通り食べ終えたころ、隣のテーブルで食べていた白
人の老夫婦の奥さんに、彼女たちのテーブルに来るように誘われた。恰幅の良い
ダンナともう一人、僕と同年輩か少し上くらいの金髪の女性がいる。彼女は老夫
婦の連れではなく、たまたまここで同席しただけらしい。

「ゴメンナサイ早くここに呼んであげれば良かったわね。」奥さんがそんなこと
を言いながら一つ空いている席を示す。自己紹介を済ませて、老夫婦はカリフォ
ルニアから、女性はフロリダから来たアメリカ人だとわかった。
僕は、自分の住んでいるホッカイドー・アイランドの説明を適当にした。老夫婦
は直に席を立って土産物を見に行き、僕はキャシーと名乗った女性と話していた。

彼女は今までの旅行経験を話し、僕の経験も聞きたがった。
「ホリデーは終わりで明日帰るの、来週はもう仕事よ。」と顔をしかめる。彼女
は、フロリダのラジオ局に勤めているという。旅行好きで結構いろいろ旅をして
いるようだ。日本にもいつか行ってみたいというので、トウキョウに滞在するな
ら近くのカマクラには行くべきだ、と勧めておく。
ギリシアに来ているくらいだから古いカルチャーは好きなのだろう。

こういう話題の運びは、先進国の給与生活者が共有できる。考えてみれば、コソ
ボの難民の子供とか、内蒙古のお婆さんとか、ボリビアの荒くれ労働者には通じ
ない“国際交流”だろう。今回ギリシアという観光超大国を歩いて、欧州人
(アメリカ人を含む)の観光に対する、年季の入った情熱には圧倒された。

彼らの文明の源流だからギリシアではみんな“お登りさん”になる。アクロポリ
スや国立考古学博物館では様々な言語のガイドが声の大きさを競い、それをツア
ー客や学生たちも、おしなべて熱心に聞いている。
日本の京都や奈良にも、陽気のいい週末などは中高年を中心とした男女が名刹や
古仏を目当てに沢山の繰り出すものの、一部の余程の好事家をのぞけば仏教思想
や寺社建築についてそれほど関心がある風には見えない。

そもそも他国の領土に属する古典古代の遺跡を地中から掘り出して一般の人々が
それに強い興味関心を抱き、あまつさえ現地に足を運ぶ、そういう“観光”への
貪婪な情熱は決して普遍的なものではありえない。
日本にはまだしも江戸時代から“お伊勢参り”のような奇習があったので、その
素養はあったのかもしれないが、所詮は欧州人のグランド・ツアーに発する知的
胃袋の強靱さとは、比ぶべくもない。別に比べなくてもいいけど。

ただそのへんの驚嘆すべき胆力がルーブルや大英帝国博物館にオリエントの膨大
な発掘物の数々を持ち去るという蛮行をなさしめたのだろうし、産業という巨大
な文明の運動を可能にさせたのだろう。
英国人のトラヴェローグの質量は、藤原新也や沢木耕太郎の亜流どころかようや
く“猿岩石ードロンズー朋友”の亜流を生み出す端緒についたばかりの日本とは
桁が違っている。まさしく「19世紀の英国は魔物でした」by司馬遼太郎、と
いったところだ。『街道をゆく』ごっこをしているときりがないのでやめる。

ちなみに御大は“シバリョー”の仕事の中で『街道をゆく』をベスト・ジョブだ
と書いている。どこかの地方へ出かける前に、ちゃんと読んで予習したりもする
そうだ。そういえば御大は、アテネ在住時代に日本人の観光ガイドのアルバイト
(?)なんかもなさっていたらしい。客を土産物屋に連れていって、その上がり
のいくばくかを、見返りに受け取ったり、なんてこともしていたと講演の席で話
していた。なかなか商売人ですなぁ。
しかし’75年ごろには今ほど日本人も大挙して来なかったのだろう。その時代
に“池Zガイド”に連れられてアテネを観光した人って、今の僕のようなミーハ
ー・ファンから見るとうらやましいような…。
でもあんまり愛想よくなかったりしたのかもなぁ(笑)

せっかくギリシアまで来て、愚にもつかないことばかり書いている。
でもあの“エーゲ海の青”に代表されるように、ここで経験したことはコトバに
はならない。十年先とか何度も通ったあとなら、じんわりと効いてくるかもしれ
ないが。すでにHP「池澤御嶽」での公開を前提としているので、こんな言い訳
めいたことも事前のディフェンスとして書いておこう。姑息なヤツだ(笑)。

バスで眠りながらアテネへ戻る。
僕の欧州旅行の定番企画で、チャイニーズ・レストランへ。ギリシア料理は口に
も身体に合っているのに、なにゆえ?…という疑問もあるわけだが。
ベルトルッチの「ラストエンペラー」的なオリエンタリズムを味わおう。正体不
明の東洋人を演ずることへの二重三重の倒錯が、何とも言えずアイロニカルで心
地好いのだ。またしても不埒である。鴨料理と”チンタオ・ビア”を頼んでチビ
チビ飲みながら、雰囲気に浸る。
あすは、この国を発つ。

便の都合もあってウィーンで1日滞在する。
日本へのインターバルには丁度いい旅程だ。
8年前にブダペストへ行った前後に足掛け6日いた街だからパリと並んで欧州では
もっとも馴染みのある都市。
ドイツ語圏というのも、多少の単語がわかる程度とはいえ、安心感がある。
…こうやって、いろいろ自分を説得しているナ。

明朝、この国を発つ。やっぱり少し切ない。


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