「静かな大地」を遠く離れて
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2002年04月08日(月) Gの誘惑1999 スーニオンへの道




  1999.3.29「スーニオンへの道」

昨夜遅くに、アテネ空港からバスでシンタグマ広場についてホテルに入った。

疲れていたのか熟睡してしまってデルフィーに出かけるには遅い朝になる。今日
は一日アテネで過ごすことになりそう。
街を歩く。島から戻ってみるとアテネは大都会だ。
ゴミゴミしているし空気も悪い。

「中進国」の都会は排ガス規制が日本なんかより緩いのではないか、と思えるほ
ど車の排気ガスが立ちこめている。自動車大国・日本で鍛えた身にもキツい。マ
スキー法案とホンダのクリーン・エンジンの開発は偉業なのだ、と思う。F1参
戦も良いけど、さらに未来型のクリーン・エンジンを作ってもらいたい。
それはともかく、これまでの経験の中ではブダペストに近い排気ガスの濃厚さだ。
ハンガリーの首都にしてハプスブルク二重帝国の都の座をウィーンと分かち合っ
た伝統ある美しい都市だが、現在は資本主義化の度合いが中途半端。同じ都会な
ら人によってはパリの方が好きだろうし、また人によってはアジア色の強いイス
タンブールの方がおもしろいというだろう。その気持ちもわかる。
しかしそれでもブダペストもアテネもいい街だ。

ここで何か商売をやって生きて行けるなら幸福だろう。
現代ギリシア語を猛勉強して、アテネで日本企業やメディア相手の怪しげなコー
ディネーターでもやろうか? 2004年のオリンピックで需要が高騰する前に
「仕込み」を済ませておけば、案外うまくやれるんじゃないか?などと妄想する。
もし本当に「ギリシア病」にかかってしまったらそうするしか生きていけない。

日本の高校生で考古学を志している少年少女はサントリーニで出会ったフィリピ
ーノの考古学徒のように、アテネに留学すればいいのに、と思う。門外漢の邪推
かもしれないが、日本の考古学会も他の分野同様に旧弊なのではないか?東大と
京大間で遺跡の縄張り争いをしたり、最重要な遺跡である皇族の古墳が、宮内庁
の所管になっていて、発掘が禁止されていたりするのではないか?
それなら考古学の歴史も深いギリシアで勉強すればいい。すでに重要な遺跡は発
掘され尽くされているのかもしれないが、もしかすると2004年のオリンピッ
クのための工事で発掘ラッシュ、なんてこともあるのかもしれない。

学びたいと思えば、どこでも可能なのだから。
世界は広く、選択肢は無限にある。
まずそれを知ることから人生ははじまる。
自分の10代はそれとは遠い感覚で過ごしてしまっただけにそう思う。人はみん
な星野道夫のようには生きていない。
でも思い立ったときから、ミチオの精神を胸に刻んで生きることは可能だ。
アクロポリスへの登り坂を歩きながら、またそんなことを考える。

中腹のあたりには、先史時代の穴居人の痕跡もあるらしい。
先日アテネの街を見下ろした大理石の丘の下にあたる部分に深く切れ込んだ谷間
があった。先史時代の遺構らしきものは見当たらないが、ゴツゴツした自然石に
混じって一枚の板状の白い大理石が、やや斜めになりながら立っている。
文字も絵も描いてないからただの石なのか?

“白いモノリス”…、岩の形は、その形容が最もふさわしかった。衝動に駆られ
てモノリスに背中を乗せて斜めにもたれかかってみる。
朝のギリシアの透明な空が、両側の大理石の崖に切り取られているのが見える。
意識を預けると何が見えるだろうか?
空を無心に眺める。遠く鳥の声だけが聞こえる。

その時、視界の隅に何か蠢くものを認めてビクッとした。

よくみると岩のすき間に子犬が何匹かまとまって寝ている。
寝ているというより、目も充分に開いていない生まれ立ての子犬だ。数えてみる
と6匹いた。母犬は見当たらない。
アテネの逞しい野良犬たちの故郷は、アクロポリスの中腹にあったのか!
一人で大発見でもしたような気になる。

丘に登ると各国の観光客がパルテノン神殿を見学している。
パルテノンの完璧。
これについて多く語ることはない。
「ギリシアの誘惑」で池澤御大が書いている通り、一度見に行くだけではなくて
一年や一日のあらゆる時間に見続けなければ、その真価は沁みてこない気がした。

サントリーニで身についた買い物癖が出て、プラカの通りで見つけたコットン地
の服屋に入る。僕好みの紺系のザックリした服が沢山あって目移り。マダムにい
くつか出してもらった候補の服の値段を聞いて「エンダークシ」とうなずいたら
マダムは笑ってウケていた。急にギリシア語で「わかった」とつぶやいて真剣な
面持ちで品定めをはじめた日本人はさぞかし滑稽だったのだろう。

昼過ぎには、懸案だった国立考古学博物館へ。
ここには結構日本人もいる。
ミケーネの出土品は、やはり見応えがある。
シュリーマンの本も一度読んだほうが良さそうだ。
しかしギリシア彫刻はルーブルなんかでもそうだったが、あまりよくわからなく
て退屈してくる。もどかしくなって二階のサントリーニの部屋へ行く。
あのアクロティリ遺跡の大きな壁画がここにあるのだ。
壁画は予想以上に大きくて色彩が鮮やかだった。
結局飽きずにずっと見ていられたのは、ここのコーナーだけだった。
壺や壁画に描かれたイルカの絵を見て、エーゲ海の青とマリアンナを思い出しな
がら、「デルフィーニア」と一人つぶやいたりしていた。重症だ。

近くのインターネット・カフェに寄ったのも予定の行動。
また少しローマ字で書き込む。
これでアテネへ戻ってやろうと思ったことは、とりあえずやってしまった。
デルフィーに行く日帰りバス・ツアーは、すでに申し込みを済ませてある。
明日は一日がかりだから、アテネは今日で最後も同然。
しかし何となく浮かない気分だ。空が晴れなくて雨が降ったりやんだりしている
せいもあるが、旅も終盤に来ての憂鬱だろう。

日本に帰国したくないというわけではない。
幸いに仕事もプライベートの付き合いも楽しみが多い。
新聞連載の「すばらしい新世界」も、帰ったらまとめ読みしなければならない。
ずっとギリシアに住んで暮らせるというわけではない、さりとて慌ただしく移動
して隙あらば観光地を見るというリズムでもない、その中間のような、半住人の
気分。これがパリあたりなら、1日の滞在でも1週間でも1年でもそれなりに、
最大限に楽しめそうな気がする。半住人の過ごしやすい都市。
アテネは観光客と住人の間を許さない街なのかもしれない。そこに御大がギリシ
ア時代を語るときの、何か切ない感じが由来しているのではないだろうか?

そんな中途半端さを抱えて行くあてもなく歩いていたら、通りの向こうからH君
が歩いてくるではないか!きょうの午後は、スーニオン岬のポセイドン神殿を見
に行くと言っていたはずだ。話を聞くと天気が悪いからあきらめようとしている
という。出会ってしまったからには、勢いで出かけてみようということになった。

バスを見つけて乗り込む。
車掌さんのいる路線バスだ。一般市民の生活の足である。
観光客は我々くらいのもののようだった。

バスはアテネの中心街から海沿いを目指す。
天気は良くない。現地についたときが問題だが、どうなるかまるでわからない。
まぁ神様が一番いい天気を下さるだろうとすっかりオポチュニストになりきって
いる。旅の疲れからか、H君も僕もウトウトとしていた。

ふと気がつくと、車軸を流すような雨がバスの天上を激しく叩いている。
これはすごい。海の方の空には稲妻まで走っている。
大音響の中をバスは走る。
乗客のギリシア人たちは、豪雨にも何でもない表情。
車掌さんも淡々と仕事をしている。シブい。
ワンマン・バスが増えているらしいが、車掌がいるバスに乗れて良かった。何だか
ギリシアのロード・ムービーの世界に入ってしまったような感じ。春の雨も人生の
一部、そんな感じで老若男女みんな良い顔をしている。
バスに運ばれていく人生。
思いがけず良い経験をした。

そのうち進行方向の空が明るくなってきて、なんと見る見る晴れてしまった。つく
づく僕は天気運だけはいい。
H君が驚いている。神様に感謝。
バスは、海沿いのくねり道を走っていく。
右手は、晴れてきた海。
ピレウスからキクラデス諸島への航路にあたるのか、懐かしい船が沢山行き交う。
ところどころに、小さな島々が見える。
左手は、岩がちな丘陵。
白い岩に緑の灌木が薄く繁り、黄色い花をつけた草が萌え、白壁に朱色の屋根の家々
が高台の上に海に向かって立ち並んでいる。

アテネではなく島でもない、人の幸福な暮らしの気配を感じさせる景色。
こんなところに家を建てて住んだら、どんな風だろう?とまた考える。
キラキラ光る海を見ながら、やがて見えるはずのポセイドン神殿の列柱を目でさがす。
岩が切り立った海岸と、淡い色の海と、古代の遺跡…、まるで『MASTERキートン』
に出てくるコーンウォールみたいだ。

スーニオンの遺跡はエーゲ海に向かって突き出した岬の断崖の上にあった。
バスを降りると意外に多くの観光客がいる。
ツアー日程に組み込まれていると、天候なんて関係ないのだろう。あのアテネの天気
で、誰がここまでくるだろうか?ここの観光地としての売りはポセイドン神殿から見
る夕陽。その時間帯に合わせて、多くの観光客がここへ送り込まれてくるわけだ。

バイロンも訪れたというポセイドン神殿。
海の神様の居場所に、こんなにふさわしい環境はない。
船からこちらを見てみたかった。きっと航海の良い目印だったのだろう。崖の上から
海を見ているのに満足できず、他の観光客が視界に入らない位置へ移動する。
崖の途中へ降りていく、道とも呼べない道を少し下る。崖の上から崩れ落ちてきた大
理石の破片が積もった場所に腰を下ろすと、もう波が砕ける音しか聞こえない。
そのまま夕陽を見ている。
何も考えない。

大理石の小さな破片をひとつだけポケットに入れた。
もはやここのは遺跡のものでもないから許されるだろう。
空気が冷たくなってきて、そろそろ帰る算段をしようと崖の上に戻る。もうあまり人
は残っていない。管理人が鍵を閉めようとしている。
H君はギリシア旅行で写真に目覚めてしまったのか、しきりにシャッターを切っている。
一眼レフを買うのだ、という。彼は明日の朝の飛行機でロンドンに発つ。
アテネに戻れば、今度こそお別れだ。

少し離れて振り返ると、もう暮れてスミレ色になった空に白い大理石の列柱が並んでい
る。広い空の反対側には、円い月が浮かんでいる。
ふと星野道夫のある写真を思い出す。
クジラの骨が、大地からスミレ色の空に向かって突き出している光景。列柱とクジラの
骨の白が僕の中でシンクロしたのだろう。あの写真に星野はどうしても月を入れこみた
かったのだと思う。そんなアングルだった。
ギリシアとアラスカ。同じ地球上にある別々の場所。
まずもって自然の大きさが違う。でも同時に存在している。
いつかアラスカに行った時、ギリシアを思ってみるだろう。
風景を眺めるだけでも、世界を見ることは無駄ではない。

誰もいなくなった停留所で最終便のバスを待ちながら、お約束通りに一番星をさがした。
遺跡の上に見つけた。


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