「静かな大地」を遠く離れて
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2002年04月01日(月) Gの誘惑1999 彼岸過ぎの成層圏

#「ギリシアの誘惑1999 G−Who極私的な旅日記」の再録です。


1999.3.23「彼岸過ぎの成層圏」

僕がギリシアについて持っている角度は、そう多くないと思っている。もちろん
言葉もわからない。欧州へは過去に二度行っているが、ドイツ語やフランス語が
できなくてもなんとなく単語に馴染みがあるだけで安心するものだ。サハリンに
行った時にそう思った。もっともあの時は仕事で、日本人の通訳さんと一緒だっ
た。ハンガリーに行った時は、当然マジャール語など知りはしなかったが、結構
いろんな本を読んで予備知識を持っていたので、意外に不安はなかった。

さてギリシアである。
中学1年の夏休みの読書感想文は、確か『ギリシア神話』を選んで書いた。どう
せ荒唐無稽な超絶ボクシング漫画『リングにかけろ』の影響だろう。世界ジュニ
ア選手権で、ギリシア・チームと死闘を演じるヤツだ。小学5年生の国語の授業
で物語を創作するという課題が出たときには、「もうひとつのサントリニ島」と
いう題のお話を書いたくらいだからギリシアには興味があった。

そっちは、アトランティス伝説とか超古代史への興味。
『消えた大陸アトランティス』という題の児童向けの本を小学校3年生くらいの
ころに好んで読んでいた。大陸移動説などを引きながら、地学的な説明がされて
いる本だ。伝説の根拠となったと思われる事実としてサントリニ島が出てきた。
エーゲ海に浮かぶ円い火山島が大昔に大爆発を起こし、大半が陥没してカルデラ
型の島が残ったという事実は、どういうわけか子どもの頃の僕の琴線に触れた。

しかし現代ギリシアのイメージはテレビを通してもまるで伝わってこないため、
ほとんど何も知らないまま育った。橋本治が本の中で、我々が欧州を考えるとき
に、その淵源としてのギリシアを考えるというのは尤もだが、ギリシアを考える
時には何も常に西欧のことを考える義務はない、「サシ」で向かい合ってもいい
はずだ…みたいなことを言っていたが、かようにギリシアに関しては妙に偏った
情報しか提供されてこなかった。

大人になって村上春樹『遠い太鼓』でギリシア滞在の記述を読んだが、冬のエー
ゲ海は嵐が多いという話などを断片的に覚えているだけ。あと宮本輝『海辺の扉』
もギリシアが出てくる話。ブッキッシュな方面で言えば先入観を作る知識はそんな
もんだったと思う。

サントリニ島は見てみたい、と映画「グラン・ブルー」の海を目にしてから思った。
子どものころに書いた物語は他愛無いものだったが、その後も火山と聞けば反応す
る人間になっていた。サンテグジュペリや宮沢賢治にもある「火山愛」とは一体何
なのだろう?東京港から船に乗って伊豆大島へ行って、三原山の溶岩跡を見たりし
たこともある。仕事で有珠山の火口原を歩いたときも、うれしかった。高山宏が言
うところのサブライム=崇高美学というやつだろうか?『スティルライフ』で衝撃
を受けた作家・池Z夏樹の次作『真昼のプリニウス』を何の違和感もなく読めたの
も当然というものだ。

さて、そういうわけで池澤フリークの僕のギリシア紀行。
動機もノリもミーハーだ。
アテネを歩き回ることと、サントリニ島へ行くことを目的としているが、これとい
った縛りは何もない。オキナワと違って、池Z御大がギリシアを語るとき、そこに
は妙に感傷的なものが混じるのが気になっている。

その気分は『マシアス・ギリの失脚』から『楽しい終末』や『未来圏からの風』を
経て『すばらしい新世界』へと続く、ある意味で求道的ともいえる軌跡にも大きな
影響を与えているのだろう、という直観がある。
HP「池Z御嶽」の主催者としては、そのへんをギリシアの地で何となく疑似体験
してみたい、というのもあった。

…なんていうと、長年の計画を着実に実行に移したかのようだが、今回は普段から
ズボラな私でさえ考えられないくらいに勢いだけで日本を飛び出してきてしまった。
須賀敦子ブームが去年から続いていたので北イタリアとか星野道夫のアラスカとか、
今年こそモンゴルかとか、去年行ったバリ島を再訪するかとか、いろいろ行きたい
場所はあったのだが、どういうわけかギリシアはあまり現実的な候補としては考え
ていなかった。村上春樹の本で、冬場は気候が悪いと言っていたような気がするし、
成田空港には懲りていたので千歳から直行便でハワイイというのもいいな、という
方向にも傾いていた。マウイのハナを訪ねるとか。

しかし3月の雨のギリシアも、やせ我慢すればそれはそれでいい。コートの襟を合
わせて、雨の中を走り抜けるのもペッピーノみたいでいい。卒業旅行で日本の学生
だらけの北イタリアというのもイヤだし、そこそこにひとり旅的なハードさも欲し
い。金銭的にも仕事的にも今のような旅ができる状況がつづくとも限らない。話の
タネとして面白いのは、やっぱり池Zミーハー旅だろう。
御大じゃなくて御嬢さん生誕の地でもあるわけだし(笑)考えてみると、いま僕は
丁度30歳。1975年に御大がギリシアへ移住して御嬢さんが生まれた、という
年回りだ。彼女自信は「里帰り」したことはない、と言っていたが。
うむ、とりあえず僕が見てきてあげよう、という意味不明な動機も芽生えた。

実はいままで『ギリシアの誘惑』を、じっくり読んだことがなかった。簡単に言う
と純度が高すぎてキツイ酒みたいな感じでこわかったのだ。中でも「サントリーニ
紀行」は、手をつける気になれなかった。今回持ってくるかどうか、読むかどうか、
という選択を迫られたわけだが結論としては・・・さっき機内で読み終えたところ。

ちなみに遅ればせながらいうと、千歳空港から関西国際空港へ飛んで、オーストリ
ア航空でウィーンへ、そこからさらに乗り継いでアテネまで行く。東京から出ると、
下手したら去年ドイツへ行った時のように羽田ー成田間を自力移動したりするハメ
になるのだが、それを避けるには千歳からKLMオランダ航空でアムステルダムま
で直行するという手もあった。しかし便が少なくて日程が限られるのと、都合のい
い便が満席だったため関空をにしたというわけだが、これが快適!前に羽田ー成田
間でした苦労は何やったんやぁ?!・・・と叫びたくなる。何せエスカレーターで
2フロア昇るだけで、すぐに国際線のカウンターなのだ。二度と成田は使わない!

それにしても国際線の機内って、すごく読書に向いている。
宮沢賢治の童話が角川で生誕100年の年に沢山出たのを、いつも持ち込んで読む。
成層圏の気分で読むとハマるのだ、これが。ケンジさんに見せてやりたかったね、
この光景。 シベリア上空を渡るジェット機から見る、春分の日を過ぎたばかりの
北半球。ところが今回は、あまりのバタバタで文庫本を鞄に入れるのを忘れてきた。
それで話はギリシアに戻るのだが『ギリシアの誘惑」はケンジさんに匹敵する透明
感、そしてそれに伴う痛みもまた・・・キビシい。

…パンドラの箱の底に残った希望、それは人類の存在を肯定する最後の意志か?
この地上に人間が幸福に存在することは可能か?
そしてそれは許されることなのか?
その難問のエレガントな解法はどこにあるのか?

御大の問題の立て方がいつになくクリアに読めた気がする。
これはへヴィーだわねぇ、ちゃんとものごとを見て、ちゃんと感じて、ちゃんと考え
ることだから。ほかにも20世紀を射程にそれを考えるミステリーの大作、笠井潔の
『哲学者の密室』を買ってきたので、フライト時間はいくらあっても平気。おかげで
今世紀中にこの本も読める。
ネタはハイデガー(らしき)哲学とナチスのジェノサイド。以前カート・ヴォネガッ
ト『母なる夜』も飛行機で読んだ。ギリシアとハイデガー。何となく20世紀末の総
括としては必要ではあるかもしれないが重いなあ。難しそうだし。

しかし大体昨日国際電話をかけて、ウソ臭い英語で予約したアテネのホテルまで、ち
ゃんと辿り着けるのかなぁ?
知ってるギリシア語は「クックラ・ムー」だけだし(笑)

さてさて、どうなることやら。ジェット機は飛んでゆく。


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