「静かな大地」を遠く離れて
DiaryINDEX|past|will
題:281話 砂金堀り11 画:フキノトウ 話:しばらく喋ってからわしを見て、何の用と言った
3月27日「アイヌ文化伝承の第一人者、葛野辰次郎氏死去」の報(asahi.com)。 “静内のエカシ”の享年は91歳。『静かな大地』の物語上では、明治末に由良さん が志郎から遠別の話を聞いていた頃にお生まれになったか否か、という年回りになる。 時間軸上の距離感とでも言うべきものを、あらためて実感させられる、エカシの死だ。
先祖を代々タテに辿れば、百年くらいの歳月は案外簡単に遡れる、という例の論法は 時間単位を千年に引き延ばしても有効だ。去年の3月末には雪が降ったが、例年この 季節になると暖かい雨に浸るような旅をした記憶が、身体の底からよみがえってくる。 16歳、高校1年が終わったあとの春休みに、学校の万葉旅行で明日香へ行った記憶。
あの年、甲子園の開会式が雨で順延になった3月26日、当時住んでいた広島県から 新幹線で関西へ向かった。旅行は任意参加で、十数名くらいの参加人数だったと思う。 万葉旅行というのは国語の授業の行事で、事前に多少お勉強をして、テーマに沿った 場所を訪ねるもの。その年のテーマは、大津皇子で、二上山と当麻寺を最初に訪ねた。
奈良盆地の西側は、大阪平野とのあいだを隔てる屏風のような山並みが連なっている。 生駒山、信貴山、葛城山系。その屏風が途切れて大和川が流れ出るあたりに二上山が 独特の山貌でそびえ立っている。その名の由来となった通り、二つの峰が重なる姿だ。 折口信夫の『死者の書』を読んでからこの二上山を訪れると結構“その気”になれる。
明日香の里から見て西にある二上山は、コスモロジーから言えば太陽の沈む死の山だ。 反対に日が昇るのが三輪山。この山そのものをご神体とし拝殿のみで本殿を持たない 大神神社は、大物主命を祀る古い神社だ。皇室が成立するよりも前からの聖地だろう。
東の三輪山と西の二上山、その間の天地に古代日本の中心地が造られた。大和三山が 神々の箱庭のように配されている。うるうると緑が濡れる雨の中、万葉旅行の一行は 予定された明日香の史跡の数々を、自転車でめぐった。全身ずぶぬれになりながら、 水にたゆたう天地を走り抜ける。一度濡れてしまえば、もう構うことはない、寒くも ない春の雨だ。生憎の悪天候ならぬ、はしゃぎたくなるような、恰好の自転車日和。
国生みの神話の地。古代の人々のように宇宙の死と再生を体感することが出来たのは、 あの羊水のような暖かい雨に浸されて、思う存分に駆け回った身体の感覚ゆえだろう。
|