「静かな大地」を遠く離れて
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2002年03月26日(火) 伝説のトランスナショナル・アメリカ

題:280話 砂金堀り10
画:行者大蒜
話:アイヌであろうがなかろうが、ともかくよい揺り板は欲しい

ここは明治期の北海道を舞台にした小説の併走日録なのだが、アメリカの話をするぶんには
もはや前提は要るまい。「〜100冊」にもアメリカ関係の本が結構入っている。先月出た
巽孝之先生の新刊は、たまたま「9・11以後」のアメリカ研究本バブルの中で出たためか
鼻息の荒い宣伝文句がついていたが、なかなかに手堅いところもあるエキサイティングな本。

■巽孝之『リンカーンの世紀 アメリカ大統領たちの文学思想史』(青土社)
(帯惹句より)
 その瞬間、世界は劇場と化した
 すべては1世紀半前、当代の名優が観劇中のリンカーンに向け放った銃弾から始まった。
 演劇的想像力が世を覆い、大統領暗殺は、アメリカのみならず、世界全体へのテロリズム
 となるだろう。20世紀前半の再評価を経て、いま新たなるリンカーンの世紀が始まる。
(引用おわり 巽ゼミ公式HP http://www.mita.keio.ac.jp/~tatsumi/)

この巽先生の本、あの高山宏御大が『週刊文春』で“本芸爆発”の手のつけられない書評を
寄稿している。これは一読の価値がある。書評としてもそうだが、徹頭徹尾“胡散臭さ”を
振りまきながら(<失礼!)、バナナのたたき売りの口上にも似た、知のたたき売りの如き
様相を呈する過剰な褒めまくり攻撃を仕掛ける、その至芸を堪能することをオススメしたい。

(以下、引用)
 長く誰もが疑わなかった神話を、そこに秘められた政治学やイデオロギーの歪みを白日の
 下にさらすという分析なり批評が時には脱構築、時にはカルチュラル・スタディーズ
 なんて呼ばれながら、文系の人間では一番最先端とされる人々の腕の見せ所、才能の競い
 所のようである。
 そうした今や定型になったお約束の批評で巽氏がとっくにナンバーワンであることは知ら
 ぬ人はいまい。ところがとうにそのレベルを越えてしまった芸、というか一種のスペクタ
 クルとしての批評宇宙にこの本で読者はあっといわされるのである。(中略)
 小さな分析から大きな歴史観の改変まで、多彩な批評の方法とびっくりするような材料を
 組み合わせ、ふと気付けば一冊の歴史改変小説の趣さえある。タツミは新しい風に乗った。
(引用、終わり)

「アメリカ文明」を対象化して研究するという態度そのものが、グローバリゼーション全盛
の世界の中では、ちょっと奇異に聞こえてしまうことがある。反発でも同化でもない姿勢を
キープしながら、隘路を切り開くための矢を放つのは非常に困難な、そしてクールな仕事。
高山御大や巽先生の仕事を読んでいて思うのは、まず滅法面白い、瞠目するほどの切れ味に
参る、そしてそのあとに来るのはしかし、どちらかといえば痛快さの後のニヒリズムだろう。

これは悩み所ではある。世界の様相を読み解く、とびきり高性能な道具を手にしてスパスパ
と世界を切り身にして解剖してみても、つまるところ我々は一体どうすればいいのだろうか、
などという無様な疑問には直截には答えてくれない。文学的モチーフに潜む政治学に精通し、
「物語」リテラシーの“すれっからし”になったところで、自分一個の抗うつ剤程度の効能
しか望めないのではないか、と思うと昂揚した気分も萎えるというものだ。学問の根本命題。

もっと真摯、かつ素人のお気楽な立場で学問を深めてみたい。北海道の田原プロデューサー
も放送大学で文化人類学を勉強されるそうだし。『静かな大地』が課してくれる宿題は厖大
かつ意外と焦点のしぼられた領域を指し示しているように思える。アメリカ研究もその一つ。

大学生のころ、図書館で掲載誌をさがしてコピーを集め、夢中で読んだある研究者の論文が
今ごろになって突如、書籍にまとまって刊行され驚いている。これもアメリカ研究バブルか。

■奥出直人『アメリカン・ポップ・エステティクス 「スマートさの文化史」』(青土社)
(帯惹句より引用)
 アメリカの夢の行方
 摩天楼の下を軽快に闊歩する
 ニューヨーカーのイメージは、如何にして成立したのか。
 アメリカ大衆の質朴な欲望が、スマートで<良い趣味>へと変貌し、
 都市計画から食事・ファッションまで、
 アメリカンドリームを真に誕生させた瞬間を大胆に描く。異色の文化史。
(目次より)
 15年後のトランスナショナル・アメリカ(序)
 アメリカの都市デザイン  理想都市としてのワシントンDC
 ル・コルビュジェのニューヨーク  石、スチール、そしてジャズ
 一八九三年シカゴ博のミッドウェイ  ファースト・フード・レストランのデザイン史
 マクドナルドに学べ  二つのポストモダニズム
 アメリカン・サブライムの誕生  ナイアガラ、巡礼から新婚旅行へ
 マイアミ・リゾート・パラダイス
 エレガンスの政治学  ダコタ・アパートメント
 サンボとモダニズム
 黒人イメージの再発見  ステレオタイプのアメリカ文化史
 テレビの中の黒人たち  『コスビー・ショウ』の登場
 ミシシッピ州への旅
 アメリカ美人のイコノロジー  シオンの娘からマリリン・モンローまで
 文化装置としてのハリウッド
 ノスタルジー・ブルジョワジー・ファンタジー  イデオロギーとしての「良い趣味」
(序より)
 政治的なイデオロギーはともかくとして、ローマ共和国の影響に自らを重ねる
 リパブリカンと、みずからの暮らしの先に未来を見つける「デモクラティック・ビスタ」
 をもとめる別の種類のアメリカ人がいる。あるいは、一人のアメリカ人の中にこの二つの
 側面が同居していることもあるだろう。巨大になり、さらにサイバースペースまで活動を
 広げる「アメリカ」とともに生きて行くために、われわれは混沌としてダイナミックな
 世界のなかから、自らの手でデモクラティック・ビスタすなわちトランスナショナル・
 アメリカを見つけて行かなくてはならない。それが本書のメッセージである。
(引用、終わり)

いや〜ビックリしましたねぇ、もう一般向けの本は書いてくださらないのかと思っていた
オブジェクト志向の奥出先生の、それも僕が大学にいたころに読んでいた名作論文が今頃
まとまるなんて…。巻頭の「アメリカの都市デザイン 理想都市としてのワシントンDC」
なんて、2000年秋にDCへ出かけた時、古いコピーを持参してしまいましいたよ(笑)
マニアック、というか単なるミーハー。ほんと、あのアメリカ旅行も刈り取れてないなぁ。

久しぶりに読む、奥出先生、序文とあとがきも読み応えがあって、真摯でかっこいいです。
あれで結構人気があったクリントンに比べ、アル・ゴア・Jrが抱える困難の分析も膝が
抜けるほど打ちましたよ、ナンシー関風の言いまわしをするなら(笑)

とにかく、文化人類学や文化研究の眼で「アメリカ」を一度とことん対象化してみること。
かの国が「近代」の究極因で、地球を覆い尽くそうとしている文明の発生源ならなおさら。
闇雲に追随したり、あるいは反発したりすることこそ、覇権国の属国の民の愚行であろう。


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