「静かな大地」を遠く離れて
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題:233話 函館から来た娘23 画:いろはカルタ 話:わたしはあの時に、世の中には自分たちもいればアイヌもいるのだと知った
由良さんによる、弥生さんの視点からみた、アイヌ邂逅期の聞き書きルポが続いている。 アイヌ語バイリンガルな三郎や志郎と異なって、弥生さんはまずもって言葉が通じない。 船戸与一『蝦夷地別件』(新潮文庫)の序盤で描かれたような、カルチャー・ギャップ。
異文化接触。第一種接近遭遇。カール・セーガン『コンタクト』まで引き合いに出して、 「他者」たるアイヌとの遭遇に想いをめぐらせてみたりしたのは、連載の序盤だったか。 ちなみに『コンタクト』は地球外知的生命体という他者との出会いという点だけでなく、 北海道が舞台の一部になっているということでも、「静かな大地」とリンクしていた。
「他者」でも「外部」でもいい。自分たちの共同体を中心とするコスモス=宇宙の秩序 の外側に属する存在。自己ではない「他者」。共同体の理法にとって、最大の関心事だ。 ヒトの身体で自己と非自己の峻別を司る免疫機能の挙動を、社会になぞらえて考えると ちょっと面白い比喩ゲームが楽しめそうだ。おもしろうて、やがて慄然させられるかも。
しかし免疫機能が重要な役割を果たしている多細胞生物のはじまりには、単細胞生物の 共生が在ったと唱えたのが、カール・セーガンの元妻であるリン・マーギュリス博士だ。
単細胞生物同士が、事故的きっかけだったのか、何なのか「共生」するハメになった。 それが生物のサバイバルにとって有効な手段だったために、のちにシステム化される。 性の誕生である。その時、個体の死も生まれた。「地球交響曲第三番」の冒頭の部分 のナレーションがこのことに触れていた。恋と死は同時に生まれた、ということだ。
僕が御大の『未来圏からの風』に影響されて、ニューイングランドのボストンで彼女の 本を読み耽っていた、あのマーギュリス博士。TVで見た彼女は、チャーミングな人。 『未来圏からの風』で御大のインタビューに応じて、宇宙空間に出ていくかもしれない 人間の未来の姿を語った答えが素敵で印象的だった。
しかし彼らは人間ではない。もう違う生き物です。人間というのは木や花や、緑の草 など、今このニュー・イングランドの一角でこうして私とあなたが見ている風景を心 から愛でる存在です。この風景の中でこそ自分の真の力を発揮できる生き物なのです から。(『未来圏からの風』P.272)
個体の限りある生。そしてその中で出会う偶然と必然。そのすべてを明るく愛でる姿勢。 生まれた日があり、死ぬ日がある。自分とは異なる他者がこの宇宙に存在し、そして 出会うことはトータルとして幸いである、そう思えるような愛しい時間を過ごすこと。
これはなかなかに難しくもおもしろい、人生を賭けた勝負だ。…貴方の勝利を願って♪
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