「静かな大地」を遠く離れて
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2001年12月23日(日) 吹雪の音楽

題:186話 戸長の婚礼6
画:小銭入れ
話:あとはおまえが話してごらん、と三郎はエカリアンに言った

題:187話 戸長の婚礼7
画:櫛
話:わたしはずっとずっと長く生きてきた気がするわ

題:188話 戸長の婚礼8
画:扇子
話:でも、わたしのは本当にわがままだったんです

題:189話 戸長の婚礼9
画:腹薬
話:俺はエカリアンに惹かれていると認めるしかない

ユートピア建設の理想に燃える三郎君が、ひとりの娘に恋をしている。
このくだり、なぜかスタジオ・ジブリ風の絵柄と音声で脳内再生されたり。
三郎のキャストは松田洋治さん、エカリアンは島本須美さんでね(笑)

ある種、今の三郎の恋話とも重なる主題を描いているのが先日来触れてきた
現在公演中のキャラメルの作品だったりする。
今日はその話を書きます。知らない人にも通じる劇評…にはしにくいか(^^;

#それはいいけど、やってもぉたぁ!…5:00じゃん、もう(;_:)

■演劇集団キャラメルボックス『ブリザードミュージック』観劇メモ

●キャラメルボックスについて
 まず簡単に僕のキャラメルボックス観劇歴からご紹介しておきましょう。
 92年の紀伊国屋ホール『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』が最初。
 あえてマイ・ベスト作品を挙げれば僕のツボがわかるかもしれません。
 第1位 『サンタクロースが歌ってくれた』
 第2位 『ディアフレンズ・ジェントルハーツ』
 第3位 『TRUTH』

 解説します。ツボは「男の友情」話。キャラメルの客席って若い女の子が
 多いという印象があって、終演後も「キャ〜!ねぇねぇ、よかったね!」
 と手を取り合う女子高生風グループなんかがよく見受けられるのですが、
 書いているのは成井さん(や真柴さん)なわけですし、大人の男の琴線に
 しみじみと触れる作品が多いのです。なので『サンタクロース〜』なんて、
 クライマックスの西川さんと上川さん叫び合いシーンなんか観ちゃったら
 客電着いてもまだ涙を拭ってたりしてて、ちょっと慌てた記憶があります。
 あのシーンは今でも僕の感情の“瞬間最大風速”記録です。

 『ディアフレンズ・ジェントルハーツ』再演は、ある意味いまへとつづく
 “キャラメルミラクル”の原型となった作品じゃないかと勝手に思います。
 その心は…確かあのとき、後には常態となった「上川さん不在の公演」の 
 皮切りじゃなかったかと。今井さんが主演、西川さん近江谷さんをはじめ
 メンバー一丸となって「危機」を見事に乗り切ったという印象があります。
 後には「危機」でもなんでもない、普通の状態になっていくわけですが。
 公演ごとにヒーロー、ヒロインが生まれる底力、その原点ではないかと。

 『TRUTH』は本の圧倒的完成度、芝居の熱、そして岡田達也さんに尽きる。
 これには前段が必要かもしれない。僕の観た限りの公演についてだけれど
 しばらくの間僕の中で岡田さんは正直言って「心配のタネ」だったのです。
 後でも触れますが、『ブリザード〜』再演とか『竜馬〜』再演とかの時期。
 この作品のラストで岡田さんに泣かされた時、感慨深いものさえあったり。
 最近の作品での活躍ぶり、幅の広がったお芝居は誰しも認める魅力がある。
 ちなみに、これと連続で『怪傑三太丸』をやれた劇団なのもスゴイ魅力。

 このマイ・ベスト、“あえて”なので、このラインナップになりました。
 じゃ『不思議なクリスマスのつくり方』は?とか『銀河旋律』は永遠だ!
 とか『グッドナイト将軍』の津田さんがもう一度観たい、とか言い出すと
 収拾がつかないので。何より『ブリザードミュージック』の扱いが問題。
 この作品、僕のキャラメル歴の中で特異な位置づけにある作品なのです。

●ブリザードミュージックについて
 95年の再演、当時札幌に住んでいたにも拘わらず、仙台公演を観ました。
 たまたま仕事の出張で東京に居たので、そのついでに仙台遠征、しかも
 翌日に花巻を初訪問という豪華版。それもこれも宮澤賢治ゆえ…でした。
 1995年は日本にとっても僕個人にとっても特別な意味を持つ年でした。
 この観劇の直前に阪神大震災、そして3月には地下鉄サリン事件。
 僕自身はその直後に仕事でサハリンを訪問、賢治の訪れた旧樺太です。
 そりゃあもうスコトン岬より思いっきり北、『風の砦』な世界でした(笑)

 それだけ思い入れのあるテーマの『ブリザード・ミュージック』だったの
 ですが…、95年の公演の印象は、上で挙げたマイ・ベストの作品群に
 迫るものではありませんでした。信頼できる友人の評では、キャラメルの
 作品の中でも屈指の完成度を誇る作品だと聞いていただけに「不可解」で
 仙台公演で特別に販売されていた初演のビデオを買って帰って見ました。
 たまたま僕が舞台を入れ込みすぎて観ていたせいだと思いたいのですが、
 ビデオをみて初めて「こういうお芝居だったのか!」とプロットを理解
 出来て「感動」することができた、という何とももったいない顛末。

 この個人的な経験は(若干改稿されているとはいえ)同じ脚本でもキャスト
 や観る側の思い込み、その日のコンディションなどで、お芝居の印象は大幅
 に変わりうるのだ、という当然と言えば当然の前提を強く確認するものと
 なりました。初演のビデオを何度も観て、いかによくできたお芝居であるか
 よくわかった上で、そして私たちが彼の作品を受容する核心となる部分まで
 一気に導いてくれる 「宮澤賢治・入門」としても出色の創作物だとわかった
 上で、もう一度この作品を舞台で観てみたい、という想いを強めていました。

●今回の公演について
 最近のキャラメルの公演を欠かさず観ていて、つとに関心を持って見ている
 のがキャスティング。特に再演もの、増して上の経緯がある『ブリザード〜』
 ならば、なおさらのこと。“育てながら戦う”キャスティングの妙を味わう
 のが面白いのですが、その意味で興味を持って見ることが出来た公演です。
 『キャンドルは燃えているか』『また逢おうと竜馬は言った』『風を継ぐ者』
 『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』といった作品以上にキャスト替えが多く、
 不動の“清吉”を別にすれば、前と同じ役をやるのは坂口さんと篠田さん
 だけ、というのがまずとても面白い。初演から同じとなると坂口さんだけ。
 決定したキャスティングを俯瞰すると納得の布陣で、それぞれにハードルが
 高くなっている感じなのもまた興味深く、観劇がとても楽しみでした。

 さて「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」は、
 「家族がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」、そして
 「舞台がぜんたい幸福にならないうちは役者の幸福はありえない」へという
 重層構造に落とし込まれていて、輻輳的に響き合っていく、その展開の妙が
 このお芝居の面白いところですが、それを成立させるためには全パートが
 それぞれ同じ強度をもってきれいなアンサンブルを奏でなければなりません。
 前半「家族話パート」で充分に笑いの“マッサージ”を与えておかなければ、
 終盤の「劇中劇パート」に入ってからも芝居全体の“飛距離”は伸びない、
 というセオリーが特にストレートに当てはまる作品だと言えると思います。

 そのへんを踏まえた上での僕の印象。「いい作品だな」というのを再認識。
 裏を返せば、食い足りない感じも残る。『また逢おうと竜馬は言った』の
 ように再演ものなのに奇跡のアンサンブルを実現していたとまでは行かず、
 “代表作のひとつの秀作の再演”という域に、手堅く落ち着いている感じ。
 それぞれが言ってみれば“職人仕事”をしているような印象で、『竜馬〜』
 で言えば南塚さん、『カレッジ〜』の小川江利子さんのような熱源となる
 役者さんがいなかった、というのが要因なのではないかと思ったりします。

 「若手の初主演」ではないから熱が足りない、ということではありません。
 ベテランだって例えば『MIRAGE』の坂口さんなどはキーパーソンでした。
 『風を継ぐ者』再演の細見さん、『ミスター・ムーンライト』の上川さん
 にしたって目が離せませんでした。言ってみればメイキング・ビデオを作る
 として誰を軸にするかという視点。今回はそこが不在だったように思えます。
 それぞれの役者さんたちが熱を持って、それぞれの高いハードルに挑んで
 脚本に生命を吹き込むべく、真摯な仕事をしていらしたのは承知の上で…。
 特に若手の役者さんたちには、優等生にならずに弾けてほしいと思います。
 “公演ごとにヒーロー、ヒロインが生まれる底力”が身上なのですから。

 いろいろ書きましたが「誰それが良かった」とか「どこのパートが良かった」
 ということではなく、芝居全体を感じることができたのは、何よりも作品の
 完成度が高いレベルに達していることの証明だろうと思います。
 今年この時期に、この作品を改めてじっくりと観る機会を得られたことを
 とても幸福に思います。考えてみれば、初演は湾岸戦争のあった91年で
 再演が95年の“日本クライシス”の年、そしてこの秋から冬の再々演…、
 成井さんにも意図しようのないシンクロがついて回るのも作品の力でしょう。

 
●補足 音楽について
 今回作られたオリジナル・サウンドトラック、どれも素敵な曲ばかりです。
 いきなり「オーディション」からカッコいいし、クライマックスの「鏡の森」
 は舞台美術とも相俟って胸の深いところを刺激されるようなギターフレーズ
 が観劇後もずっと身体の中で鳴り響いていました。CDも聴いています。
 音響チームに難を言えば、清一郎のキメのところの「僕のMerry Chrismas」
 のフェーダーの上げ下げは、ちょっとシンドかったかも。っていうか、楽曲
 の問題かもしれません。クライマックス大音量の中で登場人物がセリフを叫ぶ
 ときにフェーダーを上げ下げするのを“見せる”こと自体はむしろ“お家芸”
 というかキャラメル・ミラクルとして愛していると言ってもいいのですが(^^;
 ワムの「ラスト・クリスマス」とかだと、セリフで音楽レベルが下がっても
 聴く側の脳内ではワムがつながって流れてる、という“選曲アドバンテージ”
 効果があったのかもしれないな、なんてことまで考え込んでしまいました。


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