「静かな大地」を遠く離れて
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2001年10月26日(金) |
陰謀史観、ユーラシア、のどうた |
題:133話 鹿の道 人の道13 画:鉛筆 話:アイヌモシリというのは、アイヌの地、静かで平和な人間の地
昨夜「陰謀史観」などと物騒な言葉を持ち出したら「新世紀へようこそ」 の話題も陰謀史観だったり。明日の「見解篇」を心して読むべし。 「陰謀史観」という言葉にもニュアンスの幅があって、国際謀略小説的 な穿った世界情勢解説の類がそう呼ばれることもある。これにハマると いくつかの諜報機関などが「歴史」を作っているかのように思えてくる。 何せもっともらしいので、いかにも“事情通”ぶれるのが特徴。 栗本慎一郎師の「第2の真珠湾説」なぞ“これぞ陰謀史観”というもの(^^; http://www.homopants.com/column/index.html もう少し精緻かつ、ねちっこくやると副島隆彦氏の「ぼやき」風になる。 http://soejima.to/index.html
「陰謀史観」と言って通常連想するのはいわゆる「トンデモ」系というか ある特定の民族が世界経済を裏から牛耳っていて…みたいなやつ。 某U野正美先生なんかも是非緊急出版で本を出してほしいものである(笑) こちらの「陰謀史観」は、どんどん広がっていくと「妄想史観」へと つながっていくもので、長山靖生『偽史冒険世界』(ちくま文庫)に症例 が面白く、かつ真摯に分析されてます。以前、義経=ジンギスカン説の話 の時に紹介した本。その視野には当然オウムも入っていたりするわけね。
『極秘捜査』からの引っ張りもあってか、『お笑い日本の防衛戦略』という テリー伊藤氏の最新刊に手が出た。青山繁晴氏との対談本(飛鳥新社)。 『ドカベン』でも読む時のような釘付け感と快楽がある(笑) もう少し真面目には篠田節子『弥勒』(講談社文庫)が気分かもしれない。 あと田口ランディ氏の『ぐるぐる日記』(筑摩書房)を読んでたら、 神社マニアぶりやニュー・エイジ的なネタへの強靱かつ軽快なスタンスの 取り方を含めて意外と僕と近い人かもしれない、と今さら思ったりする。 http://journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=78055 ついに「のどうた」に、しかもトゥバのホーメイに直でアプローチしてたり。
かそけき音の世界。「のどうた」が近年になって世の中に溢れつつあるのには 需要=受容する側による「癒されたい!」願望という本来マトはずれな要素も あるのだろうけど、まずは「陰謀史観」風あるいは地政学的に説明するならば 90年代初頭の東西冷戦終結により“産地”の中央ユーラシアが“解禁”に なったという要因もあったのではないかと思われる。高名な物理学者にして 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』で有名なリチャード・ファインマンが 晩年に行きたくても行きたくても行けなかったのが、当時ソ連の中の共和国 だったトゥバである。その経緯は『ファインマンさん最後の冒険』に詳しい。 この本の影響度は大きい。
http://www.mmjp.or.jp/booxbox/nodo/throat-homeJ.html 知人の嵯峨治彦さんは宇宙物理学徒だったのだが、今や立派な旅音楽師の日々 を送っておられるようで、僕は秘かに、時に公然と彼を「のどうたの貴公子」 と呼んで、その「ノマディックかつノーブル」な暮らしぶりに憧れている(^^) 彼がユニットを組んでいる等々力さんという方も、たしか生化学か何か理系 の難しい学問をやられている方だったりする。しかも二人ともエラい男前。 ユニット名は「タルバガン」。 http://www.booxbox.com/tarbagan21/index.html
よく知られるモンゴルのホーミーだけでなく、さまざまな民族がそれぞれの 唱法を持っていて、それを総称する日本語として「のどうた」と呼称するのが ポリティカリィ・コレクトな姿勢というもの、なのだろう(^^; ノンフィクションでサッカー(フットボール)と旧ユーゴスラビアの政治史を 結びつけて書くジャンルめいたものがあるけれど「のどうたノンフィクション」 というのも、そのうちアリかもしれない、もう少し認知度が上がれば。 さらにカルチュアラル・スタディーズ系学問では、どう把捉できるのか、なんて 興味も持ってみたりして。きっとマイナー過ぎて手つかずなんだろうけどね。 ベーリング海の東のモンゴロイドに、のどうたは在ったりするのか、とかも(^^)
ちなみにトゥバもスターリンの陰謀で酷い目にあった歴史を持っている。 でも人口に比して“歌うたい”濃度の濃いこと!しかも「民謡」は現在進行形 で生きているというから、何やらオキナワを思わせるではないか♪ ちなみに1998年にトゥバで開催されたコンテストに乗り込んだタルバガン は、外国人部門で優勝、総合でも2位という輝かしい記録を残している。
地球上で戦火が止むことはない。でも人は歌いつづけるのだ。
先日来マイ・ブームの外間隆史『St.Bika』ライナーノートから引用。
1998年から2000年にかけて、『サンビカ』と題し た物語を書いた。ある作曲家がノエという失語症の 少女の体内に宿る旋律を基につくった音楽をたった 一度だけ世界に向けて放送するラジオ局があったと いう話。サム・シェパードが『モーテル・クロニク ルズ』の中で書いた男のように、僕もまた「ラジオ の国」が空のどこかに在るのではないかという想い を抱いた幼い記憶を持つ。イヤフォンをつうじて 魔法の音声に夢中だった僕は、しかし「何かべつの もの」を受信していたのかもしれなかった。 この音楽作品『サンビカ』は、“歌う生命体”への 賛美を込めてつくった。 我が家の「裏庭」への帰還を済ませ、「生と死の波 打ち際」へ出掛けて行けばそこに視えてくる世界は 美しく、かつて受信していたはずの「何か別のもの」 が、ようやく澄んだ音声を伴って体内から聴こえて くることに気づいたのである。
“St.Bika”と“Radio St.Bika”の2枚組CDに なっていて、後者は架空のラジオ・プログラムという設定なのがなかなかニクい。 イラクの地上戦の時も、コソヴォの空爆の時も、ウィーンの大聖堂で、祈るでも 考えこむでもなくボンヤリと戦争のことを考えていた。 今回はトウキョウに居て、『St.Bika』を聴いている。
天空に架かる、不可視なる“美”の大伽藍の下、 そこをアイヌの人々は「人間の静かな大地」、アイヌモシリと呼ぶ。
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