「静かな大地」を遠く離れて
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2001年10月10日(水) |
進化論、千年王国、新書魂 |
題:118話 札幌官園農業現術生徒28 画:ロザリオ 話:天の日や月などはいかにして造るのであろうか
レトリックとして聞いてもらいたい。 「アメリカ」というのは、あれ自体がひとつの巨大なカルト運動体だと 思って対処したほうが、他国は身を誤らないのではあるまいか?
この珍奇な対米観は、栗本慎一郎『幻想としての経済』(青土社)所収の 「失われた千年王国とアメリカ 日米経済摩擦と文化のパラダイム」を 少年の日に読んで以来、僕の中に巣くっている。 「ハ〜イ!」と一見にこやかなヤンキーの振る舞いの裏には「他者」が 理解できない、怖くて仕方がない、だからとりあえず敵意がないことを わかりやすい態度で示しておかなければ、という心理があるというのだ。 そして自己ないし自己の属する集団の「幻想」を限りなく追求すること に対する関心が強い。それを邪魔する「他者」に対しては断固団結する。 友人にすれば頼もしい限りだが、うっかり「敵」にしたくないタイプだ。
そういう基本属性を呑み込んで、過剰な期待や逆に反感を抱くことなく、 友人としてつきあうなり、戦争するなりしたほうが、見誤らずに済む。 怖いのは、誰かの無知による誤解から、米国の出方を見誤ることによる 不測の事態、不幸な出来事の拡大だろう。半世紀前の日米関係のように。
民主主義の家元、グローバル・スタンダードの卸問屋、資本主義の覇者 なるがゆえに、敗戦国日本は特にアメリカへの劣位コンプレックスが 作動して、彼の国の美点と欠点を冷静に見切ることが難しいのだろう。 だからこそ、文化人類学者がどこかの「未開社会」を研究するみたいに アメリカの無意識と行動様式、多様で変わりゆく内実を知る努力が要る。
この巨大な運動体が生まれた歴史的必然と未来は、地球上に生きる者に とって他人事ではないのだ。
ただのSF批評家ではない「超米文学者」巽孝之氏の“新書3部作”は、 “アメリカ”にも“文学”にも興味がなくても、われわれが生きている “現在”と“未来”に関心がある向きには必読、かつ滅法おもしろい。 「わかった気になれる」新書魂も、サービス満点で詰め込まれている♪ *『恐竜のアメリカ』(ちくま新書) *『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書) *『「2001年宇宙の旅」講義』(平凡社新書)
三冊を通じて実感できることは自然科学的な観念や発見、テクノロジー と時代の政治経済あるいは社会的な事件との間にある強い連関である。 もしかしたら「地動説」よりも「進化論」のインパクトと意味のほうが 大きかったのかもしれない。そしてそれは現在も続いている問題である。
自然科学を解する作家には、いっぱい良い仕事をする義務がある(笑)
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