「静かな大地」を遠く離れて
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時勢の推移に感じるところがあって沈黙しているわけではない。 単に物理的に多忙であったり、無精で怠け者だったりしただけ(^^;
ともあれ、三郎君は元気に学んでいるようで何よりだ。 世界を新鮮に捉えている彼の目を羨んではなるまい。 現在の僕にだって、同じように“見ること”は可能なはず。 諦念の彼方に強い光と影のコントラストに彩られたリアルがある。 生きていよう、愛しい者たちと。だらしない時間を重ねても。
BGVは、Coccoのシングル・クリップ集DVDね♪ で、遅ればせのマイ・ブームは意外にも「ちゅらさん」(笑)
では、ここしばらくの「静かな大地」への一言コメント集。
10月2日 題:110話 札幌官園農業現術生徒20 画:鋲 話:では私らが北海道をオランダと成そう
もしもし?榎本武揚公に触れるのはいいけれど、 お話の運びが『武揚伝』のサマリーではありますまいか(^^; 三郎少年を“夢を継ぐもの”とするエピソード。 やはり『武揚伝』は第一級の副読本、書評が読みたいです。 同時に面白く『武揚伝』を読んだけど現在の日本と結ぶ線が 見えない方は「静かな大地」を読みつづけてみませう(^^)
10月3日 題:111話 札幌官園農業現術生徒21 画:靴ベラ 話:最初にベーマー先生が歌われた
軍歌、労働歌、革命歌。詞、メロディー、声。 未来にもバリケードの中で高らかに声を合わせて 革命歌を歌ったりすることはないだろうけど、 路上で歌う若い衆の声に足を止めることはある。 歌の持つ共同性の力。観念と身体と他者を媒介するもの。 『言語とフェティシズム』の故・丸山圭三郎先生は、 ソシュールの研究者であり、カラオケの名人でもあった。
「じゃ、歌っちゃおっかねぇ♪」(古波蔵恵文)
10月4日 題:112話 札幌官園農業現術生徒22 画:釘 話:薩摩征伐に五十名も出征したとはまっこと驚き
明治10年という時代。西南戦争の意味。日本の北と南。 北海道開拓のグランドデザインを決める明治政府は、 ほとんど「薩摩帝国」そのものでもある。 近代の自家中毒ともいうべき内戦の多大なコストを思うとき、 穏健な公武合体路線による改革の途はありえなかったか、 というシミュレーションが必要だろう。 “19世紀の魔物”、英国が許さなかったのだろうか? パレスティナ/イスラエルにも、アフガニスタンの現状にも 長いスパンで「責任」を持つ“世界史的いらんことしぃ”。 うーむ、やはり「異貌の英国史」が欲しいところか(^^;
10月5日 題:113話 札幌官園農業現術生徒23 画:栓抜き 話:“ポッコーン”の作り方
相変わらず「作り方」系の好きな作家さんです♪ “人生のエピキュリアン”ですしね、僕に言わせれば(笑)
それこそが最大最強の抵抗の拠点たりうるのだ、というのが 「楽園は可能だ」とウソぶく“なりゆき主義”者の持論かも。
とても真似できませんな(^^;
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