「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月13日(木) 彼岸を視し者

題:91話 札幌官園農業現術生徒1
画:縫い針
話:三郎伯父様が札幌で勉強していたころの手紙発見

さて、章が替わりました。そろそろ三郎の主観eyeが入らないかな、
と思っていたところだったので、いよいよ、という感じのタイトル。
そして次なる舞台は、僕の“わが街”札幌であります♪
三郎伯父様こそ、この物語におけるカリスマの担い手であり、
“彼岸”を視てしまう男だろうから、ようやく話のギアが入る感じ。

『マリコ/マリキータ』所収の「梯子の森と滑空する兄」をはじめ、
あの短編集のほとんどに見られるモチーフの、行動する人/見届ける人
という構造がここでも見られる。志郎さんは兄・三郎を 通してのみ彼方
なる存在を見届ける役に徹した人生を送り、それを由良に語り残した。
三郎伯父様の軌跡を辿る新婚の由良さんが、今回の「探偵役」か。
由良が身ごもっている子供の、そのまた子供の世代は、もう池澤御大
その人の年代なのだ。自在に行き来する時制の仕掛け方が愉しい。

それにしてもサブタイトル、興味深いですねぇ。
昨夜ちょっと触れた札幌農学校とか、宮澤賢治の花巻農学校なんかも
連想させます。「自然」に人間が能動的に働きかけて、なにものかの
財を取り出そうという行為、農業。狩猟民であり交易民であったアイヌ
の暮らす天地の中で、至福の季節を知ってしまった三郎少年にとって、
札幌や農業というのは、どういう意味と手触りを持つものなのだろう?

“彼岸まで見通してしまった者”の悲劇を背負うことになるらしい兄、
そして兄の運命を見届ける弟。
それに重ね合わせるように、次の世代の姉が身重の妹を気遣う手紙。
優しい姉ぇ姉ぇ、そして優しい作者だねぇ、世界がどうあっても子供
を産み育てる行為は「救済」である、という強い信念を感じる(笑)

しっかり絶望しきることから始めよう。
世界は常態から逸脱しているわけではない。こんな事態は今に始まった
ことではない。世界で初めての原爆攻撃を受けた国、地下鉄サリン事件
を経験した非常事態の超先進国、関東直下型地震でカタストロフィーを
予告されて久しい都市の住民、テポドンの射程距離圏内で何食わぬ顔を
して暮らしている国民の誇りに賭けて、「この程度の事態」でオタオタ
してはならない。南北の経済格差も、覇権国家と原理主義者の相克も、
現代を生きてきた者にとっては、はるか以前からの前提でしかない。
世の中にはものの見方が透徹しすぎてトンデモに近い域にまで行く人も
いたりするわけだが、この人のキワドイ線への迫り方には脱帽する。
脳梗塞からの生還を経られて、なおネットで健筆を奮うあの方だ。
http://www.homopants.com/column/index.html

流石です(^^;
この事態が滅びへの序曲になるのか、禍転じて僥倖とさえなるのかは、
アメリカ文明、すなわち現代文明の「体力」次第だろう。
「理ではなく没義道」だと訴えても、魂の次元では勝利するだろうが、
確信犯でやっている者には痛くも痒くもない。歯痒い。
ヒトには時々、そういうフェイズが派手に顕れうる、特に近現代とは、
そういう特徴が顕著に肥大化した世界である、ということ。
理由は今すぐにはわからない、少なくとも僕には説明できないけれど、
これは冷徹な事実だし、きっと何らかのシステムに基づく冷たい理由
が存在する。それなのに/それだから「愛」などというものも在るのか?
人類よ、手近な仮想敵から目を逸らせ!
…そこに、おそらく「神」がいる。(うーん、往年の山田正紀風 笑)


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