「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月12日(水) |
沖縄、アメリカ、林檎の樹 |
題:90話 鮭が来る川30 画:ドクダミ 話:「由良さんや、子供を産みなさい」と五郎が言った
「世界が明日滅びるとしても、君は林檎の樹を植えるか?」、 池澤御大&ミチオ系読者には、おなじみの命題。 五郎さんが「まこと、これが最後かもしれぬ。」と遺言のように 由良に“アイヌの愚痴”を託したあとの、第一声が今日の引用部分。 「子供を産みなさい」という、親友の娘(姪)への切実な呼びかけ。 自分たちが生きた証、夢見た楽土のヴィジョンは、その子供たちに 語り継がれることで、生命を繋ぐことができる…という儚げな希い。
一年前の秋、僕は“生命の島”オキナワと対峙しかねていた。 むしろ逃げ回ろうとしていた。 そして地球上でオキナワの「対蹠地」と呼べる場所はどこだろう? と考えた上で、自然地理的な見方からは別の解答もあるだろう、 しかし文化的、あるいはいっそ地政学的には、ここしかない! と思える解答を自分の中で得て、秋の休暇の旅先をそこにした。
そこ。アメリカ東海岸。ニューイングランド、そしてワシントンDC。 わざとニューヨークを無視するのもなかなか痛快なロケーション選びだ などと嘯きつつ、人生で初めての新大陸へのアプローチを楽しんだ。 今夜は、その観光旅行からの帰国後に自分ちの掲示板に書いたカキコミ を再編集してお送りします。去年の10月16日ごろ書いたものです。 わすか一年、遥か一年…。この間のオランダ旅行へとつながっていく 流れが、このアメリカ旅行にはありました。
********************************* ハーバードに留学したくなった。MITでもU.MASSでもいい(^^; ようするに留学生という立場でBostonにしばらくいたいだけ(笑) New Englandから律儀に「観光」するのが、こんにち最も 世界超大国アメリカをオチョクリつつ、真摯につきあう近道なのだ、 …とかいつものように屁理屈をこねながら。
ボストンって、ちょうど横浜みたいな街で建築とか都市再開発の 仕方とか見ながら歩くと、とてもいいスケールの街なのです。 当地在住のリン・マーギュリス博士の邦訳本をわざわざ持参して、 ミーハーにもU.MASSのキャンパスで読んだり(笑)、 『白鯨』なんかに出てくるNantucket島へCape codから船で渡って 帰りは目論み通り(!)乗客8人のエアプレーンでBoston までひとっとびしつつ、氷河の名残の地形だというCape codを じっくり眺めたり、ジョン万次郎の故地に行ったり(感激!)、
ボストンのミュージアム・オブ・ファインアートには、 なんとゴーギャンの世紀の大作、 「我々は何処から来たか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」があるし、 ニューイングランド・アクアリウムで巨大水槽も見たし、 ソローの『ウォールデン/森の生活』のWalden pondを訪ねたり、 といあえず紅葉のNew Englamdで意味なくトート・バッグを 肩から下げて大学街のサンドイッチ屋で本を読んだり(笑) 「ナショ・ジオ」に出ていたノースエンド地区のイタリア人街 (ボストンの“中華街”みたいなもん?)で食事したり、 MITやハーバードへ行ってニセ学生ごっこをしてみたり、 だいたいが「ボストン茶会事件」「レキシントン・コンコードの戦い」 などで盛り上がれる世界史オタクだったりするので、下手な欧州の国へ 行くよりよっぽど観光できるのです。
歴史あり、自然あり、のニューイングランドは、日本で言えば 紅葉の季節に京都・嵐山とかに出かけるようなもんで(?)、 欧米からの中年以上夫婦観光客がウヨウヨいるメジャーな観光地。 おまけにコロンブス・デイまで重なる日程だったし。
もともと僕はここ10年でハリウッド映画を10数本しか観てない という類稀なる現代人なんだけど(<商売上ええんか?(^^;) 巽孝之氏や奥出直人氏をはじめ、贔屓の物書き・研究者の方々には アメリカ通が多いのです。以外とJFKとか現代史も好きだったり。 おまけに実は、子供のころ偉人伝とか苦手だったわりに T・A・エディソンだけは心の師としていたりで(学校嫌いだから 笑) アメリカ文化や文明そのものに関心がなかったわけじゃない。
NYは、ボストンからワシントンDCへの飛行機から遠く見ただけ、 西海岸はいまだにこの世にあるのかどうかさえわからない、 という対米観も、ビギナー的には面白いわけです。
ワシントンDCは短い滞在だったけど、奥出直人先生の都市論の 論文を持っていったので、とても面白く観光できた。巨大人工都市。 あと『シンラ』の「オーガニック・フード特集」に出てたスノッブな感じの レストランに行ってみたくって、あちらの知人にブッキングも頼んで、 ディナーをつきあってもらったり♪ ワインも食事も水もすこぶる美味で、内装や接客や雰囲気もよかった。 あの店へ行くために、またDCへ行きたいくらい(^^) もちろんナショナル・ギャラリーは一巡。フェルメールもチェック、 その他、さすがのコレクションに加えて、アール・ヌーヴォーの特別展も♪ スミソニアン博物館は、まずは航空宇宙博物館に飛び込んだし、 自然誌博物館も「恐れ入りました」って感じ展示だった。 以下、副読本コーナー。 *巽孝之『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書) *巽孝之『恐竜のアメリカ』(ちくま新書) *奥出直人『トランスナショナル・アメリカ』(岩波書店) *落合信彦『ケネディからの伝言』(集英社文庫) *津本陽『椿と花水木』(新潮文庫) *久保尚之『満州の誕生 日米摩擦のはじまり』(丸善ライブラリー) *吉村昭『ポーツマスの旗』(新潮文庫) *村上春樹『やがて哀しき外国語』(新潮文庫) *中井貴恵『ニューイングランド物語』(角川書店) *####『未来圏からの風』(PARCO出版)
他に荒俣宏、高山宏の両氏の物事の読み解き方が参考になる。 もちろん、ボストンやニューイングランドを舞台にした あちらの文芸・娯楽作品は、枚挙にいとまがないでしょう。 志向性によってロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズでも ラブクラフト全集でも、19世紀にコンコードに花開いた アメリカン・ルネサンスの作家達でも手に取ればよろしいでしょう。
一番印象に残った場所は・・・島もよかったけど、ハーバード大の 赤煉瓦の建物の中の、地味なナチュラル・ヒストリー・ミュージアム。 なんというか、北大のキャンパスみたいな感じなんだけど、 “イノセント”な大学キャンパスの奥底に潜む「世界を統べる遺志」 の原初的な形態が見えた気がした。
あとゴーギャン&印象派と浮世絵、フェノロサ、岡倉天心とつづく、 エキゾティシズムとしてのジャポニズムの拠点としてのボストン美術館。 そして19世紀前半まで世界最大の捕鯨大国の拠点だった マサチューセッツの海と対峙して、ジョン万次郎の目線で太平洋の彼方の 日本を見るというのも、なかなか得難い経験だった。
科学技術文明の勃興期と国家の隆盛がそのまま重なっている場所、 基礎科学と産業を繋ぐ本家の底力、現代の世界を創っている震源地。 それを歴史的なスパンで見られたと思う、大袈裟にいえば。 ナンタケット島でアーリーアメリカン調の別荘らしき家をみて 目を楽しませつつ、なんとなく普天間あたりで昔、フェンス越しに 見た住宅の芝生の庭を想い出したりして…(^^; 自然と場所と人の世の歴史の関わりとは面妖なものである。
北海道&New England、という視角。“Boys be anbitious!”の クラーク博士が、マサチューセッツの人だったりするのには 黒田清隆が維新後の蝦夷地開拓をアメリカ式で推進しようという、 国家的威信をかけた事業としてケプロンを招聘した結果だったりもします。 紅葉のニューイングランド、なんて洒落たことを言ってますが、 第一印象は予想通り「あ、北海道だ」(笑) ハーヴァード大学のキャンパスの赤煉瓦の建物と近代的な 研究棟とを見たときも「北大みたい」って思いました。 なにより寒さ加減と植生が似てる。 人と自然の関わり方のアルケオロジーとしても関心の持てる視点です。 ぜひ北海道在住の在野の研究者、著述家の方に、それ系の本を 書いて欲しいです。で、副読本の追加。 *星新一『明治・父・アメリカ』(新潮文庫) *星新一『明治の人物誌』(新潮文庫) *童門冬二『人生を二度生きる 榎本武揚伝』(祥伝社文庫) *鷺沢恵『大統領のクリスマスツリー』(講談社文庫) *杉森久英『新渡戸稲造』(学陽社人物文庫)
あと、下の↓NORAみたいな店が、札幌にあるといいのになぁ(^^) http://www.noras.com/restnora/index.shtm ティパサは結構、すでに近いノリですけど。 今度『シンラ』のオーガニック特集をおKさんに見せようかな♪
…というわけで、北海道という場所を捉え直す意味でも面白かったです、 きっとアラスカへ行くよりね(にやり)。 そういえばディナ・スタベノウのケイト・シュガック連作の未邦訳の 原初も買ってきたけど、読めるかなぁ(^^; 副読本っていうのは、今回旅程の最中に読んだってことじゃなくって 過去に読んだものも含みます。
で、村上春樹『やがて哀しき外国語』って書いたけど、間違いです。 『うずまき猫のさがし方』のほうが、ケンブリッジ時代のエッセイ集。 当然ボストンマラソンの話とか、ヴァーモントの田舎へ出かけた話とか、 猫の話とか、いろいろ。楽しい本です。 彼は、ボストン美術館はあまり面白くなかった、って言ってます。 なんか、彼がそう言うのは、わかる気がする(^^;
ファイン・アートっていうものが、何故こんにちも存在していて、 世にそこそこ広く受容されているのか、さっぱりわからない、 という前提があるのでしょう。基本的には同意見の部分もある。 “そのさまを「見物」にいく”というアルケオロジカルなアプローチが 僕の観光旅行だったとするならば、村上春樹氏はケンブリッジで 走ったり、スカッシュをしたり、猫と戯れたり、つまり「生活」することで、 すべてに「抵抗」しつつ小説を書いてみたりしているわけか。ふむ。
で、冒頭の僕の発言は「僕もそうしてみたい」という言明か?(笑) それにしても、イラクリオン@クレタのクノッソス宮殿も見向きも しなかったし(『遠い太鼓』)、あの人ってとことん村上春樹よのぉ(^^; そういえば僕って、村上龍氏が好きで村上春樹氏は苦手だと思ってる方が いらっしゃるかもしれませんね、ここだけ見てると。 決してそんなことはありません。つまんなかったっていう人が多い 『ねじまき鳥クロニクル』も2回通読しました。 信頼できる同時代の大事な作家として敬愛しています。 ***********************************
…中途半端ですね、やっぱり(^^; 実は「ギリシアの誘惑1999」↓みたいに“よくできた”旅日記じゃないけど、 http://gwho.bird.to/fy010.htm 未公開のメモはアメリカでも書いてたんだよね♪ その手帳の中身をリライトすれば、この旅をもう少し鮮やかに再現できるかも。 でも大変なので、やめときます。
きょうの“インチキ更新”は、Good jobだと思ってます、自己満足で(^^; 「どんな時でも学問は厳然としてやらなければならない」って栗本師の言葉、 『MASTERキートン』のユーリ・スコット先生みたいでカッコよかった?(笑) キートンさんの最終巻のエピソード、好きです。 世界と対峙してそれを愉しむ「眼力」と、どこへでも歩いてゆける「意志」、 それを持ちたいと願いつつ、あとは「林檎の樹」ですかね…(?) 林檎の樹と言えば、札幌のティパサの↓“禁断の果実”、食べたいなぁ♪ http://www.lares.dti.ne.jp/~fuente/tipasa/entree.html
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