「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月05日(水) |
異貌のオランダ、異貌の<近代>、そして日本 |
題:84話 鮭が来る川24 画:カブトムシ 雄 話:“アイヌ勘定”解説と子供たちの労働報酬
あいかわらず、いつまでもつづくピクチャレスク博物誌的な視線の 山本容子さんによる版画さし絵ですが、今日は甲虫。 和人進出のコロニアル状況が描かれる本文と並べられると、 豊かなアイヌモシリの物産も、いつしか支配者の目録めいてくる(^^;
このへんは僕のオランダ観光旅行の影の主題と言ってもいいところ。 解説は難儀なので、あえて挑戦しないが、参考文献を挙げるならば、 高山宏『終末のオルガノン』(作品社)の中の「豚のロケーション」 という論考が17世紀オランダ文化の“ツボ”を刺している。 先日の僕の、中途半端なオランダ旅行報告の補足をするために、 ちょいと引用。 そもそも<近代>全体が、実存的「豚たち(マラーノ)」による <定位>の試みの総体ではないか〜(中略)〜豪華絢爛たる<近代> の表象文化そのものが「豚たち」の絶対的な疎外感の所産である
「豚」とは、かつてイベリア半島で弾圧されたユダヤ人たちへの蔑称。 近世初頭の欧州史の軸となる、カトリックの守護者スペイン帝国での 迫害がもたらした彼らの歴史については、小岸昭氏の諸著作を参照。 で、16世紀はスペインから独立しようとするネーデルラントの死闘 が繰り広げられる。この辺は岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)。 このスペインからの独立戦争こそ、フランス革命、アメリカ独立革命 に大幅に先駆ける、<近代>の共和主義の最初の華。
オランダが果たした役割、その見方を大転換しなければ歴史は見えない。 のみならず、我々が現在“どこ”にいるのか、の見取り図も書けない。 その力説は、再び高山御大の編著『江戸の切り口』(丸善ブックス)で 聞くことができる。スピノザやフェルメールを生んだ異貌のオランダ。
ヨーロッパ自身が当時のオランダをどういうものだと考えていたか、 そこがかなり変わりつつあるわけです。(中略)イギリスに制海権を 奪われる前の、光学的というか、レンズ的とさえいってもいいぐらい、 世界を視覚的に切ってきて、それを所有することが快楽だということ を覚えた文化圏です。顕微鏡とか絵とか地図とかの表象装置に狂った、 史上稀に見る不思議な文化がオランダにあって、その頃のオランダが 一世紀遅れて入ってきた。
オランダが江戸政権と貿易の特約を勝ち得たのは、当時のオランダが 世界の海上の覇権を持つスーパー・パワーだったからに他ならない。 そのオランダ的文化の江戸への「浸入」の様を、つぶさに追う仕事を しているのが、英国の俊英タイモン・スクリーチ氏である。 既に何冊も大著を出しているが、『大江戸異人往来』(丸善ブックス) が値段も安く手に取りやすい。ダイジェスト的な新書も出して!(笑)
江戸時代が始まったときに、リーフデ号の漂着という偶発事件があった とはいえ、当時までの覇権国であったスペインやポルトガルではなく 新教国・英国のウィリアム・アダムズやオランダのヤン・ヨーステンを 召し抱えた、徳川家康の慧眼を誉めなければならない。 その辺は白石一郎『航海者』(幻冬舎文庫)。隆慶一郎『見知らぬ海へ』 が、他の晩年の作品と同じように未完で残されているが、もし完成して いれば“いくさ人”家康の眼で見た、当時の国際情勢が語られただろう。 よく勘違いされるが、家康は対外交流に非常に積極的な人物だったのだ。
そのオランダが生き馬の目を抜く欧州の近代史の中で衰退し、国家の旗 さえ降ろさなければならなかった時にも、世界中で長崎のオランダ商館 にだけはオランダの旗がはためいていたとか…。 それほどの日本とオランダとの「縁」を背景にして、日本の幕末の激動 を描く佐々木譲さんの巨編『武揚伝』を耽読すると、国家と国家の間、 そして個人と個人の間の“友誼”というものへの想いが沁み渡ってくる。
ここで少し余談。 上で高山宏御大に導かれて覗いた異貌のオランダの姿を考えるならば、 『武揚伝』の冒頭が、地球儀と星座に関するロマネスクから始まるのは あまりにも正しい。そして“世界商品”コーヒーを偏愛するところも、 オランダ仕込みで微笑ましい。アムステルダムの海洋博物館の売店で 買ったクリスタルの小さな地球儀は、その文脈を押さえた土産物なのだ♪
榎本武揚は言ってみれば<近代>の老舗中の老舗、あまりに先鋭的に <近代>を体現していたがゆえに、大英帝国にとって代わられたのかも しれないオランダに学んだ。そして薩英戦争後は親英勢力となっていた 薩摩や、密航英国留学生の伊藤俊輔や井上馨を擁する長州の武力革命に よって前途を塞がれることとなった。 榎本武揚が演じた日蘭友好の物語は、オランダでも知られてほしい。 なぜなら日本とオランダは江戸以来続けてきた永年の友誼にも関わらず、 20世紀に痛恨の、そして最大の「逆縁」を抱えてしまったからだ。
すなわち、第二次世界大戦における、オランダ領インドネシア進出…。 あの戦争の忌まわしい記憶にオランダ人は今でも強くこだわっている。 日本の若い人の中では、戦争の相手はアメリカ、かろうじてイギリス、 あとは中国、よくわからないけどソ連…くらいの認識が一般的だろう。 オランダ人の対日感情が悪い、そこまで恨まれているとは思いもしない。
ルディ・カウスブルック『西欧の植民地喪失と日本 オランダ領東インド の消滅と日本軍収容所』(草思社)の説く論旨を充分に飲み込んだ上で、 今の日本人の良識としては、倉沢愛子『女が学者になるとき』(草思社) などの著書で“大日本帝国”がインドネシアにもたらした負の側面も 知っておくべきだろう。「ムルデカ」だけ鵜呑みではマズイのは確かだ。
オランダ、日本、インドネシアの3地域のトライアングルを16世紀以降 追ってみると、なんとなく、今の世界で日本人が知っておくべき枠組みが すっきりと押さえられそうな気がする。歴史の複眼的な見方も養える。 3地域に絞り込んで、あとはそれを叙述するための背景ということに 徹すれば、不要な煩雑さからも逃れられる。その分、それぞれの「言い分」 を盛り込んだ、ディベート的な叙述をしても、大枠は揺らがない。 そして日本による戦後補償とスカルノ政権とか、そういうトピックにも 触れることができる、“いまに届く”歴史になりうると思う。
『日本権力構造の謎』や『人間を幸福にしない日本というシステム』で 知られる論客、カレル・ウォルフレン氏がアムステルダムと日本の茨城を 往復するオランダ人だと知ったのは最近のことだ。 まさに現在の日本の<非近代>な要素を指摘し、改革の掛け声を高める 仕事をした学者さんだ。この人に、オランダのことも教えてもらいたい。 それも中学生高校生に語るレベルで、個人的な日本への関心の動機なども 織り交ぜた講演集かインタビューに加筆するスタイルでもいいかも。 平凡社が橋爪大三郎とエズラ・ヴォーゲルで作った新書みたいな(笑)
オランダ、日本、インドネシアの3地域関係史を軸にした<近代>史を 高等学校の教育課程に入れて、教科書もそれに準ずるべし! もう「カノッサの屈辱」とか、私大文系受験生の業界人風ギャグ・ネタ を生産したような「世界史」も、20世紀のことがちっともわからない 「日本史」も要らない。そして、ある意味、「アカウンタビリティー」 のために学ぶような「歴史」であるのだから、その教科書そのものを 英語で記述してしまう、というのはどうだろう?(笑) 現行の科目よりも“役に立つ”ことは間違いないと思うのだけれど(^^;
あ〜あ、久しぶりにやってしまった…、 今夜は早く寝るつもりだったんだけどなぁ (;_:) これ読んで「おもしろかった」という方、いらしたら激励メール下さい♪ あと、某所にアップあれているサントリーニ島での僕の写真の感想も(爆)
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