「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月03日(月) 北海道経由オランダ

題:82話 鮭が来る川22
画:オオバコ
話:鮭鱒孵化場の顛末

北海道=蝦夷地は物産の豊かな土地でああった。
充分に独立国家が営めるほどに…。
それを夢想したのが、鮭の孵化事業なんかも大好きそうな、
技術と殖産好きの政治下手(?)、“我等が”榎本武揚公である。
なかなか書けないでいる僕の夏休み報告、北海道経由オランダ行き、
まず、さわりだけでも某友人へのメールの文面から。

 今回は前回のニューイングランドとワシントンDCよりもっと説明が難しい、
 アムステルダム暮らしの日々でした。
 今、地球を取り巻いている「近代」の「孵化器」、それがあの低地地方だった、
 そういう認識の元に、アメリカ東海岸の次に訪れるならあそこしかない、
 と思っていました。

 レンズ職人哲学者スピノザ、視覚革命の担い手フェルメール、国際法の父
 グロチウス、そういう先鋭的な人を輩出した奇怪な時代を持った国。
 加えて日本との歴史の綾。蘭印の旧宗主国であり、第二次大戦の敵対国。
 そして現在、アメリカ型に対するオルタナティブな社会や環境への取り組みを
 現実のものとしている、インダストリアル風車と自転車の国。

 とにかくもう歴史も現在もネーデルランドを見れば、すべてが見えてきます。
 大英帝国が歴史を捏造したせいで隠蔽されて、「チーズと木靴と風車小屋と
 チューリップの小国」みたいに見えますが、あの国の本性は魔物であります。

 幕末においてオランダ留学組リーグから、国際法に精通したラディカルな
 共和主義者の一群が北海道独立を試みた歴史を、日本の人は軽視しすぎです。
 そのへんを書いたのが、佐々木譲さんの新刊『武揚伝』です。
 上下巻1350グラムのハードカバー本を持って、ゆかりの地を訪ねながら
 じっくりサボり倒してきました。贅沢とはこういうことを言うのです♪

…つづいて帰国後わりとすぐに、作者の佐々木譲さんご本人のHPの掲示板に
僕が書き込んだ文面。

 ご報告 G−Who  2001/08/19 (日) 10:50

『武揚伝』上巻を新千歳空港発スキポール行き機上で読了。
下巻のクライマックスは、雨のアムステルダムのカフェで
涙をこらえながら読みました。
アムステルダムの海洋博物館、
オランダ留学組の多くが住んだデン・ハーグ、
開陽丸の故郷ドルドレヒトのオーデマース川、
ゆかりの地も巡りました。
自慢ついでをお許しいただければ、
冒頭近くの樺太の描写の中のクシュンコタンの
ロシアが陣地を築いた丘も、過去に訪れたことがあります。
『ワシントン封印工作』ゆかりの旅としては、
ワシントンDCのデュポンサークルで友人と待ち合わせて
マサチューセッツ・アベニューで食事したこともあります。
僕っていったい何者?…って感じですね(^^;
決してスパイとか殺し屋じゃありませんよ(笑)
>譲さま
 私信でお伝えしたとおり、自分のHPでネタバレ有りの
 コメントを書くつもりですが、なかなかまとまった時間が
 とれずにいます。書けたらまたここでお知らせします。
 ひとまず「自慢」がしたくなって、
 ご報告だけカキコみました。すみません(^^;

…で、書きたいことはいっぱいあるんだけど、現在に至る、
というわけです(;_:)
オランダ留学組の榎本武揚、何かというとすぐにコーヒーを
飲みたくなるとこなんかも、好きです♪
16世紀以降のオランダ史と日本史とインドネシア史を
リンクさせた「歴史」の教科書を作れば、日本史も世界史も
必要ない、というのが最近の僕の持論。
だいたい歴史の細目なんてどうせ研究者間でも評価が定まらない
のだから、特に遺跡の発掘ひとつでコロコロ変わる憶測の古代史
なんて授業でやらなくてもいい、と思うわけです。
欲しいのは歴史のベーシックなリテラシー能力、
とりわけ、私たちは今どこにいるのか、どういう経緯でそうなったのか
という最低限の“申し送り”だけはしておこう、ということ。
何故オランダ、日本、インドネシアなのかは、わかる方には自明だと
思いますけど、そのうち参考書誌なども交えて、そのメリットを
説明しましょう。

というわけで、『武揚伝』関係についても書きたいのですが、
それもまた、次の機会に(^^;

…それにしても、オランダ・ナショナルチーム、
アイルランドに負けてしまいましたねぇ…、
あのオレンジが来るならスタジアムに観に行きたい、
と思っていたのですが。そんな話も含めて、また。


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