「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月01日(土) |
あらすじ、『キリンヤガ』、神の魚 |
題:80話 鮭が来る川20 画:虻 話:カムイチャプ(神の魚)の記憶
豊饒なるアルカディアの甘美な記憶。 ジェームズ・A・ミッチェナー『センテニアル遙かなる西部』 (河出書房新社)の序盤は、コロラドの大地が形成される、 地質学的年代の記述からはじまり、恐竜や哺乳類の時代を経て ようやくヒトが登場する。そのあたりの、自然の恵みで飢えと 無縁な暮らしの叙述の甘美なこと。
池澤御大が「年代記=クロニクル」をやるのならば、思い切り 構図を地質学的あるいは天文学的時間にまで引き絵で見せたり 近景に戻ったりしてみても、魅力的なのではないか、と思う。 連続的時系列の構成だと、まだ決まったわけではないのだし、 むしろ不連続的で視点も移り変わるのだから、これからでも そういう視点は持ち込みうるだろう。 なにしろ主役は「静かな大地」なのだろうから!
さて、あらすじ引用。
≪あらすじ≫大正9年夏、由良は夫の長吉 と静内を訪れた。亡くなった伯父三郎や父親 志郎の少年時代を、アイヌの少年オシアンク ルいまは秋山五郎に聞くためだ。馬の名人だ ったために日露戦争に徴用され足をけがした 五郎は、牧場の賄いとして働いている。和人 が差別するアイヌと仲よくしたことが宗形兄 弟の苦労の始まりだったと五郎は語る。
ひきつづき話題は五郎さんの「キツネのチャランケ」系な述懐。 「神のくださる食べ物」という、「物語」的自然観が描かれる。 で、8月31日「物語をやっつけろ!」の甚だ消化不良な内容に、 突っ込みメールを頂戴しました(笑)
「今日の日記・・・『キリンヤガ』?」
…なるほど、それ、読んだ人にはなかなかわかりやすいかも。 マイク・レズニック『キリンヤガ』(ハヤカワ文庫SF)ですな。 『キリンヤガ』の内容、というか文明論ディベート大会的強度は 置いておいて、面白かったのは見取り図をわかりやすく示す手際。 「物語」としてモデルを提示することが芸になっている。 未読の方は、ぜひ♪
あと前回書きながら想定していたのは、インカ帝国末期の神官たち の情報操作ミス。スペインの侵略者たちを「神」にしてしまった、 あの彼らの致命的な誤謬。 「神話」は結構容易に変わりうる。よく言えばダイナミックなもの。 そして何百年の単位の時を超えて、平気で甦る。「日本人」という まとまりを実体視できる向きにとっての対アジア妄想と同じように。 “エクゾチシズム”は美学的趣味としてはまったく嫌いじゃないが、 それと知った上で、他者との交通空間に出てきてほしいものだ。
問題は、ある種そうした文化相対主義的な紳士協定ともいうべき 状況の中に、天然のバーバリアンが侵入して来たらどうするか という、歴史の中で幾度となく繰り返された問題だろう。 『静かな大地』にも、その“現場”のひとつが描かれていく。
それにしても…。 鮭、うまいんだよねー、粗塩して天日干しして燻製にしたやつ、 切るとサーモン・ピンクで(<そりゃそうか 笑)、生ハム みたいな味がして…。スモーク・サーモンとも違う味♪ 御大もどこかで言ってたけど、冷蔵保存技術が発達して食材が いつでも入手できるようになっても、ものによっては旧来の保存 技術によって加工されたもののほうが、美味いということがある。 ホタテの冷凍ものの刺身も少しならいいけど、干し貝柱を使った 中華メニューのほうが偉大だ、みたいな感じ。寿司でサーモンの トロ食べるよりアイヌ式カムイチェプのほうが美味かったし。
さてさて、味覚の秋はまだかなぁ♪
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