「静かな大地」を遠く離れて
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2001年08月30日(木) 台風のあとさき

台風の日から一週間強ばかり、茨城で労働してました。
普段あまり太陽に当たらない生活をしてたのに、急に炎天下で
かけずりまわって酷い日焼けの仕方をしてしまった(^^;
ほとんど連日3〜4時間睡眠を余儀なくされていたのでなかなか
シンドイ時間でしたが、普段より空だけは沢山見れて良かった。
個人的なマニア目線では、間宮林蔵の生地・伊奈町へ初めて行けて
うれしかったです。「間宮林蔵もなか」買おうかと思いました(笑)

で、またまとめ書きです(^^;
書くこと、書きたいことはいっぱいあるんです。
まとめ書きにしちゃって一番勿体ないのは、自分個人の日々のネタと
『静かな大地』から喚起される北海道の記憶ネタが共振を起こして
自分でも思いがけないくらい話が展開する妙が味わえないこと。
日付毎に遡って書いていく方法もあるのですが、そうすると際限なく
更新に時間がかかるので結局「宿題」がたまる一方なのです。う〜む。
ちゃんと読んで下さって、面白いと言って下さる方もいらっしゃるので
もっと毎日書きたいんですけどね(^^;

そいうわけで、今回も日々の個人ネタはなしで、コメントのみ。
明日あたりは少し落ち着いて、“歴史とフィクション”をめぐって
『武揚伝』や時代劇ドラマをネタに長いのを書けるといいな。

8月22日
題:70話 鮭が来る川10
画:蚊
話:「わしに会いに来たなどと町で言うな」

差別。支配。略奪。虐待。
♪I'm angry I'm so angry この気持ちは消えない
I'm so angry  (by 佐野元春)…と言ったところか?
人類史の過度にネガティブな部分と、どうつきあえるのか、
眉間に皺を寄せて不機嫌に過ごすのではなく。
難儀な世界ではある。
こんな世界を創った「神」がいるなら、そいつが一番悪党だ。
絶対ヤツの裏をかいて幸福に過ごしてやる、とか言ってみたり、
なんかティーンネイジャーのころの気分はそんな感じだったナ。
今はもう、老後っていうか、枯れてる感じ(笑)

8月23日
題:71話 鮭が来る川11
画:カヤツリグサ
話:五郎側から見た初めての邂逅の日

「いろいろなことが入り組んでいる」そして、
「混じって、入れ違って、散らかっている」から、
「ひとつのことを言うのにたくさんのことを言わなければならない」
…というのは、正に「物語」の汀に立つ発話者の実感だろう。
当事者の数だけ“言い分”が存在する。
それを超越した「歴史」などというものが簡単に描けるわけがない。
まず、その認識を深く持つこと。
せめてそれから歴史教科書の議論など始めるべきではありますまいか?
ま、歴史教育なんてものが無前提に必要なのか、という議論もあろう。
そのへんも視野に入れた、高等学校歴史教科書の私案がある。
あの議論に関して言えば、「みんな対案出して話そうよ」ってのもある。
そのうちここでそのアイデアについて書きたい。

8月24日
題:72話 鮭が来る川12
画:蜻蛉
話:「こういう人なのよ、わたしの旦那さんは」

出ました!新渡戸稲造先生。札幌農学校2期生で、
日本の近代と北海道を考える際のキーパーソンの一人。
アメリカ、英語、植民地政策、教育、いろんな分野での
「啓蒙家」のパイオニア。
『武士道』で対欧米に日本イメージをも「啓蒙」した勤勉家。
この中に出てくる米沢藩の上杉鷹山を「尊敬する日本人」として
挙げていたのが、誰あろうジョン・F・ケネディだったりする。
地球物理学と雑誌『ニュートン』で著名な竹内均先生のような
庶民のための人生論風の読み物の仕事でも有名。
『自分をもっと深く掘れ』とか、そういう自己啓発本ですね。
評伝は、杉森久英『新渡戸稲造』(学陽社人物文庫)とか、
星新一『明治の人物誌』(新潮文庫)が入手しやすい。
…新渡戸の影響を受けた由良さんの旦那、どんな人物なのか楽しみ(^^)

8月25日
題:73話 鮭が来る川13
画:カタバミ
話:由良の知るアイヌたちの命名の由来話

命名のひとつひとつに共同体が共有する「物語」がまとわりつく、
そういう人生のありようが、ここには在る。
ひとまず現在の我々とは異なる生のカタチを、興味を持って見る、
それを価値判断の俎上に乗せるのは、まだまだ先で良い。
そこで事を急いてはならない。

8月26日
題:74話 鮭が来る川14
画:葡萄の種
話:まっすぐな道を作った和人たち

大きくてまっすぐな道は、軍事力を迅速に往来させる統治装置。
秦の始皇帝は度量衡を統一して車の車輪の間隔を決めたというくらいで、
文明とは広域支配の諸手段であり、「ローカル」の反対概念だ。
それこそ北海道には人体スケールを超えた、長い長いまっすぐな道がある。

8月27日
題:75話 鮭が来る川15
画:熊蜂
話:「和人を見たらまず隠れろと言われて育った」

「昔々、アイヌが和人と戦って、アイヌが負けたことがあったという」
というのは例のシャクシャインのこと。「だまし討ちにあった」という
のだから間違いない。
ヤマトタケルの伝承なんかからして、民族の英雄が「だまし討ち」を
得意技としていたことを臆面もなく描くくらい、和人の特徴なのか?
不可解なことではある。

8月28日
題:76話 鮭が来る川16
画:蟻
話:「アイヌと仲がいいのは、うちが特別でしたね」

「土人学校」については、そのうち書きたいことがある。
(それにしてもインプットメソッドのATOK君さえ、ドジンを一発変換
してくれずに、“口ごもる”風情なのが何とも言えない(^^;)
明治末期に洞爺湖にほど近い虻田に作られた、ある土人学校の創立者、
小谷部全一郎のことである。
『成吉思汗ハ源義経也』という奇書で、日本近代を幻惑した張本人
として名前を記憶している方も多いだろう。
高木彬光『成吉思汗の秘密』(角川文庫)は滅法面白い本だけれど、
さらに見取り図を描くならば長山靖生『偽史冒険世界 カルト本の百年』
(ちくま文庫)の「第一章 どうして義経はジンギスカンになったのか?」
を読まれたい。日本近代が北海道経由で大陸に向けて孕んだ迷妄が伺える。
ともかくこの妄説の発信源となった人物が、アイヌのための学校を建てる
べく奔走した前半生を持っていた、という事実はヤケに興味深い。
誰か新書で書いて〜!(<また他人まかせかぃっ!! 笑)
#ちなみに長山氏の本、おトクよ♪なんせ第二章は「南島」ネタだし(^^)

8月29日
題:77話 鮭が来る川17
画:タンポポ
話:「三郎志郎を頼りにアイヌに混じって暮らすのだ」

恐るべし宗形乾の深慮遠謀、やりおるなムナカタ・ケン!
…って、よくわからないノリですが、この祖父の特殊性というのが、
物語の要請上で無理に創作されたものなのか、御大の家系なりにそれなりの
モデルがいたのかどうか、というのは少なからず興味があるところ。
いやね、100%創作だとしたら、「なにゆえ彼だけが…」というとこの
“手当て”が今まで描かれてるとこだけだと、一寸弱いのではないかと。

8月30日
題:78話 鮭が来る川18
画:ヤゴ
話:「他の方々からは変わり者と思われていたようです」

それにしても「ドジン」「ドジン」と連呼してる朝日新聞連載小説、
ずっと読んでなくて、ある朝なんとなく目を止めた読者はドキッとするかも(^^;


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