「静かな大地」を遠く離れて
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2001年08月21日(火) |
夏休みの宿題 &またトウキョウ離れます |
ハイサイ、ハイサイ、ハイサーイ!!(<恵尚かっ?!)
だめです。帰国後、更新する暇がないまま本業フル稼働に 突入しそうで、ひとまず本来の『静かな大地』日録としての課題を まとめて提出しておきます。
この「静かな大地を遠く離れて」の持ち味であるところの、 “遠く離れて”強引に与太話を愛してくださる皆さまには 申し訳ありませんが、またしばらく更新できません。 来週半ばには出先から戻れると思います(^^;
あ、オランダ関係で考えたことで書こうと思ってることは沢山あるけど 「ギリシアの誘惑1999」みたいな旅日記は書いてませんし、 書く気もありません。 だいたいあの日記の中の僕は、嘘っぽいので嫌いなのです。 旅先で他人と仲良く話したり、猫や小さな女の子に好かれたり。 あれを「自己紹介」として読んでいただくのは詐欺行為に等しい(笑) …そう話した相手に「騙したの?!」と詰め寄られたりしましたが(爆) というわけで(どういうわけだ)日記形式で旅のお裾分けなんてことは いたしません、悪しからず(^^;
では、まとめ書き、行きます♪
8月4日 題:53話 最初の夏23 画:豌豆の蔓 話:コミュニケーション・ツールとしてのエキムネクワ
文字通りの「道具」が、この場合は子供同士のコミュニケーション の手段となっている。モノとか身体とかを介在させることで とりあえずお互いの存在の“共有点”みたいなものを手繰り寄せる、 そういうことがある。男の子のキャッチボールみたいなもの。 ひとまず「なかなか不自由なる身体というものを心地よく操る」 という共通の課題に取り組む同志になれる手っ取り早い手段。
8月5日 題:54話 最初の夏24 画:干し無花果 話:初めてのチセ(=アイヌ式住居)探訪
室蘭に住んでいたころ、白老のアイヌ民族博物館の野外展示で チセに入ったことがある。囲炉裏の煙が屋根に吸着して耐久性と 防水性が高まるとか。「家相」じゃないけど、いろいろ方位にも 言われがあって窓の位置なんかにもひとつひとつ理由がある。 建築は機能と同時に、精神の住み処でもあるのだ。
8月6日 題:55話 最初の夏25 画:鈴掛の雄花 話:あなたにもデキる!エキムネクワの作り方
なんか御大らしい、「男の子」テイストなこだわり方の描写に 感じ入った要約をしてみました(笑)
8月7日 題:56話 最初の夏26 画:桜ん坊 話:「本当にいいことばかりの夏だった」
そうなんです。あとにどんなツライ記憶が待っているのか、 聞きたいような聞きたくないような、 それくらいに眩しかった少年たちの夏。
8月8日 題:57話 最初の夏27 画:スグリ 話:「あの夏のいちばんの遊び道具は言葉だった」
これも御大らしいね、萱野茂さんのアイヌ語辞典が大好きだし。 イヌイットやハワイイやウチナーの言葉も興味深いけれど、 オランダ語を学んだ江戸から幕末にかけての多くの日本人たちも 命がけでコトバを“遊び道具”にしていたのかもしれない。 タイモン・スクリーチ氏の著作が面白そう、ほとんど読んでないけど。 新書出しませんかね?(笑)
8月9日 題:58話 最初の夏28 画:桃の種 話:「気がつくと、お互い話せるようになっていた」
500語どころか、50語知ってるだけでも、その国を旅する上では ずいぶんと心丈夫なものです。ドイツ語やフランス語は、知らないと 言えどもだいたいそれぐらいの単語は何となくわかったりはする。 ま、いざとなれば英語も通じるし。サハリンに行ったときは、本当に 読むことも聞くことも出来なくて通訳さんなしではダメでした。
8月10日 題:59話 最初の夏29 画:草の根 話:浄瑠璃で不安をまぎらした淡路の人々
『菜の花の沖』の高田屋嘉兵衛を思いだしますな、淡路と浄瑠璃。 特にドラマでは印象的に使ってました。
8月11日 題:60話 最初の夏30 画:浜茄子の実 話:殿様がいなくなって意気消沈の大人たち
藩主の個性にもよったのでしょうが、維新負け組の開拓団はどこも 大変だったんでしょうねえ。最大の負け組が、徳川家。 それこそ榎本武揚の「革命」が成功していたら、どんなことに なっていたのだろう?いろんなことが考えられるテーマです。
8月12日 題:61話 鮭が来る川1 画:ベニシジミチョウ 話:大正九年夏、結婚して夫と静内を訪ねる由良
連載開始当初から僕が最もこだわっていた、話法と時制の変わり目! まだいろんな可能性がありますね、父の話を回想するかもしれないし。 なので明治末のハレー彗星は、まだ捨ててないのだ(笑) っていうか、ハレー彗星が来たときのことを回想すればいいのか。
8月14日 題:62話 鮭が来る川2 画:コガネムシ 話:静内まで鉄道、そして馬車の道程
いまJR日高線でトコトコ行っても、なかなか味わい深い旅が出来る。
8月15日 題:63話 鮭が来る川3 画:ウスバシロチョウ 話: 新婚さん、いらっしゃ〜い、静内へ
静内の町もずいぶんウロウロしたなぁ。由良さんと同じ場所を歩いたかも。
8月16日 題:64話 鮭が来る川4 画:カミキリムシ 話:ホース・トレッキングで五郎おじさんを訪問
北海道に6年住んでたけど、滅多に馬には乗らなかったな。 でも結構、馬を見たり触ったりする機会は多かった。 今回の休暇でも北海道で牧場を見、オランダでも見た。 馬のたたずまいは何ともいい、草食動物って感じで(?笑)
8月17日 題:65話 鮭が来る川5 画:セミの抜け殻 話:「大きくなったなあ(泣)」
まんま『ちゅらさん』の恵文さんが、例の“飲み比べ”シーンで 恵里と文也クンに言った台詞。時間を越えた大きな感慨。
8月18日 題:66話 鮭が来る川6 画:クワガタ 話:「馬の国」の懐かしい匂い
「馬の国」の匂い、僕も懐かしいです。 半田牧場って御料牧場のことではないのかな。 土地を奪われ、対外戦争に動員され、日本の「近代」が「辺境」を 変えて行く、その前線通過を人生で被った世代。
8月19日 題:67話 鮭が来る川7 画:エノコログサ 話:昼ご飯を食べつつお互いの近況報告
熊狩りの名人だったに違いない五郎。「猟にはもう行かない」と いうくらいだから、以前はずいぶん行っていたのだろう。 由良さんが五郎の話を聞きたがる情熱、「最初の夏と最初の冬」 のこと、「なんだかとても大事なことのような気がして」という 切迫した気持ち。この大正9年への転換は、効果的で魅力がある。 このあとどんな語り口で「最初の頃」を重層的に立体的に魅力的に 描いてくれるのか、期待したい。
8月20日 題:68話 鮭が来る川8 画:セミ 話:「あの頃は、昔は、山も里も気持ちがよかった」
ついに「アイヌの語り」を「創作」としてやろうとしている御大。 これは筆力と勇気のいることだと思う。なまじっかノンフィクションの 体裁でやるよりも、もっと困難で厄介な仕事だろう、ムムム…。
8月21日 題:69話 鮭が来る川9 画:西瓜の種 話:「アイヌの話など聞いてもしかたがないだろう」
前節まで父のモノローグで進んできた『静かな大地』だが、 きょうの由良さんと五郎おじさんのダイアローグは緊張感がある。 引き込まれる。 この小説、まだまだ先は長いけど、結構成果を収める気がする。 つづきが、楽しみだねぇ(<おばぁのナレーションかぁっ?!)
では、みなさま、またの機会まで、ごきげんよう(^^)
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