「静かな大地」を遠く離れて
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2001年06月14日(木) 蕎麦と十勝と英文学

題:3話 煙の匂い
画:蕎麦
話:武断統治と“どうしても我慢できないこと”

きょうは蕎麦ですか(笑)
北海道って生産量としてはかなりの蕎麦大国なんですよね、たしか。
地味の痩せた土地でも育つせいなんだろうけど。
日高のあたりは印象ないけど上川地方の幌加内なんかは有名な産地だし。
JR深名線っていうローカル線が90年代半ばまであって、
札幌と旭川の間の深川から朱鞠内湖のほうを通って名寄まで走ってた。
幌加内はその途中にある町だったと思う。
鉄道マニア的な興味はないのだが、廃止直前に乗ったことがある。
このへんになると『日本風景論』の世界だ。
『日本風景論』(「100冊」の026)はウルトラマンなどの批評で
有名な切通理作さんと『棄景』の写真家・丸田祥三さんの対談本で、
昭和39年生まれの二人が風景の記憶から時代感覚とその変容を
読み解いていくとても面白い本。

「すずらん」じゃないけど北海道って鉄道大国の感じもあったりして、
産業上の立地で引かれた線路がどんどん廃線になって行ったところ。
もうひとつ廃線路で印象に残ってるのは、幸福駅で有名な広尾線。
昔札幌から日高の浦河町へ出かけて、その足で襟裳岬を回って北上して
帯広へ行ったことがある。仕事の出張でたまたまそうなったんだけど、
路線バスなもんだから時間かかってしょうがなかった。
既に廃線になっていた駅だけがバスターミナルみたいに使われてる所が
あったような朧気な記憶がある。しみじみと寂しくて味わい深いのね(^^;

帯広から新得町とか鹿追町とかウロウロしてたら、あのへんも蕎麦の産地
らしくて結構よく蕎麦を食べたなぁ。もともと和麺ものでは蕎麦派だし。
僕の両親は讃岐=香川県の人で母の実家がウドンの製造卸をやってるから
逆に外では舌が肥えていてウドンは食べられなかったりするのもあり、
あと日本の成人男子としては例外的にラーメンというものを食べない人間
なので(たとえば過去5年で食べた回数はゴーヤーチャンプルより少なく
グヤーシュ・スープ@ハンガリー料理よりは多いか、という感じ(^^;)
美味い蕎麦は大好き。信州戸隠に蕎麦を食べに行ったこともある(^^)

ちなみにこのあたりで出てくる地名、坂本直行さんから池澤御大の生誕地
からミチオ系の聖地・然別湖@氷のミュージアム写真展への流れですね。
で、いきなり“十勝つながり”で下記のサイトを強力推薦。

http://www.obihiro.ac.jp/~engliths/index.html

こういうことをキッチリやってくれる人がいてくれるのならば僕がBBS
で愚にもつかないカキコミして理解されなずに孤独になる、みたいなこと
ももはや必要あるまい、と思ったりしたのはホントです。
この先生、僕と同世代の英文学者の方なのですが、「100冊」にも妙に
高山宏氏だの巽孝之氏だのアヤシげな英米文学者の名前が散見されたり、
川村湊さんや小熊英二さんの名前があったりするところからしても、
北海道の表象イメージの話なんかをされてるところなんかももろ関心が
重なるのですが、何よりこの方は信頼できる池澤夏樹読者なのです。で、
彼の『花を運ぶ妹』へのネガティブな評価に「言いたいことはわかる」
とか思いながらも、御大の抱えてこられた必然性、辿られてきた軌跡の
のっぴきならなさ、みたいなものを切り捨てる気にもならないのが僕の
ポジションだったりします。そして例えばこの先生のような読者への
「回答」になりうるのが今回の『静かな大地』だと思いたい。

御大はかつて沖縄移住は直接的に沖縄に材をとった小説の形になるのでは
なくて池澤夏樹という人にコンピュータの例えで言えばOSレベルで作用
するのだ、みたいなことを書くか話すかされていたが、ある意味で御大の
沖縄移住の“小説家としての野心”が初めてもっともストレートな形で
表出されるのは、『花を運ぶ妹』でも『すばらしい新世界』でもなく今作
になるのではないかと願っている。
だってなんとなく、沖縄を描くことの不可能性を目の当たりにしつつ歳月
を過ごしていると、そのプレッシャーがうまく作用して、北海道のご自身
の祖を辿るという「宿題」がよく進みそうな気がする(笑)
僕はずいぶん昔に北海道の構想をインタビューで語られているのを読んだ
ことがあるけど、まだまださらに先のことだと思っていた。
というかオキナワを描けてから、老後のお仕事、あるいは司馬遼太郎の
ハンガリーのような“最後の仕事”としてイメージされているのかとも
思っていた。でもそうではなかったようだ。
長期スパンではすべてが計算ずくというわけではないだろう。
この時期に『静かな大地』に取り組むことの意味。これをやらないと先へ
進めないのだ、という感覚。
オキナワと北海道、南と北は通底している。
アマバルで『萱野茂のアイヌ語辞典』とか読みながら百数十年昔の北を
想うことの至福の贅沢。それを少しでもガメツク共有したいものだ(笑)

なんか筆が滑らないなぁ、北海道のこととなると記憶の絶対量が多すぎて
まとまらない。すべてがすべてとリンクして野放図に広がってしまう。
まさに僕という人間に北海道は“OSレベルで作用”したわけですな。
う〜、佐々木譲さんと榎本武揚とラフカディオ・ハーンの話も書きたい(^^;
あと北と南の政治学、明治初年の薩摩人の北海道支配とウルトラマンとか、
三題噺みたいなのもいくらでも出てきそう。
ま、おいおいやっていきます。


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