ナナとワタシ
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2005年02月24日(木) |
縁側で語る、子供たちとの出会いの日・その1 |
掲示板で、「子供」に関する話題が出まして、あらためてナナの子供たちについて思いを巡らしてみたりいたしました。 そこで今日は、ナナの子供たちに出会ったときのことを、年寄りが縁側で猫に話しかけるような気持ちでとりとめもなく書いてみようかな、という気持ちになりました。 しーーーばらく子供たちに会えていないので、その欲求不満の解消も兼ねさせていただきます。
ぽかぽかぽかぽかぽか。 <日当たりの良い縁側にいるかのような効果音で気分を盛り上げ中
ナナとつきあいを再開し、しばらくはメールやファックス、電話だけのやりとりで。 会うことはほとんどありませんでしたが、ナナが勤めていた派遣先が電機店だったので、わざわざ用事を作ってはちょろっと話したりということをしておりました。 当時はそれだけで、汗びっしょりになっていたものです。とにかく恥ずかしくて恥ずかしくて。
「うちに遊びにくればいいのに」 とナナが誘ってくれるようになりましたが、ワタシは二の足を踏んでおりました。
ナナの子供たちに会うのが怖かったからです。 パパに会うのも怖かったのです。 それらはとっても「リアル」なもので、ナナに対して空想と妄想だけで十何年を過ごしてきてしまったワタシにとって、「ナナを取り巻く生身のリアル」というものは、ワタシを臆病にいたしました。
「ワタシの中の」ナナ像を壊したくない、というのがまずありましたし。 それに、パパや子供たちに好かれなかった場合のことを考えると、もうどうしたらいいのかわからなくなりました。
ワタシは人当たりが良いですし、その場を適度に良い具合に盛り上げる才にも長けております。 いやらしいほどです。 ですが、こと、この件に関しては臆病でした。嫌われたくなかったし、嫌いたくなかったのです。 さらに、なんとなくなんですが、ナナの子供たちには、ワタシの上っ面の外交術なんて通用しないだろうと思いました。 心に思っていないことは見透かされるでしょう。 怖い。
が、きっかけは忘れましたが、ナナの家におじゃますることになりまして。 当時長女ちゃんは5年生、次女ちゃんが2年生、末子ちゃんは2歳でした。
「子供たちに会うのが恥ずかしければ、2時頃には帰るようにすればいいじゃん。 ただし、末子はいるけどね。まだ赤ちゃんだから、怖がらなくて大丈夫だよ(笑)」
ナナがそう言ってくれたので、その段取りでおじゃますることに。 ワタシは元来、子供は好きですので、2歳の末子ちゃんに会うのはちょっと楽しみでした。 もちろん、会うのがいちばん怖かったのは、5年生の長女ちゃんです。 ナナの話を聞いていると、相当ませていてナマイキそうですし。
ナナの指導通りに、上のふたりがまだ学校から帰ってこない時間を見計らって、ナナ宅へ。こそこそと。
末子ちゃんを見てびっくりしました。 ナナと顔が同じなんですもの。笑えるほどです。
そうしたら、なんだかもう、嬉しくて嬉しくてですね。 ナナもきっと、こんな顔した子供だったんだろうな、とかいう嬉しさももちろんだったんですが、好きな人の遺伝子を持った人間、というだけで、ほかの人間とは違う、特別な生き物のように感じました。 なんてかわいいんだろう(ぶーちくりんですけど)。なんて愛しいんだろう(ナマイキですけど)。 そして、そう思えた途端、まだ会ったこともないパパに対しても、心の鎧のようなものがなくなりまして。 すごく偽善ぽくてアレなんですが、パパに感謝の気持ちでいっぱいになったのでございますよ。
末子ちゃんはすぐにワタシになついてくれまして。 まだしゃべれませんでしたが、「ママ」「パパ」は話せて、あとは言葉にならないながらも自分の感情や希望・不満を伝えるのは十分できておりました。 たまにナナの通訳が入って、そんな会話も楽しくて。
「かわいいなあ」と、心から呟くじょりぃ。 「あたりまえじゃん」 憎たらしいナナ。
2歳ですから、すぐに眠くなっちゃいます。 ママに抱っこされて、むにゅむにゅしている末子ちゃん。 末子ちゃんを見つめるナナの目は、日頃のクールなポーカーフェイスを崩さないようにしていても、いつものそれとは全然違います。
「母子像」というものは、画家にもよくとりあげられるテーマでございますが。 ワタシはこのとき初めて、それを描きたくなる画家の気持ちがわかりました。
泣けてくるほど、幸せだったのでございます。 ナナが末子ちゃんを抱っこしている、末子ちゃんを見つめているその姿を見るだけで、今まで感じたことのない感情が、みぞおちのあたりからわき上がってきたのです。
ワタシの心は末子ちゃんになって、得も言われぬ幸せな気分に浸っておりました。 ワタシの母親も、きっとこのようにワタシを愛してくれたんだろうな、と、なんだか自分に自信が持てたような気がしたのです。 一種の退行現象なのでしょうが、親に対してさびしく感じ、ワタシの中にわだかまっていたものたちが、ゆるゆると溶かされていくような感じでございました。 ワタシはナナの腕の中で揺られておりました。
今までにも友達とか妹で同じ光景を目にしていたはずなんですが。 このような感覚になったのははじめてのことで、驚きました。 やはり「ナナだったから」起きた現象なのだと思います。 が、理由はわかりません。 母親的なものを求めてナナを好きだ、と思ったことはなかったですし。
ただ、後になってわかったのですが、ナナが長女ちゃんを産んだ当時の写真の顔が、ワタシの幼少時の母の面立ちに似ていて驚きました。 何か、無意識のうちに、ナナにそういうものを求めているのでしょうかワタシ。
ナナが末子ちゃんのおでこに、すごく自然にキスしました。 においをかぎながら、そのまま「むーーーっ」という感じです。 ナナもカッコつけなので、人前で(しかもそういうことに対して「けっ」とか言いそうなワタシの前で)それを行ったことにビックリしつつ、そのキスから感じられる深い愛情にくらくらいたしました。 恋人同士のキスとは全然比べものにならない、 なんて言ったらいいのかわかりませんが とにかくカルチャーショックというか、愛情ショックでございました。 ワタシは自分でもわかるほど、うっとりした顔でふたりを見ておりました。幸せでした。
それからは、末子ちゃんをかわいがるナナを見たくて、かわいがられている末子ちゃんを見たくて、ナナ宅へたまにおじゃまするようになりました。 末子ちゃんが寝ているとワタシが激しくガッカリするので、ナナに笑われたほどです。 末子ちゃんが「じょりぃちゃん」と呼べるようになったときなどは、もう本当に嬉しくて嬉しくてですね。
末子ちゃんとの出会いについてはこんなところです。 長くなってしまったので、上のふたりについては次回へ。
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