ナナとワタシ
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2004年03月03日(水) |
よーく考えてみよう(欽ちゃん風) |
前回のナナワタで「気持ちを伝えようかな」と書いたら、掲示板に「言わない方が・・・」というニュアンスの書き込みがちらほらと。 モニタの前でひとりでニヤニヤと笑ってしまいましたワタシ。 そおかー。言わない方がいいのかー。と。 今、これを打ちながらもニヤニヤが止まらない気持ちの悪いワタシ。 どちら様の書き込みも「うんうん、そうだよなあ」と深く頷けるものばかり。 そして、じょりぃごときのために心配してくださるみなさまに、深く感謝しております。
なんでニヤニヤしたのかと言うと。
実はよくわからないんですが。 なんて言うんでしょうね。 「脈のなさ」をみなさまと共有している自虐的な楽しさとでもいいましょうか。 あるいは嬉しいのかもしれません。 去年の今頃は、ワタシ、ひとりでナナのことを悶々と悩んでいたのに、今ではこうして、客観的な意見を言っていただけたり、親身になって(な、なってくれてますよね?)心配してくださったりするかたがいてくださる、ということが。 本当にありがとうございます。ニヤニヤニヤ。嬉しニヤけ。
さて。 せっかくなので、「気持ちをナナに伝える」ということについて、もう一度ぢっくりと考えてみようと思います。 K先生の死のショックで、感情が高ぶってしまっているフシもあるかもしれませんからね。 ちょっと自分を見つめ直してみます。
そもそもは、「気持ちを伝えたところでナナの負担になるばかり。言わないのが真の愛」というのが、ワタシのナナに対するスタンスだったわけです。 どんなにナナのことを好きでも、相手の負担や足かせになる以上、気持ちを伝えたいというのはワタシの単なるエゴである、と。 声高らかに宣言していたじょりぃ。
今でも基本は一緒です。 だいたい、このまま「気持ちが伝わっているようないないような」でいたほうが、波風も立たないし、ひとりで勝手な妄想にふけることもできます。 「ホントはナナだって、ワタシのことが好きなはず☆」てな具合に。 きょんに対する罪悪感も、今のままならそう感じずにいられますしね。 「もっと感じろ!」とおっしゃるモラルにあふれるかたもいらっしゃるとは思いますが、そこはそれ。 ワタシの罪悪感なので、ワタシの基準にならざるを得ないわけです。あきらめてください。 ワタシがどんなにモラル欠如な最低人間であろうと、今も一緒に並んで「勝手に改造」というアホマンガをふたりでゲラゲラ笑いながら読んでいるこの生活を、そしてきょんのことを、ワタシが深く愛しているのは事実であります。 そして、ナナのことをずっとずっと思い続けているのもまた事実。 人生が楽しくてしかたありませんよっこらしょと。
で、ナナです。 「気持ちを伝えたところでナナの負担になるばかり。言わないのが真の愛」という信念。 これがここのところ、「はて?」と考え直すことが多くてですね。
ナナが何度かワタシに言ってくれた「何を言われても、あたしはじょりぃのこと負担に思ったりしないよ」という言葉を、ワタシは「売りかぶせて」いたんじゃないかなと。 売りかぶせって何?という感じですが。 「買いかぶり」の反対の言葉が思い浮かばなかったので、作ってみました。売りかぶせ。
要は「そんなこと、言う前だからそう言ってるケド、実際『好きだ』と伝えられたら負担になるに決まってるじゃん」と思っていたということです。
しかし、ナナとのつきあいが深まるにつれ。 一緒に過ごす時間が増えるにつれ。
この人にとっての「負担」とか「後悔」とかって、そういうことなんだろうか、と思うようになってきたのです。
ナナは両親を亡くしているわけですが、折に触れ「もっと話を聞いてやればよかった」とか「あたしにできることがあったはずなのに、目を背けていた」ということで後悔を口にしております。
両親という、大切な存在と同じ土俵に上がるつもりはないのですが。
もしワタシが死んでしまったら、ナナに同じ後悔をさせてしまうかもしれない、と、最近思うようになりまして。
ナナはおそらく、ワタシがナナに「友情」以上の好意を持っていることは気付いていると思います。 「中学の時からずーっと思い続けている人」が自分である、というところまでは思っていないかもしれませんが。 ワタシがナナに対して、ひとかたならぬ特別な感情を持っている、ということは察していると思うんですよね。
今のこの状態というのは、ナナにとっても、居心地の良い状態かもしれません。 自分が憎からず思っている相手に「この人あたしのこと好きなのかな?」と思いながらつきあっていく、というのは普通に考えても気分の良いものな上に、ナナは何事によらず「手前感覚」の好きな人です。 お互いに気持ちを伝え合うまでが好き、エッチも行為そのものよりそこに至るまでのドキドキが好き、といった具合の手前感覚。 「じょりぃがアタシに気持ちを伝える寸前で止まっている、今のこの状態」は、彼女には楽しいものではないかという気がするのです。
ワタシも今の状態は、非常に自分にとって都合のいい状況です。 気持ちを伝えたわけじゃない、だから、悪いことしてない。 パパのことも子供たちのことも裏切ってるわけじゃない。 きょんのことだって。 てな具合に。
ナナにとっても、ワタシにとっても都合のいい、今の関係。
なんというか、ワタシとナナの関係って、ひとつのラインをクリアしたんだと思うのです。 もうお互い「ねえ、私のこと好き?気兼ねなく誘っていいの?なんでも話していいの?」と疑うことなく、お互いがお互いを必要としているという自信と信頼を持つことができた、というライン。
それはそれで一仕事終えたわけですが(ここまで来るのもそれなりに苦労したわけですし)、今っていわゆるぬるま湯状態です。 「このままでいいじゃん。少なくとも、致命的なケンカでもしないかぎり、ずっとナナと『特別な友人』として側にいられるんだし」という気持ちが私の中に生まれております。
もちろん、それはそれでいいんですが。 別に安いドラマみたいに、わざわざやっかいな状況を作り出して話を盛り上げる必要もないんですが。
そこにK先生の死です。 K先生は、ワタシがどんなにK先生を慕い、尊敬していたか、きっと知らないで亡くなってしまいました。 K先生にとってはなんてことないことかもしれませんが、ワタシは知ってほしかった。 ワタシには「なんてことある」ことだったのです。 言えば良かった。会えば良かった。 こういう後悔って、ワタシしたことなかったんです。
初めての後悔を経験し、
ナナと、ホントにこのままでいいの?
と、考えてしまったのです。
ワタシがナナに気持ちを伝えることによってその後派生するものは、ワタシとナナに都合の悪いことばかりです。 まずナナは、「じょりぃにそーゆーふーに愛されちゃってる自分」として、意識してつきあっていかなければなりません。 今までのように屈託なく「温泉行ってくるね」と家族に言えなくなるかもしれません。 相手は実は、ナナを相手に目と心をギラギラさせている人間なんですから。 子供たちに「じょりぃちゃんて好きな人いないのかなー」なんて訊かれた場合に「う"」と思わなければいけないかもしれません。 ワタシが落ち込んだりすると、いちいち「あたし、なんかじょりぃのこと傷つけたか?」と思い悩むようになるかもしれません。(今だってその手のことでウザがられているというのに) ワタシはワタシで、今までのように「出掛けようよ、泊まりで☆」と屈託なく誘えずに、常に「下心があると思われたらどうしよう」とビクビクしなければならなくなります。 露出が少なくなって、タンクトップ1枚で涼んでくれるようなこともなくなるかもしれません。(低俗ですかそうですか) 「ワタシの気持ち、知ってるクセに!」と、理不尽な怒りを爆発させるかもしれません。 「ねえ、じゃあ、きょんさんとはどんな関係なの?」と、容赦なく聞き込みをされるのも避けられないでしょう。
おまけにおまけに。 あの小悪魔オンナのことです。
ワタシの前で、わざとパパといちゃいちゃするかもしれません。
やりそうです。やらないはずがありません。あの野郎。
でもまあ、上記のようなことは、考えてみればささやかなことです。
一番最悪なのが、「距離を置かれてしまう」ことです。 とはいえ、最近は、これはなさそうな気もしているんですが。 それでも何もかも今までどおり、というわけにはいかないでしょうね。
でも、もし距離を置かれてしまったとしても。 避けられるような事態になってしまったとしても。
それでも気持ちを伝えないよりはいいのかな、と今は思うのです。 避けられちゃったとしたら、今現在仲良くできていたとしても、所詮それまでのつきあいだということです。 ナナにとってワタシは「リスクを抱えても側にいて欲しい友人」ではない、ということ。 それならそれで仕方ないかな、と。 ただ、それでもワタシはナナを思い続けるでしょう。 それがどれくらいツライことなのか、今は見当もつきませんが。
で、一番「最悪」なのが避けられてしまうことだとして。
一番「厄介」なのが「ナナがワタシを好きになってしまうこと」です。
「ありえないから」って言いましたね?
確かにそうなんですけど。
でももし。もしってことで話を進めさせていただきますが。
もしそうなってしまったら、これは一波乱です。 これは完全にナナを苦しませることになりそうです。 家族に対して罪悪感を持つでしょう。 さらに、きょんだって巻き込まれます。 厄介です。
そして、結果として。
ワタシとナナが一緒になることを選べば、とんでもないことになります。 ナナ家は崩壊です。 じょりぃ家も崩壊です。 これが結果その1。
結果その2。
そうならないように、別れちまうんじゃないでしょうか。 あるいは、「ただの友達」として、お互いの気持ちを封印してつきあっていくか。
なんて明るくない未来なんでしょう。
こりゃやっぱり、告白なんてしないに越したことはありません。
なのに。
以前に比べて、前へ進みたがるワタシ。 次のラインに向かって一歩踏み出したいワタシ。 「伝えておけばよかった」と後悔したくないワタシ。 「じょりぃの気持ちはわかっていたんだから、ちゃんと受け止めるべきだったんじゃないか」と後悔させたくないワタシ。
というワタシどもがわさわさと心の中で行ったり来たりしているのです。
一方、「気持ちを伝えたところでナナの負担になるばかり。言わないのが真の愛」という気持ちも、未だしっかりとワタシの中には根を下ろしております。
さてさてどうしたものかしら。
まあゆっくり考えよう。 というのが今までのパターンでしたが、のんびりしているとみんな死んじまいますからね。 って気付いてしまったじょりぃ。
とりあえず「ナナ優先」体制で、のんびりと焦りつつ、ようく考えてみます。
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