かつて鈴木善幸首相は対外的に全く無名だったため、就任時には
「Zenko,who?」
と言われ、更にこれと言った理由もないのに突如退陣したので、最後には
「Zenko,why?」
と言われたとされる。
今般、所信表明から僅か2日後に辞意を表明した安倍晋三首相が、それを上回る「why?」であることは間違いない。
しかし、そもそも「わからない」と言えば、安倍晋三は何故首相になれたのか、「安倍人気」とはいったい何だったか、ということである。
言うまでもなく、安倍を一気に「人気政治家」たらしめたのは、「北朝鮮拉致問題」の存在だった。
小泉内閣の官房副長官としてこの問題の対応に当たった安倍は北朝鮮への強硬姿勢で名を売り、やがて「ポスト小泉」の1人にまで数えられるようになったのである。
とは言え、たかが当選3回(当時)、閣僚経験もない官房副長官を首相候補にまで押し上げたのは、やはり小泉純一郎首相の存在が大きい。
安倍への「引き立て」は勿論だが、小泉が日本の首相像を「若く、力強いリーダー」というイメージに塗り替えなければ、安倍に脚光が当たることなどもなかったであろう。
ただ、現実の安倍と言う人は、思われていたほど「若く」も「力強く」もなかったのである。
そもそも「若さ」とは、「未熟」の裏返しだ。
従って安倍が万事において経験不足なのは、わかり切った話である。
それでも「若さ」や「未熟」が武器になるのは、古い物をぶち壊していくパワーやエネルギーになるからだ。
ところがその「ぶっ壊す」ことは、既に小泉前首相が役目を果たしている。
また、どちらかといえば安倍は本来温和な調整型の古いタイプの政治家であり、「永田町の反逆児」小泉とは全く正反対のキャラである。
つまり安倍は年齢において一回りも上の小泉より、ちっとも若くなかったのである。
更に安倍は拉致問題での強硬派イメージの見掛けとは裏腹に、実はひ弱な単なる二世(正確には三世)政治家に過ぎなかった。
この点、同じ二世三世でも小泉の場合とは全く異なる。
小泉の父・純也はさほどの大物ではなかったし、しかも小泉自身は初出馬で落選の辛酸を嘗めている。
また、小泉は所謂「三角大福」の派閥権力闘争が最も激しかった時代を経験してきた、百戦錬磨の闘士でもある。
同じ世襲政治家でもボンボンの安倍ちゃんとはわけが違うのだ。
政治の修羅場を潜り抜けてきた小泉の力強さに適うわけがない。
要するに安倍ちゃんは偉大な前総理・小泉の「幻影」に負けたのである。
ところで、安倍の次ぎの総理総裁には福田康夫が有力になっているらしい。
言うまでもなく福田はあの「世界の福田赳夫」の息子である。
安倍晋太郎の息子の晋三よりはましかもしれないが、所詮は親の七光りに過ぎない。
自民党の総理総裁も、随分と小粒になったものである。