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2004年08月27日(金) 「長嶋茶番」とプロ野球が心中した日

昨日と同じ趣旨だが、書きなぐりに過ぎたので、もう少し詳しく書く。

さて、五輪の野球中継で滑稽だったのは、解説の星野仙一だった。
精神論・根性論、そして「日本は勝ちますよ」と何の根拠もない過信と妄想を繰り返すだけ。
普通、サッカーでもバレーでも国際試合の中継の解説は相手国チームや選手の特徴などの情報を把握して語るものだし、またそういう人が呼ばれるのではないか。
だが星野は相手チームのことを何も知らないで喋っていた。知らないはずである。
星野は別に国際事情に詳しいから解説に招かれたわけではない。単に国内で知名度があるから視聴率稼ぎの一助で呼ばれたに過ぎないからだ。
長嶋茂雄を代表監督に選んだのと同じ理由である。つまり、国際大会なのに「国内」のことしか頭にないのである。
その象徴的だったのは、中継での星野の最後の言葉。
カナダ戦終了後、アナウンサーが締めとして五輪後のことを尋ねたら、何と星野は
「選手たちはこの経験をペナント・レースにどう活かすのかが大切」
などと恐ろしく見当違いなことを述べていた。オイオイ、五輪の教訓が、国内のリーグ戦の話なのかよ!
普通、他の競技なら、4年後の北京に向けてとか、世界の中での日本のレベルのあり方云々と言う話が締めに来るものなのに、全く内向きなのである。

実際、五輪の参加競技、チーム、選手の中で野球だけは異次元にいるが如く浮きまくっていた。
例えば、五輪で勝つ目的、それは国のため、自分のため、あるいは応援してくれる人のため…などなど、どの競技でも世界共通であろう。
ところが日本の野球だけは「長嶋監督のため」だったのである。
近代五輪100年の歴史でも、こういう珍妙なモチベーションで出場したのは、われらが「長嶋ジャパン」をもって嚆矢とするのではないか。
つまりアテネには五輪に参加するためでも野球をプレーをするためでもなく、まさに「長嶋ジャパン」を演じるために来たらしい。
準決勝で敗れた中畑ヘッドのコメントも「長嶋監督に申し訳ない」というもの。
長嶋のことしか頭にない。
事実、「予選1位になったら特典があるのかと思っていた」などと、自分たちの参加する競技のあり方について基本的な知識すらもなくやっていたのだから、呆れるほかはない。
五輪ではただ漫然とやっているだけでは勝てない。他の競技は、国際大会のルール、雰囲気、傾向などを折り込んで4年間、戦略と戦術を練り、練習と準備を重ねて臨んでいるのではないか。また、それだけのことを尽くしたからこそ、勝負は時の運だから負けてもベストを尽くしたと言えるのである。
ところが野球は、と言えば、監督は、もともと能力と無関係にただ知名度のある人間を据えただけだし、しかもその監督すらもいないし、コーチも今遊んでいる解説者を引っ張って来ただけ、そして選手も片手間で参加して(させられて)いたに過ぎない。
これではアテネまで観光か物見遊山半分に出掛けたも同然、勝つためのどういう努力をしたのだろうか。

勿論、参加した個々のスタッフや選手にだけ問題があるわけではない。
そもそもプロのみの「ドリームチーム」を称しながらペナントレースは中断しないし、各球団2名などと縛りはかけているし…、それでも勝てるとたかをくくっていたのだろうが、何が「野球の国際化」なのかと言いたくなる。
五輪へ行ってまであいも変らずバカのひとつ覚えで「長嶋」「長嶋」の連呼、しかも金は取れず、おまけに五輪に埋没して首位攻防戦でも巨人戦視聴率は最低。五輪さえ終わればまた関心は野球に戻って来るなどと思っているのなら甘い。もはや日本野球のお粗末さ、意識の低さ・レベルの低さは視聴者に見抜かれている。
「長嶋ジャパン」敗北は単に試合に敗れたというだけではなく、長嶋茶番劇とともにプロ野球が心中した日として歴史に刻まれるだろう。
・・・それも野球の歴史が続いていれば、の話だが・・・。


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