Memorandum
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2003年11月30日(日) 民主党は次のマニフェストでは「鎖国」を宣言したらどうか

テロの可能性が強い 福田長官、派遣方針は不変

殺害されたお2人の日本大使館員のご冥福をお祈り申し上げる。

事件に対しては、福田長官の発言に同意だし、そして過去日記でも書いて来た通りである。
強いて付け加えると野党、それからマスコミは、大はしゃぎで政府を非難し、
そして声高に自衛隊派遣反対を叫ぶだけではなく、
だったらその場合のリスクも含めたグランドデザインをきちんと明らかにして欲しい
ということである。

アンチ小泉が好んで妄想するように、何も日本政府は、
おっちょこちょいの小泉がアメリカに尻尾を振ってホイホイと、
ではイラクに行きましょう、自衛隊も出しましょう、
と「桃太郎」のように簡単に決めたわけではない。
そもそも日本の首相には、道路公団総裁1人のクビもなかなか切れないほど、
大した権力も権限もない仕組みになっている。
首相は行政府の最終責任者だが、しかし日本は独裁国家じゃないのだから、
首相が決めれば何でも通るというわけではないのである。
つまり政府・与党があらゆるリスクも前提に入れて考慮した上で重い決断を下している。
どこかの無責任野党がマニフェストを白紙に戻したのとはわけが違うのである。
しかしその無責任野党と無責任マスコミは、単に自衛隊派遣のリスクだけをあげつらって
お気楽な反対と批判を繰り返すだけで、対案などは全くないと言っていいし、
あってもそれは恐ろしく素寒貧である。
前にも触れたが、無責任野党のマニフェストでは、
外交・対米関係は「言うべきは言う」、
対イラクは「人道・復興支援は積極的に取り組む」
としか言っていないし、しかもそのマニフェストも撤回したのだから、
自分たちが政権当事者だった場合の考えは何もないということである。
自衛隊派遣反対なら反対でもいい、
アメリカに協力しないのなら、それでもいい、
ただ、その場合のプラス、マイナス、両面をはっきり提示した上でなければ議論にもならないし、
まして「現にかくある」ことを否定するのならばその具体的なグランドデザインがなければ
何も決められないのに、ただ反対論をぶつだけでは、話にも何もならないのである。

実は、反対論を突き詰めて行くと、
「イラクのことなんか知ったことじゃない、日本さえ平和ならそれでいい」
という、一国平和主義的発想に辿りつく。
それで済むなら、それに越したことはないし、
それはそれでも、筋は通っているのである。
ただ、論理の筋は通っても、現実には通用しないということは、
ここ十数年来の国際政治の中での経験ではっきりして来たことであり、
従って、それを踏まえてこんにちの日本政府の決断に繋がっている。
それを無視した一国平和主義はもはや通用しないのである。

それでもなおかつ反対するのだったら、いっそのこと無責任野党には、次の提案を捧げる。
すなわち、一国平和主義をもっと徹底して「日本は鎖国するべきだ」と主張すべきである。
なまじ国際社会の一員でいるから、国際貢献のあり方に悩ましいし、
他所の国での揉め事にまで関ったり、そして他所の国の顔色を伺ったりしなければ
ならなくなる。
そもそも江戸260年の祖法を破り、「墨夷(アメリカ)の脅し」に屈して開国した
のが間違いの始まりだった、ということにして、外国船打ち払い令でも復活したらいかがか。
この無責任野党の発想は今でも十分、荒唐無稽なのだから、
どうせならここまで徹底して主張してもらいたいものである。

ところで、もうひとつの弱小・無責任野党は、とうとう、党の理念を捨てたらしい。

衆院選大敗でピンチの社民党財政、お宝ピアノが救う?

>12月13日の党大会で、正式名称の「社会民主党」を、呼称として定着している
>「社民党」に改める構想も出たが、「看板の書き換えなど費用が1億円かかる」
>ため見送りになったほどだ。

11月24日の日記に「社会民主主義を僭称するのはやめろ」と書いたが、ホントに
そのつもりだったようである。
社会民主党は、「社会民主主義」の政党だからこそあくまでその略称としての「社民」
党なのであって、「社民党」そのものが正式名称なら、ただの「シャミン」などという
言葉には、全く意味がない。
自由民主党ですら、現に「自民党」で通用しているからと言っても、
名称を変更しようなどという話は一度も出たことがない。
しかも、そもそも「自由党」と「民主党」が合同して出来たから「自由民主党」だ、
などという安直な話とは違って、社会民主党の場合は「社会民主主義」という列記とした
政治理念を前提にしていたはずである。
その党名を変えるということは、党の理念も変えるということにほかならないのである。


実は、似たような例は、昔もあった。
昭和45年に民主社会党が、その略称である「民社党」に党名を変更したのである。
それはこの党が「民主的社会主義」という結党の理念から離れて行く過程と
全く軌を同じくしていた。
社民党も、ここに至って「社会民主党」であることをやめようとするのは、
今までタテマエとして掲げていた「社会民主主義」が真っ赤な偽りであった
と認めたということであろう。
だったらはっきりとその性格を表すため、土井たか子を教祖に戴く「護憲教団」であることも
明かにすべきではないか?


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